「東京電力改革・1F問題委員会」の1Fとは、福島第一原子力発電所の略称です。この有識者の委員会が昨年末にまとめた「東電改革提言」は、2011年3月11日に同発電所で起きた事故について、完全収束までの遠い道のりの方向性を規定するものであり、この問題の処理に関する国民の合理的な合意形成の基礎をなすものです。
事故直後から一貫して東京電力の正当な法的地位の確立を主張してきたものとしては、この提言にまとめられた内容は事故の直後において既に動かし得ないものであったとの立場ですから、提言を支持するのは当然のことですが、ここに至るのに6年近くの長い年月を要したことについては、非常に不満に思うものです。
不満を論じる前に、事故直後から不変不動という東京電力の法的立場とは、どういうものでしょうか。
福島の事故の責任が最終的に経済問題に帰着することは、最初から自明でした。補償を含めて、事故の完全終結までに、いかに長い時間と、いかに想像を絶する巨額な費用を要するにしても、東京電力があげる収益によって事故対策費の全額を支弁すること、これこそ、「原子力損害の賠償に関する法律」が定めていた無限責任の意味だったのです。
当然のこととして、この無限責任を完全履行できるまで、東京電力は必ず存続し、収益をあげ続けなくてはなりません。これは、実は、法的整理などよりも、はるかに厳しい責務履行のあり方なのです。そこで、同法は、政府に対して、東京電力が責務を全うできるように、あらゆる必要な支援を行うように義務付けていました。もちろん、それが経済的支援なら、原則として、東京電力が後に弁済するという前提です。
この東京電力の無限責任と、政府の支援責任の構造は、今回の提言が明確に前提に置いているものですが、何も今改めて提言にいわれるまでもなく、最初から法律が明示的に定めていたものなのです。にもかかわらず、こうして当然のこととして語られるようになるまでに、6年近くの年月を要したわけです。
その時間は、政治の無策の帰結だということですか。
いうまでもなく、この時間は、法解釈や技術的検討のために要したものではなくて、単に政治的判断として、国民感情の鎮静化のために必要なものと考えられたにすぎません。それは、政治能力の健全な発現なのでしょうか、それとも政治の無能力の帰結なのでしょうか。
事故直後の国民世論では、東京電力を犯罪者扱いにするものや、懲罰的意味を込めているとしか思えないような仕方で展開された法的整理論のように、法律を無視した感情的なものが横行していました。それに対して、当時の民主党政権は、毅然たる態度をとることができず、東京電力を支援する政府の義務を明確に宣言できなかったのです。おそらくは、国民に正しく説明する能力も、勇気もなかったのです。
結果として、政府責任が不明確ななかで、一方的に東京電力の責任ばかりを主張した政府の姿勢は、かえって東京電力の責務の履行を不安定な状況に置くという不合理を生じていました。これは、今の流行りの言葉を使えば、東京電力に対する国民感情におもねったポピュリズム政治であったといえるでしょう。
それを救ったのが安倍政権の発足ですね。
安倍総理は、就任直後の2012年12月に福島を訪問され、そこで、政府が前面に出て事故処理に当たることを約束されました。前面に出て、という表現は巧みなものであるといわざるを得ません。というのも、法律上、東京電力の無限責任があって、その履行支援義務として政府責任があるので、政府が全面的に責任を負うことはあり得ない一方で、政府が前面に出て指導しない限り、一企業の能力をはるかに超える事案の大きさと困難さからすれば、打開不能な事態だったからです。
しかし、その安倍総理も、これまでは、東京電力の責任について、政府の後ろに下がって主として経済的負担に関する責務を負うというところまでは、明確にしてきませんでした。この間、電力事業そのものの抜本的構造改革が断行されるという事情も関係したのかもしれませんが、今になってやっと、この提言によって、東京電力の責任の経済的側面が明確にされたということです。
事故処理財源としての東京電力の収益力の強化ということですね。
責任が経済問題に集約されるとき、課題は東京電力の収益力の強化に絞られます。提言は、要は、そのことだけを述べているようなものです。つまり、東京電力は、総合エネルギー供給企業として、日本国内の地位は当然のこととして、世界の頂点を目指すほかないということなのです。なぜなら、それほどの壮大な規模感がない限り、東京電力が負う巨額な負債は、支弁できるはずもないからです。
これを実現するためには、当提言が求めるように、東京電力の役職員が一丸となって、創造的に壮大なる成長戦略を立て、主体的に速力をもって実行に邁進するほかないのですし、政府は、その東京電力の戦略実現へ向けて、必要な制度面の手当てを行うなど、全面的な支援を行わなくてはならないのです。これは、両者に課せられた義務であり、国民に対する重大なる責務です。
それにしても、かつて、東京電力が破綻しないように支援するというだけで、あれだけの否定的言論が展開されたことを思うとき、それをはるかに超えて、東京電力を巨大な成長企業に変身せしめようとする政策提言に対して世論の反発が全くないことに、喜ばしい驚きを感じます。
結論として、このように、一定の時間の経過が必要であるにしても、国民の理性は感情的非合理を克服できるのだとしたら、一体、一時的な感情におもねったポピュリズムとは何だったのか、時間の経過に伴う沈静化を待つのではなく、国民感情に反してでも、誠意を尽くした丁寧な説明を徹底し、法の本旨と良識を貫徹することこそ、国民の真の利益につながる理性的な政治ではなかったのか。
もしも、安倍総理にして、事故当初から任に就かれていて、ポピュリズムを排し、法律の正当なる適用を行い、国民の理性に訴えて東京電力と政府の責任を丁寧に説明し、今回の提言内容を早い段階で実行に移すことができていたら、少しでも多くの国民の経済厚生を実現でき、米国のトランプ大統領に会われるとき、ポピュリズムの弊害を説教できたであろうと思われます。
提言の具体的内容とは、どういうものでしょうか。
第一に、原子力事業の統合再編による経済事業としての価値の創出、第二に、送配電事業の統合再編による効率化を通じた価値の創出、第三に、成長基盤を海外に求める戦略展開です。ここまでは、筋の通ったことですし、逆に、他に妙案のあることでもないのですが、実行面では、困難が伴うと予想されます。
つまり、東京電力は、政府を大株主にもつにしても、純民間企業であって、この壮大な計画を実現するためには、必要とされる巨額な資金調達を純経済原則のもとで実行するほかはなく、また、絶対に不可欠である東京電力の役職員の強い意志と参画意識は、単に使命感を求めるだけでは、得られるものではないということです。
鍵の一つは、資金調達の要としての東京電力の株式価値ですね。
東京電力が民間企業として存続し、事故対策費を稼ぎ出すためには、まずは優先的に、存続に要する最低限の費用を支弁しなければなりません。この点についての反論は、あり得ません。さて、企業の根幹を支える自己資本について、正当な資本利潤を還元するのは当然のことです。つまり、その適正資本利潤は企業存続のための最低限の費用であるということです。ならば、当該資本利潤の株主への還元は、事故対策費に優越するといわざるを得ないはずです。
ここまでいい切ると、さすがに、論理の正当性にもかかわらず、庶民感覚としての反発を呼び起こす可能性はあります。しかし、その感覚におもねることは、政治責任の問題として、許されません。当提言は、基本的に、東京電力の成長戦略を述べたものであって、その成長戦略の実現にとって資金調達は不可欠であり、その資金調達の要は東京電力の株式価値の確保だからです。
また、原子力事業については、当提言は、明確に経済事業としての成長戦略を述べているわけですが、法律的にリスク負担の上限を画する手当をとらない限り事業性を生むことはできず、故に、資金調達も困難になります。ここは、政府責任として、「原子力損害の賠償に関する法律」の改正等、必要な措置を早急に講ずべきです。
東京電力の役職員に誇りをとりもどすことも大事ですね。
東京電力の改革は、当事者である役職員の強い意志と旺盛な意欲なしには、実現できません。もちろん、その意思と意欲の原点には、福島の事故に対する責任があるべきです。しかし、その責任感が直ちに企業の成長のための意思と意欲につながるとは限りません。人間の意志と意欲は、成長に向けられてこそ、強く旺盛なものとなるからです。
当提言は、責任を履行するために東京電力は成長しなければならないとしているのですから、政府は、更に一歩を進めて、現段階における東京電力の役職員に課せられた最大の責務は成長戦略の実現だ、成長なくして事故に対する責任は果たせない、そういい切るべきです。
世界最大にして最優の総合エネルギー供給企業という高い目標に向けて、役職員が一丸となって、誇りをもって、とり組むことに、成長戦略の成否はつきます。その先に、福島がある、逆に、福島は、その先にしかないのです。福島なくして成長なし、成長なくして福島なし。
提言の実行可能性を危惧する声もあるようですが。
基本方向に賛成でも、現実的な諸制約の多さと、規模的に広く深く、質的に難易度の高い事案であることから、実行可能性について、批判や異論があるのは当然です。
しかし、本件については、現に、そこに、事故を起こして危険な状態にある原子力発電所があって、高度な技術的難問を提示し、また、生活を奪われた避難住民がいて、支援を求めている以上、また、国民の経済厚生の増大のために、総合エネルギー供給構造の抜本的改革が不可避である以上、実現可能性に関する論評は、全く不要無用ですし、また無責任でもあります。
東京電力はもちろんのこと、政府をはじめとする全ての関係者は、不可能を可能にする決断と強い意志のもと、断固として実行するだけです。ほかに福島に通じる道はなく、福島を出る道もないのです。
2014/09/11掲載「なぜ東京電力を免責にできなかったのか」
2011/05/02掲載「【緊急増補版】なぜ東京電力を免責にできないのか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。