企業が社是として法令遵守を謳うことには、「通抜け無用で通抜けが知れ」という有名な川柳と同じ滑稽味があります。法令遵守を強調しなければならないほどに、法令遵守ができていない現実があることを推認させるからです。
では、一定の危険を伴う事業分野において、顧客と従業員の安全は絶対要件であるにもかかわらず、それを敢えて企業理念の第一に掲げることも同様におかしいかというと、そうではありません。なぜなら、徹底した安全管理のもとでも、事故は避け得ないからであって、安全は、完全には達成し得ない究極の目標として、企業経営を導く理念になるのです。
それに対して、法令遵守は、適正な企業統治のもとで確実に完全に実現できることですから、理念的に追求されるものではあり得ずに、常に事実として達成されていなければならないのです。それを理念に掲げることは、馬鹿馬鹿しすぎて、滑稽に通じるわけです。
しかし、適正な企業統治のもとでも、個人の行動を完全には掌握できないので、法令違反を犯す人も企業からでてしまうのではないでしょうか。
適正な企業統治のもとで、使用者としての企業の責任が問われない限り、即ち、企業の指揮命令系統にそった職務の遂行に関連したものでない限り、個人の法令違反は個人の責任であって、企業経営とは何らの関係もありません。問題にしていることは、あくまでも、企業としての法令遵守であり、企業の責任なのです。
運送業者のなかには、トラックに法定速度遵守のステッカーを張っているものがありますけれども、これも滑稽ですか。
法定速度遵守で走ると後ろの車に煽られかねない現実のなかでは、法定速度遵守は、事実として守られている規範ではなくて、理念的に守られるべき規範なのです。これは困った現実ではありますが、現実は現実として受け入れるほかなく、ならば、法定速度遵守のステッカーは、少しも滑稽ではなく、真面目で立派な企業理念の表明として機能しているといわざるを得ません。
そうしますと、車の速度制限のように、法令遵守が徹底しない領域でのみ、法令遵守は、滑稽なものではなく、真面目な理念として意味をもつわけですね。
かつて、法令遵守というよりも、それを片仮名にしたコンプライアンスという言葉が金融界を席巻しましたが、車の速度制限というほどではないにしても、遵法精神の弛緩という意味では、似たような状況があったからでしょう。ところが、現在では、金融界の法令遵守は実によく行き届いていますから、今更、それを強調することは滑稽の極みです。それほどに、今や、金融界は清く正しいところなのです。
法令遵守の面で清く正しいことは、必ずしも金融機能が顧客の利益の視点で優れていることを意味しませんよね。
日本が力強く経済成長をしているころには、労働争議は珍しくなく、特に日本国有鉄道の労働組合は戦闘的でしたから、よく通勤電車を止めたものです。しかし、国有企業の労働組合ですから、ストライキをするわけにはいきません。そこで、戦術として利用されたのが遵法闘争です。なんと、法令遵守の徹底が事実上のストライキと同じ効果になるというのです。
つまり、法定等の規則上の安全確認等の諸作業があって、それを過剰なまでに杓子定規に徹底的に行うと、膨大な時間を要し、結果的に、電車の運行が大幅に遅延してしまい、事実上、ストライキで電車を止めたのと同じ効果になるということです。これは、意図的に労働組合本位で徹底した法令遵守を行うことで、著しく顧客本位に反した帰結を導く極端な事例です。
同様に、金融機関の法令遵守の徹底の裏にも、疑い得ない傾向として、監督官庁である金融庁に対する防御的姿勢、顧客との紛争の回避、紛争が起きたときの訴訟上の防衛策等、金融機関本位の行動様式があるのであって、故に、遵法闘争とは大きな程度の差があるとはいえ、同様に、顧客本位に反する面を否定できないわけです。
法令遵守の弊害ですか。
法令遵守は、自然なものでなければなりません。もちろん、法令の背後にある主旨の理解については自覚的でなければならないのですが、主旨に基づいて行動するときには、素直で自然でなければならないのです。逆に、法令の主旨に対する自覚が欠けていたり、自己の利益のために意図的に主旨に反した解釈を行ったりしていたのでは、法令遵守は、単なる形式的行動にすぎなくなり、不自然な技巧に堕すわけです。
法令遵守の形式的な徹底による弊害として、二つ類型を指摘できます。第一は、法令を形式的に遵守さえしておけば、あとは、法令の主旨に反したことも含めて、何をやってもいいと考える積極的な逸脱、第二は、逆に、法令を形式的に遵守さえしておけば、あとは、法令の主旨に反する事態になっても、何もやらなくていいと考える消極的な逸脱、この二つです。
二つとも、法令遵守を最低限の要件にしてしまっていることが問題なのですか。
いいえ、法令遵守が最低限の要件であることに間違いはありません。問題なのは、最低限のことからは、何らの企業価値も生まれないことであり、逆に、最低限にとどまるなかで、法令の主旨から逸脱していけば、法令の主旨が正しい限り、いずれ必ず企業価値の崩壊を招くということです。つまり、企業価値は、最低限のことを当然の前提としたうえで、最善を理念的に追求するところからしか生まれないのです。
わかりやすい事例は、東京電力の福島第一原子力発電所の事故です。東京電力においては、当時の原子力安全基準を最低限の要件とする法令遵守が行われていたのです。そのことを積極的に否定する証拠は、現在に至るも、示されていません。しかし、同時に、安全確保のために最善を尽くしていたことも証明されていないのです。ひとつ明らかな事実は、結果として、東京電力の企業価値が崩壊したことです。
安全基準の維持が安全への努力を怠らせる結果を招いたという皮肉ですね。
原子力事業においては、真の安全は、最低限の基準によってではなく、常に最善を目指して基準を引き上げていくことを指導する理念によってしか、実現できません。絶対確実な安全は存在し得ないのであって、安全基準とは、技術的制約と経済的制約のもとでの相対的な合理的妥当性を有するものとして、策定されるにすぎないのですから、安全基準を最低限の要件にして、そこに安住することは許されないわけです。安全神話とは、最低限に安住することであり、最善が固定して動かないとの錯覚、あるいは慢心に陥ることなのです。
最善は、スポーツの記録と同じように、今の最善でしかなく、明日には、ひとつ上のところに最善が引き上げられていくべきものです。スポーツが最善を引き上げ続ける果てしない努力の連続なら、企業経営も、原子力事業の安全確保も、理念的には、全く同じことです。
最善の追求は、達し得ない理想へ向けた無限の前進です。その果てしない努力を導くためには、強い指導理念が必要であり、指導理念のもとに統率された行動原則が必要なのです。企業とは、その行動原則のもとに所属員が統制されている組織のことにほかなりません。
金融機関経営についていうならば、ここ数年、金融庁が熱心に説いてきたことですね。
金融界では、金融庁も含めて、片仮名が氾濫しているのですが、上に述べた理屈は、金融庁の用いる用語で表現すると、次のようになります。
金融機関は、ミニマムスタンダードとしての法令遵守にとどまることなく、顧客本位の貫徹と、その結果として生まれる顧客との共通価値の創造を指導理念に掲げ、プリンシプル、即ち行動原則を確立し、そのもとで、ベストプラクティス、即ち顧客の利益の視点での最善を追求することにより、金融機関としての企業価値の増大に努めるべきである、と。
実際、現在の金融行政を象徴している概念は、金融仲介機能についていわれる事業性評価に基づく融資にしても、資産運用関連事業についていわれるフィデューシャリー・デューティーにしても、顧客の利益の視点で最善を尽くすための理念的指針なのであって、具体的行動は、全て金融機関の自発的な創意工夫に委ねられているわけですから、何をしてはならず、何をしなければならないかが明確に定まっている法令遵守とは完全に異なるものとなっているのです。
実は、かつて、金融庁は、コンプライアンス、即ち法令遵守を非常にうるさくいっていたのです。ところが、その結果として、確かに金融機関の法令遵守は見事なほどに徹底されるようになったのですが、肝心の金融機能のほうは少しも高度化しなかったのです。そこで、森信親長官のもとで、ミニマムスタンダードからベストプラクティスの追求へと、大胆な路線転換が断行されたというわけです。
指導理念が顧客の利益ということですと、金融庁の理念としては理解できますが、金融機関の立場からは受け入れ難いものではないでしょうか。
金融庁は、顧客との共通価値の創造といっています。共通価値なのですから、顧客の利益は、同時に、金融機関の利益です。この理屈は、もっとわかりやすく、近江商人の「三方よし」に譬えられていて、実のところ、金融庁がいうのもおかしいくらい、持続可能性のある商業の基本に忠実なものなのです。企業価値とは、何よりも、持続可能性のある事業構造に立脚するものです。そして、持続可能性が顧客との共通価値の創造に基づくことは論を待ちません。
日々変化する環境のなかで、金融機関の事情は変わらなくとも、顧客の事情は変化するとき、共通価値の創造が行われるためには、顧客の事情に合わせて金融機関が変化しなければなりません。そのとき、金融機関のなすべきことは、事前に定められたものであることはできず、顧客の事情に合わせて、顧客の利益の視点に立ったうえでなされる創意工夫になります。この創意工夫には終わりがなく、常に最善を求めて革新が続けられなくてはならないわけで、その努力の絶えざる積み重ねが金融機関の企業価値の成長をもたらすということです。
2016/05/26掲載「金融機関にとっての規制遵守のインセンティブ」
2015/11/19掲載「ルール遵守は金融機関の自己保身」
2014/12/25掲載「ルール遵守で馬鹿になった金融機関」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。