1990年、日本で初めて年金基金の資産運用においてコンサルタントが導入されたのですが、その名誉ある第一号は、何を隠そう、この私、まだ32歳だった私なのです。そして、私は、それから13年間で、日本を代表する大きなコンサルティング事業を育て上げたのでした。
現在では、年金基金がコンサルタントを利用するのは普通のことになりました。その他、年金基金の資産運用において当たり前となっている手続きや手法について、私が確立して定着させたものは少なくありません。故に、今日に至るも随所に自分の仕事の痕跡を見出し得るわけであって、そこに、私の喜びがあり、誇りがあるのです。
しかし、何ごとも確立して定着してくると、途端に陳腐で凡庸なものと化すのは避けがたいことで、次第に自分の事業の社会的意義に関する疑念が生じてきて、ついに2002年、全く新規に、全く異なる哲学で事業を立ち上げ直したのがHCアセットマネジメント創業の原点というわけです。
そういう経歴にもかかわらず、なぜ年金基金の資産運用コンサルティングについて一度も論じたことがなく、そして、なぜ今さらに論じる気になったのでしょうか。
これまでのところ、心情的には、いいたいことが山のようにあるにしても、知的には、論ずべき価値のあることを見出し得ないできました。しかしながら、冷静に考えてみるに、これほど熱心に、むしろ熱烈にフィデューシャリー・デューティーを論じきって、この問題を主題的にとりあげないことは、甚だおかしなことであると気が付きました。
なぜなら、米国において年金基金の資産運用コンサルティングが生まれた原点は、1974年にエリサ法が制定施行され、年金基金の資産運用にかかわるフィデューシャリー・デューティーが法令上に明文化されたことにあるからであり、私の起業の原点は、1990年に改正厚生年金保険法が施行され、厚生年金基金の資産運用にかかわる最初の自由化が行われたことにあるからなのです。
では、米国の年金基金のフィデューシャリー・デューティーから始めましょうか。
フィデューシャリー・デューティーという言葉については、金融庁が資産運用改革を推進するための理念の中核として普及定着させていますが、念のために一言すれば、専らに顧客の利益のために働くべしという義務に帰着し、そこには、自己および第三者の利益を一切顧みないという高度な忠実義務と、専門家としての経験と知識を傾注して最善を尽くすという高度な注意義務を含むわけです。
これを年金基金に適用するときは、当たり前ですが、顧客は年金制度の加入員と受給者に読み替えられます。そして、企業年金にとって決定的に重要なことは、第三者の利益を一切顧みないというときの第三者に母体企業が該当することです。
エリサ法制定直後、また、その16年後に私が日本で事業を立ち上げた頃までも、このフィデューシャリー・デューティーは、米国の年金基金の資産運用に携わるものによって極めて厳格に理解される傾向が強かったのです。そして、その履行徹底が図られるなかで、コンサルティングに対する需要が生まれてきたということです。
具体的に、米国の年金基金は、どのようにコンサルタントを利用するのでしょうか。
コンサルティングの領域は広いのですが、やはり代表的な使われ方は、資産運用の委託先の選択に関する助言です。年金基金は、フィデューシャリー・デューティーのもとで、最善の努力を尽くして最良の運用会社を選択しなければならない義務を負うのですから、熱心に営業に来る会社とか、母体企業の取引銀行の関連会社とか、そのようなところから選択することは、法令違反になる可能性が高いことになります。
そこで、コンサルタントに委嘱し、投資対象を指定して一定の属性を指示したうえで、採用候補先の絞り込みを依頼するわけです。一連の手続きとしては、コンサルタントは、指定された属性を満たす全社をリストアップし、運用成績等の数値基準により候補先を減らしてロングリストを作り、更に、各社と面接するなどの精査を経て三社程度のショートリストに絞り込む、そして、最後に、そこから年金基金自身が一社を選択することになります。
この作業は、情報化時代以前には、運用会社の数が今ほど多くなかったとはいえ、大変に面倒なことであったわけで、資源の限られた年金基金だけでは実行不可能でした。ですから、情報を専門家に集積する必要があって、コンサルタントが生まれたのです。現在では、情報技術の高度化で楽になりましたが、他方で、資産運用の領域が著しく拡大し、運用会社の数も膨大なものとなったので、依然としてコンサルタントの必要性は高いのです。
その調査費用は、年金基金が負担するのですね。
フィデューシャリー・デューティーを履行するためには、合理的に見積もられた費用が発生する、これは当然のことです。そして、ここで見落としてはならないことは、年金基金の資産を運用する運用会社にも年金基金と同じフィデューシャリー・デューティーが課せられているので、それを厳格に解する限り、運用会社は営業活動ができないことです。故に、年金基金のほうが自己の費用で積極的に動いて運用会社を見付け出さなければならないのです。
この点は、日本では少しも理解されていないようなので、強調したいところです。つまり、厳格なフィデューシャリー・デューティーのもとでは、運用会社が顧客から受領する報酬は全て顧客のために使われなくてはならないので、営業経費を捻出する余地がない、逆にいえば、報酬額の設定は顧客のための資産運用に要する原価を基準に算定されなくてはならず、そこに新規顧客を得るための営業経費を加えることはできないということなのです。
このように、コンサルタントの機能は、運用会社の立場からも決定的に重要なものなのです。この仕組みのもとでは、優れた運用成果を実現している限り、どのように辺鄙な片田舎に所在していても、必ずコンサルタントを通じて顧客を得ることができる、しかも、同時に、一番重要なこととして、運用会社は運用に専念できる、専念できるからこそ顧客のために良い成果をあげ得る、これぞフィデューシャリー・デューティーの要諦です。実は、フィデューシャリー・デューティーの徹底が米国の資産運用の高度化と繁栄をもたらしたのです。
それにしても、フィデューシャリー・デューティーを知る人もいなかった時代に、しかも、エリサ法のような法制度的手当てもないなかで、よくも、日本で年金基金の資産運用コンサルティングが立ち上がったものですね。
今にして思えば、ほとんど奇跡だったかもしれませんが、私の真の意図とは関係なく、当時の日本では、全く別な理由でコンサルティングが必要とされたのです。
理由の第一は、信託銀行と生命保険会社の完全な独占からの自由化でしたから、資産運用そのものが年金基金に理解されていなかったので、外部の助言が必要とされたこと、第二は、その後に起きた金融危機のなかで信託銀行と生命保険会社の一角に信用不安が発生し、緊急の対応が求められたことでした。
しかし、こうした経緯のもと、フィデューシャリー・デューティーの厳格な理解とは関係なくコンサルティングが定着してしまったことは、日本の年金基金の資産運用の健全なる発展にとって、とても不幸なことでした。故に、私は廃業したのです。しかも、本当は、自分だけが廃業するのではなく、自分の誤算が作り上げた全てを廃棄したかったのです。
米国においても、コンサルティングの機能の変容は大きな問題ではないでしょうか。
より本質的な問題は、フィデューシャリー・デューティーの理解が変容してきたことです。当初こそ、厳格に解されて、なすべきことを定める創造的な規範として機能していたものが、次第に積極性を喪失していき、現在では、なしてはならないことの限界を定めるだけの消極的な規範として機能しているにすぎないのです。
こうして、なしてはならないことの限界としてフィデューシャリー・デューティーが機能し始めると、逆に、その内側は安全圏として確保されてしまうので、最低限のことさえしておけばいいという保身的な行動様式を誘発するわけです。そして、コンサルタントの利用こそ、その代表的な最低限の要件と化してしまったのです。
それは、法令遵守にともなう普遍的な難問ではないでしょうか。
法令遵守は最低限のことにすぎず、それを行政課題としたり、企業において社是に掲げたりすることは、最低限のことすらできていない実態を暴露するだけで、あまりにも低次元であり、滑稽ですらあるのです。むしろ、法令遵守の深刻な弊害にこそ、着目されなくてはなりません。
弊害の第一は、法令遵守が行為内容の最低限の基準として機能し、創造的な革新への努力、最善を尽くすための創意工夫が放棄され、切磋琢磨を通じた能力向上の道が閉ざされて、平均的水準へ収束をもたらし易いことであり、第二は、法令遵守が行為規範の最低限の基準として機能し、そのなかでなら、何をやってもいい、あるいは何もやらなくていいという弛緩、より強くいえば頽廃を生じ易いことです。
少し話がそれますが、この難問に金融行政の立場で大胆かつ果敢に立ち向かっているのが金融庁の森信親長官だというわけですね。
日本の金融機関の法令遵守は徹底しています。しかし、徹底した法令遵守が金融機能の高度化をもたらし、国民の厚生の増大に寄与したという事実は全くありません。むしろ、カードローンの膨張、投資信託の不適切な販売の実態などをみれば、徹底した法令遵守のなかで、逆に法令遵守に守られて、金融の社会的機能に反したことの横行を招いているのです。
ここに着目したのが森長官です。森長官は、金融行政の目的を国民の厚生の増大として再定義し、その課題実現のために、法令遵守をミニマムスタンダードに位置づけ、金融機関に対しては、そこに安住することなく、顧客の利益の視点に立ったベストプラクティスの追求を求めるに至り、具体的施策として、「見える化」を通じた競争環境を整備し、切磋琢磨を促すことにしたのです。
だからこそ、フィデューシャリー・デューティーが森長官の哲学を象徴するのですね。
森長官にとって、フィデューシャリー・デューティーは、エリサ法制定直後、米国の資産運用に創造的革新をもたらしたものなのであって、決して現在のミニマムスタンダードに堕落したものではないのです。だからこそ、それは、日本の資産運用改革を導く理念として、ベストプラクティスの追求を促すものとして、機能するのです。
話を戻して、ならば、日本の年金基金の資産運用コンサルティングこそ、森長官の理念に呼応して、資産運用改革を主導すべきではないでしょうか。
日本のコンサルティングは、米国の事情と全く異なる経路ながら、事実としては全く同じようにミニマムスタンダードに堕するに至ってしまいました。このままでは、年金基金と運用会社にベストプラクティスの追求を促して資産運用の高度化に貢献するどころか、逆にミニマムスタンダードの低下すら招来して、無用有害なものと化すだけです。あるいは既に化しているのかもしれません。
加えて、米国でもそうですが、コンサルタントが投資運用業を併営する例が多くなり、深刻な利益相反の可能性を生んでいます。フィデューシャリー・デューティーの徹底を指導し、業界から利益相反の可能性を排除することが仕事であるはずのコンサルタント自身が利益相反の可能性を抱えるのは、悲劇的喜劇であり、滑稽な悲惨です。
さて、そこのコンサルタントを自称する君よ、どうするつもりだ。
2017/06/01掲載「金融界に横行する利益相反を根絶するために」
2017/04/20掲載「ついに金融庁が動くか、年金基金の実態暴露と抜本改革」
2015/09/03掲載「企業年金が「フィデューシャリー宣言」をする意義」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。