銀行にみるソンタク文化の病理

銀行にみるソンタク文化の病理

森本紀行
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つまらない政治問題から、忖度という言葉に注目が集まりましたが、言葉としては限りなく死語に近づいていたソンタクも、蘇生のきっかけとなった事案をみてもわかるように、慢性かつ悪性のソンタク病として、日本社会の深いところを侵し続けてきたのです。改革なくして成長なし、ソンタク病あっては改革なし、さても、この病魔の克服は可能なのか。
 
 「他ノ心ヲ推察スルコト」、大槻文彦の「言海」には、こう書いてあります。このソンタクを忖度という漢字に結びつけることのできた人は非常に少なかったに違いありません。しかし、辞書を引いて、その意味を理解したとき、事案の背景の事情について、誰もが納得したに違いないのです。それほどに、ソンタクは、日本社会の根底に定着していて、ほとんど習性、あるいは文化と化したものになっているのです。
 
特に銀行のソンタク病は重篤ですね。
 
 銀行のように高度に規制されたところでは、監督官庁の意図をソンタクすることは、昔から、エリート行員の極めて重要な職務とされてきました。このことは、大蔵省から金融庁が分離独立し、その金融庁が森信親長官のもとで刷新された現在でも、何ら変わってはいません。
 典型的な事案は、金融庁からの問い合わせや資料徴求について、決して素直に反応することができずに、必ず背景の事情をソンタクすることです。そして、通常は、ソンタクの結果として、そこに抑止的指導を見出すのです。例えば、カードローンの残高推移に関する資料徴求を受ければ、その段階で、もう既に、金融庁がカードローンの膨張に否定的見解をもっていることが読みとられるわけです。
 おそらくは、このカードローンの事例ならば、正しくソンタクされているのですけれども、常に正しく金融庁の意図がソンタクされるわけでもありません。例えば、金融庁が投資信託の販売手数料について頻繁に言及することから、銀行界では販売手数料をとってはならないとのソンタクが一般化していますが、実は、金融庁は、販売手数料を課す合理的根拠を問題にしているのであって、正当な役務の対価としての販売手数料を否定してはいないのです。
 
しかし、販売手数料に合理的根拠がないと自覚している銀行にとっては、正しいソンタクではないでしょうか。
 
 それはソンタクとはいわないのです。ソンタクとは他人の心を推察することですが、自己反省に基づく判断は、金融庁の意向を推察して指示を読みとることではなくて、単に、そこに示唆を得ただけのことです。示唆を得て自分で考えることは、他人の心の問題ではなく、自分の心の問題です。総理大臣の意向のソンタクとして政治的に争われていることは、この微妙にして本質的な差の問題でしょう。
 なお、本件については、本質的な問題はソンタクに関することではなくて、金融庁の合理性に関する指摘に示唆を得て販売手数料をとらないようにすることは、それまでは合理的根拠もなく販売手数料をとっていたことを自白するのと同じだということです。金融庁としても、こういう銀行については、正直で可愛い泥棒というわけにもいかず、ほとほと困り果てるほかないでしょう。敢えて金融庁の意向をソンタクするならば、販売手数料を正当化できるだけの立派な役務の提供を行いなさいという指示として解釈してほしい事案なのです。
 
銀行のソンタク能力も劣化したということですか。
 
 大蔵省も、かつての金融庁も、おそらくは、銀行が正しくソンタクできることを前提にして、問い合わせや資料徴求などの交渉をもっていたのでしょう。そうした事態は、外から見る限り、極めて曖昧にして実に不可解かつ不透明なものながら、当事者間では、最高度に洗練された超絶技巧的な行政手法として機能していたはずです。
 しかしながら、この旧来の行政手法は、現在の森信親長官が率いる金融庁によって、完全に廃棄されたのですから、もはや、銀行にはソンタク能力など求められていません。深刻な問題は、銀行のソンタク能力の劣化ではなく、使う必要もなくなった貧しいソンタク能力を、依然として、的外れな方向に使い続けていることなのです。
 現在の金融庁は、指導監督ではなくて、銀行との対話だといっているのです。対話でソンタクするのは変ですし、そもそも、双方が相手をソンタクしながら話すことを対話とはいわない。内心で密かにソンタクするくらいなら、はっきりと声にだして、相手に発言の意図を問い質せばいいのです。
 
対話なのに勝手にソンタクするから、金融庁の意図が素直に伝わらないで、誤解され、曲解されてしまうということですか。
 
 ソンタクによって金融庁の意図が正しく伝わらないとしたら、銀行と金融庁との間の対話がなりたたないとしたら、その責任は、金融庁にあるのでしょうか。むしろ、要らぬソンタクをする銀行の側に、素直に聞こうとしない銀行の側に責任があるのではないでしょうか。
 
やはり、金融庁が銀行に対してもつ一種の優越的地位が作用しているのではないでしょうか。
 
 それは間違いないことです。金融庁が銀行との対等な立場での対話を志向しても、金融庁が銀行に対してもつ監督官庁として地位は動かし得ないわけで、そこに金融庁が意図していない優越的地位の効果が自然と働いてしまうのです。そこで、金融庁は、監督や検査という地位の優越を強く意識させる用語を避けてモニタリングという用語を採用するなど、様々な努力をしているのですが、受け手の銀行の意識を変えるのは難しいようです。
 この意図せずして自然と働いてしまう優越的地位の効果は、ソンタク病の根源をなすものであって、政治問題としてのソンタクにおいても、焦点となっている論点なのだと思われます。つまり、意図して優越的地位の効果を行使するときは、それが正当な権限に基づくのでない限り、濫用として厳正な処分の対象になるのに対して、ソンタクの働きを経由することで意図せずして自然と働いてしまう場合には、ソンタクする側の責任も、させる側の責任も問い得えないということです。
 
銀行についても、銀行が顧客に対して同様の自然な優越的地位をもち、その効果を行使してしまっている可能性があるのではないでしょうか。
 
 銀行の債権者として地位には、債務者である顧客に対して、明らかな優越性があります。この優越的地位の効果を銀行が濫用することは厳しく規制されているわけで、現実に、そのような事態が摘発されることは皆無といっていいでしょう。しかし、顧客のソンタクを通じて、優越的な地位が自然と働いてしまっている可能性は極めて大きいと考えられます。
 例えば、真に顧客の利益に適っているのかどうか疑わしいような投資信託でも完全に適法に販売されている実態については、銀行がもつ顧客からの信頼を基礎にしていることであって、その信頼を、悪用とはいわないまでも、銀行が巧みに利用してしまっていることが問題なわけですが、実は、その信頼の裏には、銀行がもつ自然な優越的地位を顧客がソンタクしている面を否定し得ないのです。
 つまり、銀行から投資信託の勧誘を受ける顧客には、信頼という面からいえば、営業話法に多少の怪しさを感じても、大きな間違いはなかろうという安心感が働き、優越的地位のソンタクという面からいえば、熱心に勧めてくれるものを断りにくい、多少のお付き合いは必要だ、銀行との関係をよくしておきたい、などという心理が働いていると考えられるのです。
 
金融庁は、自分が銀行に対してもつ優越的地位の自然な効果を意識しているのに対して、銀行は、自分が顧客に対してもつ同様な効果を意識していないようですね。
 
 金融庁の目下の最重点施策は銀行に顧客本位の徹底を求めることですけれども、顧客本位とは、とりもなおさず銀行本位の否定であるわけです。銀行には、銀行本位での思考様式と行動様式が抜き去り難く染み付いているので、自分がもつ自然な優越的地位の効果に気づかないのです。故に、金融庁は顧客本位への転換を求めているわけです。
 こうした要求を銀行に突きつけることについて、金融庁は十分な権利を有しています。なぜなら、かつての金融庁本位のもとでなされた強権的で高圧的な金融行政の弊害について、現在の金融庁は非を認めて、その反省から銀行との対等な対話路線への転換を断行したわけですから、金融庁と銀行との関係でなされたことを、銀行と顧客との関係でなすべく要求することは、理の当然だからです。
 
どうしたら銀行は顧客本位に転換できるのでしょうか。
 
 銀行に蔓延るソンタク文化を根絶することが必要ですが、根絶するためには、まずはソンタク文化を自覚することが必要です。自覚するためには、金融庁のいうことを勝手にソンタクしてしまう自己の卑しさを反省さえすればいいのです。卑しさというのは、金融庁の意向をソンタクするのに、顧客の意向を少しもソンタクしないのは、上に阿り、下を顧みないことだからです。
 顧客の意向をソンタクせず、逆に、銀行の意向を顧客にソンタクさせる、その現実を認識するためには、まずは、銀行として、顧客の意向をソンタクすべきです。そうすれば、双方が相手をソンタクする馬鹿馬鹿しさが露呈して、顧客の利益の視点での対話へ移行せざるを得なくなるでしょう。同時に、金融庁の意向をソンタクすることを止めるべきです。そうすれば、金融庁との素直で建設的な対話へ移行するでしょう。こうしてソンタク病は完治するのです。
 
それでも、銀行のなかのソンタク病は残るのではないでしょうか。
 
 銀行の特異な文化を揶揄する作り話はたくさんあります。頭取のご下問として、第一に、金融庁は何といっている、第二に、他行はどうしている、第三に、で、うちはどうする、などという馬鹿な話です。
 別の例で、頭取が新聞記事に注目して、役員を呼んで、うちはどうなっている、と聞く、役員は部長を呼んで、うちでは、こういうのはないよな、と聞く、部長は現場を呼んで、頭取が心配しているので、今後、こういうのは控えろ、と指示する、こういう作り話が流布するのは、銀行のソンタク病を揶揄するためだけのことです。
 火のないところに煙は立たないという通りに、作り話の背景には、銀行の組織の病理として、滑稽ともいえるソンタク病のあることを強く推定させるわけです。そして、そのソンタク文化の形成に寄与したのは、間違いなく、監督官庁の意向をひたすらにソンタクし続けてきた銀行の特異な歴史なのです。
 そして、今、金融庁自らの手によって、ソンタク病は根絶されようとしているのですから、銀行も変わるでしょう。もしも変わらなければ、森信親金融庁長官のいうとおり、淘汰されてしまうほかないのです。
 
以上

 
 次回更新は、8月3日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/07/13掲載「銀行と顧客のなれ合いを断て
2017/06/29掲載「顧客に甘える金融機関は淘汰される
2017/03/09掲載「これが金融庁のいう顧客本位だ


森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。