金融のない社会のほうが望ましい

金融のない社会のほうが望ましい

森本紀行
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病気の治療法の進化よりも、病気に罹らない方法の開発のほうが望ましいことです。犯罪がなくなって警察が不要になるほうが、警察機能の強化よりも望ましいことです。同様に、金融の高度化よりも、金融を必要としない社会のほうが望ましいのではないか。あるいは、金融機能の進化とは、金融を消滅させる方向にあるのではないのか。
 
 自動車保険は、事故が避け得ない以上、必需品ですが、もしも、自動運転等の技術革新により、事故のない社会が実現すれば、不要になります。自動車保険が不要になることこそ、社会の進歩です。そもそも、事故が起きたときは、その速やかな事後処理が中心の問題であって、保険の金融機能としての補償は、むしろ付随的なことですし、更にいえば、事後処理よりも、事前予防こそ、根源的な問題であるということです。
 そこで、顧客の真の利益のためには、保険は事故が減る方向に機能するべきですから、その設計においては、事故率を低下させるべく、安全運転の自助努力を促す契機を含めなくてはならないのです。実際、自動車保険は、事故実績によって保険料が算定されるので、安全運転が保険料の低下につながって顧客と社会の利益になるようにできています。
 こうして、自動車保険の真の機能は、金融としての保険機能そのものにあるのではなくて、保険機能を通じて、事故を減らすことにあるのですから、顧客本位を徹底すれば、保険の高度化は、必然的に、保険の無用化を志向せざるを得ないのです。これは、自動車保険だけではなく、保険一般について、本質的な性格として内包される構造矛盾なのです。
 なお、保険は、実損填補を金銭により行うので金融の領域にみえるのですが、事故処理支援にこそ付加価値があり、また、実損を直接的に物品等によって填補できることを考えるならば、金融機能でないともいえます。むしろ、金銭補償をなくす方向に、即ち、保険の金融機能の消滅の方向に、真の保険の社会的機能としての高度化があるのかもしれません。
 
融資もそうですね、顧客の立場からすれば、借金しないで済むほうが望ましいのですから。
 
 例えば、企業経営にとって、在庫の保有や、資金決済の時間的ずれは、避けることのできないものですから、そのための資金、即ち、運転資本の調達は極めて重要であって、銀行等からの借入目的としても、大きな比重を占めます。逆に、銀行等の立場からいえば、極めて重要な事業機会だということです。
 ここで、真の顧客の利益のためには、運転資本を最小化して、経営効率をあげることが問題なのであって、銀行等は、融資額を小さくする方向に業務改善等の経営支援をするべきなのです。そのうえで、経営効率化が次の成長戦略につながったとき、融資額の増加を期待する、これぞ融資の王道です。
 しかし、銀行等の立場からすれば、非効率な経営の改善余地を放置したままでも、黒字を確保して営業されている限り、一定額の運転資本を借りて貰っていることに文句をいう必要もないのですから、王道の貫徹は難しいのです。貸す側からすれば、貸す必要がないときでも、無駄に借りて貰っているほうが都合よくなるわけで、ここにも、融資業務の矛盾があるのです。
 
在庫の最小化や、決済期間の最小化は、銀行等の取り組みと関係なく、技術の進歩で、勝手に進行する可能性があるのではないでしょうか。
 
 在庫を最小化できる物流システムができたり、代金が即日決済されるシステムができたりすれば、運転資本は、企業の経営効率化の努力を超え、また、銀行等の関与と無関係に、最小化に向かうでしょう。これぞ、まさに、社会の進歩ですが、銀行等の立場からは、融資額の激減になりかねませんし、どうかすると、運転資本そのものが不要になって、融資機会が消滅するかもしれません。
 現在進行中の技術の進歩は、一定の閾を超えるときに、程度の変化ではなくて、本質の転換を起こすと考えられますから、結果として、どの分野でも、たくさんのものが不要無用になるのでしょう。金融でも、当然に、本質的な変化は避けられません。フィンテックというのは、そういう技術革新がもたらす構造変化を主題とした金融の問題領域のことです。
 銀行等にとって、技術革新が運転資本を最小化に向かわせ、最終的には消滅させるとき、それは、一方で、事業機会の劇的な縮小であり、危機を意味しますが、他方で、運転資本融資に替わる在庫管理や決済にかかわる情報サービスの提供として積極的に取り組めば、新たなる事業機会の創出になるわけです。このとき、新サービスは、金融代替としてのフィンテックとなります。
 もしも、銀行等が運転資本融資を顧客の視点で考えているとしたら、顧客の借入目的に沿って、顧客の利益のために、融資量の維持拡大ではなくて、逆に最小化を目指してきたでしょう。ならば、その先に、技術革新が起きたところで、融資業務から、在庫管理・決済にかかわる情報処理業務へと自然に転換できるはずですから、少しも、怖くないはずです。
 逆に、技術革新が金融機能を不要にしていく方向に対して銀行等が危機感をもつとしたら、それは、銀行等の立場から金融機能を提供していて、顧客の視点を欠いているからです。フィンテックは、金融機関の立場からの効率化としてなら、金融の本質的な変革を意味しないでしょう。それは、顧客の利益の視点で、伝統的な金融を不要にするものとして、大きな意味があるのです。
 
顧客の視点とは、融資の場合、資金使途への遡行が重要だということですか。
 
 金融にとって、金融機能を利用する側の視点にたって、その目的を考えることが重要なのです。それが資金の借入需要なら、資金使途だけが問題であって、資金使途が運転資本の調達なら、その最小化のための経営の効率化こそが課題となって、その結果、運転資本が不要になれば、それに勝ることはないのです。
 また、資金使途が設備の取得なら、設備の効率的利用だけが課題なのですから、総合的な経営効率の面で、資金を借りて設備を購入するよりも、設備そのものを借りたほうがよければ、融資を受ける必要はなく、リースやレンタルにすればいいことです。
 リースは、ファイナンスリースはともかく、オペレーティングリースになれば、金融の限界に達し、レンタルともなれば、もはや金融ではないのです。しかし、そうした金融の境界が問題となるのは、どこまでも金融機関の視点だからです。顧客の視点で考えたとき、金融であるかどうかはどうでもいいことであって、金融機関の提供する機能を使わないほうがいいのなら、それでいいのです。
 
住宅が欲しいのであって、住宅ローンが欲しいのではないということですか。
 
 現在の日本では、住宅が量的には余りにも過剰であるのに対して、質的には貧困であることが大きな問題となっています。これは、これまで長らく、住宅本来の機能である住むことの利便性よりも、住宅を所有することに力点が置かれてきたことの帰結です。そして、その住宅所有を金融面で支援してきたのが住宅ローンなのです。
 確かに、耐久消費財として住み捨てられる住宅は、過去の経済成長に対する貢献が大きかったのですけれども、未来へ向かっては、住み続けられる資産としての住宅への転換、即ち、機能として住宅に住むことと、資産として住宅を所有することとの分離を通じて、住宅を高品位化することが必要です。住宅に限らず、量から質へ、この転換は、日本経済の全ての分野における課題なのです。
 結果として、住宅所有が投資運用業として産業化されていけば、個人向け住宅ローンは、確実に縮小していき、最終的には消滅してしまうでしょう。その裏には、住宅が欲しいという需要が後退して、ライフサイクルに応じて最適な住宅を借りて住みたいという需要に代替されていく生き方の転換があるわけです。
 要は、住宅ローンの社会的目的を遡行していくとき、まずは、住宅所有という欲求があり、その先には、より根源的な居住という目的が見つかり、目的の実現における居住の質の高さが追求されていくとき、高品位な住宅供給のあり方に革新が生じて、住宅ローンは消滅し、別の金融機能、もしくは金融機能ですらないものに代替される、それが居住における社会の進化ということなのです。
 
生命保険も、不要になるのでしょうか。
 
 生命保険の死亡保障こそ、誰も欲しくないものです。なにしろ、契約者本人にとっては、不要も何も、そもそも、保険が機能するときには死亡しているのですから、満足の得ようもありません。死亡保障とは、本人のためのものではなくて、本人が死後もなお負う他者に対する債務の履行が目的ですから、その目的さえ果たされれば、生命保険は不要になります。
 例えば、金融負債については、契約時に、融資残高と同じ保障額の保険を付すことで、死亡時には、債務残高を消し去ることができます。これは、住宅ローン等で広く利用されている制度ですが、この保険は、融資契約に付随してはじめて意味をもつものですから、単独では保険としてなりたっていません。逆に、金融負債以外に他者に対する債務がないのなら、独立した生命保険は不要だということです。
 もちろん、家族がある場合には、遺族に対する家計の責任者としての責務が残ります。実際、この責務の履行が生命保険の最大の目的なのでしょう。しかし、仮に、大家族制度だったら、大きな家族内の家計の相互扶助により、目的は果たされます。また、大家族でなくとも、配偶者の就労によって、目的が果たされる場合も多いでしょう。
 生命保険は、こうして、社会の構造に応じて、真の需要が規定されるのですから、保険会社の立場で、生命保険先にありきで販売することはできないのです。死亡保障需要の変化のなかで、なおも需要の拡大を想定した事業戦略をとれば、保険という名の貯蓄商品の販売等、本来の保険機能からの逸脱が不可避になっていくわけで、そうなれば、もはや保険の必要性よりも、不必要性が目立つことになるのです。
 
決済機能を分離したとき、預金も不要になるかもしれませんね。
 
 決済は、フィンテックの中核的な分野です。現在では、決済は、銀行等の預金を舞台に行われているので、金融機能になっているのですが、その原型である現金の授受をみればわかるように、本来は金融機能ではありません。むしろ、金融ではなくて、商取引に不可分に結合した機能として構成したほうが合理的であるとも考えられます。ここでは、フィンテックは、金融の高度化ではなくて、金融の解体を意味する可能性が大きいと思われるのです。
 では、決済機能を分離した後、預金に何が残るかというと、貯蓄機能しかありませんが、貯蓄手段としての預金は、他の資産形成手段と比較したとき、著しく魅力度に劣ることは間違いなく、劇的に縮小してしまうおそれがあります。資産形成は金融機能ですから、預金がなくなっても金融の総体は変わらないかもしれませんが、それを主力業務とする銀行等にとっては、決定的な意味をもつでしょう。
 いうまでもなく、銀行等の負債としての預金の縮小は、その資産としての融資の縮小に並行しなければなりませんから、要は、先に述べた融資の構造変化、即ち、融資から他の代替的機能への転換と連動しているのです。つまり、銀行等は不要になっていくわけです。しかし、だからといって、機能としての金融が姿を変えて進化するなら、社会的には、どうでもいいことです。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/01/26掲載「金融はロボットにやらせるべきか
2017/01/19掲載「顧客満足に反してこその金融
2017/01/12掲載「顧客満足は顧客本位ではない
2016/12/22掲載「金融機関監督庁から金融機能強化庁へ
2016/11/17掲載「森信親長官らしい金融再編論

森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。