金融機関が顧客に質問して正しい答えを得る方法について

金融機関が顧客に質問して正しい答えを得る方法について

森本紀行
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顧客からの質問に対して商人が正しく答えないと、商業はなりたちませんが、逆に、商人が顧客に質問をしたとしても、顧客には質問に答える理由など全くないのです。今、金融界では、顧客本位の徹底の名のもとに、顧客の欲しいものを聞きだして、それに適切に応えようとする動きがありますが、顧客からまともな回答を得られると思っているところで、既に、勘違いがあるようです。
 
 金融庁が3月30日に確定公表した「顧客本位の業務運営に関する原則」の第六原則は、「金融事業者は、顧客の資産状況、取引経験、知識及び取引目的・ニーズを把握し、当該顧客にふさわしい金融商品・サービスの組成、販売・推奨等を行うべきである」と述べています。現在、金融機関は、順次、この原則に対応した自社の行動原則を策定して公表している過程にあります。
 この原則の正しさについては、全く疑う余地はないでしょうが、問題は、金融機関は、いかにして、「顧客の資産状況、取引経験、知識及び取引目的・ニーズを把握」できるのかということです。これができなければ、そもそも、原則が正しくても、原則の履行は不可能になるのです。この点については、大きな盲点というか、金融庁も金融機関も、顧客に聞けばいいと思っているようですが、聞いて正しい回答が得られると考えるのは、とんでもない勘違いです。
 
なぜ、顧客は正しく答えないのでしょうか。
 
 金融の常識、世の非常識というくらい、金融界の発想はおかしいのです。商業の一般原則に遡って考えれば、すぐにわかることです。顧客は、欲しいものがあるときは、商人に聞くのであって、商人が顧客に聞くことなど、原理的に、あり得ないのです。つまり、需要が先にあって、需要に応えるのが商業である以上、商人は黙って需要に応えればいいのです。
 実際、具体的に欲しいものが決まっている顧客は、それが店にあるかどうかを聞きます。聞かない顧客に、何かお探しですかと聞けば、正しい答えを得られるのは当然ですが、それは、聞くまでもないことを聞くからです。それに対して、欲しいものが具体化していない顧客に、何かお探しですかと聞いても、見ているだけですとかわされます。つまり、どちらにしても、何かお探しですかと聞くことには、意味がないのです。
 飲食店で、注文を聞くのも同じことです。聞かれなくとも、顧客は食べたいものを注文します。注文を自分で決められない顧客は、最初から店に入ってきません。一般に、商業では、商人が顧客に聞くことによっては、何らの新しい需要も生まれず、既に顧客のなかにある需要が確認されるだけです。商人は、単に、その需要に黙って適切に応えればいいのです。
 
トンカツを注文した顧客に健康状態を聞くことは商業の常識に反するわけですね。
 
 金融機関が顧客に「資産状況、取引経験、知識及び取引目的・ニーズ」を聞くことは、飲食店が顧客に健康状態を聞くことと同じです。健康状態を聞くことは、その前提として、健康にとって望ましくない注文を拒絶することも想定しているはずです。こうした姿勢は、間違いなく顧客本位ではありますが、これほど、商業の常識に反したこともありません。
 要は、あからさまにいって、顧客本位というのは、原理的に、余計なお世話、おせっかいであり、しばしば無礼なことなのです。金融機関は、まずは、この顧客本位の商業の常識に反した本質を理解することから始めなければなりません。そのうえで、商業の常識に適った顧客本位を考えなくてはならないのです。
 
最近では、メニューにカロリーやアレルギー成分を表示したりしますね。
 
 飛行機の機内食では、そうした表示は珍しくないようです。しかし、それは、顧客の選択の範囲が狭いからで、普通は、顧客のほうで、自分なりの健康管理をして、自分の意志で、店を選び、食べるものを決めているはずです。それで健康管理上の問題が生じない程度には、誰でも食品に関する知識をもっているのです。
 
要は、問題は顧客の知識だということですか。
 
 顧客が商品を知っているから、商人は顧客に聞く必要がないのです。それに対して、顧客本位は、顧客の無知や誤解の可能性を前提にしています。実際、例えば、男性が女性用の商品を購入しようとしているときは、商人は念のために確認の質問をするでしょう。これは商業の常識に適った顧客本位です。
 金融庁が顧客本位をいうときは、間違いなく、顧客の無知や誤解の可能性を念頭に置いているのです。しかも、おそらくは、金融機関は、ときに顧客の無知や誤解を利用し、自分にとって都合のいいものを押し付けているのではないか、そういう疑念を金融庁が抱いていることも間違いないでしょう。顧客本位の徹底というとき、金融機関には、積極的に顧客の誤解を解き、顧客を賢くする義務があるのです。
 
顧客本位は、飲食店がアレルギーを確認するときには、商業の常識に適っても、健康状態を聞くとなると、どうにも商業の常識には収まらないようですが。
 
 金融庁がいうように、金融機関が「資産状況、取引経験、知識及び取引目的・ニーズ」を聞くことは、顧客の無知や誤解の可能性について確認することを大きく超えていて、顧客本位ではあっても、それを商業の常識のなかで実現するとなると、かなり難易度の高い話法の実践が求められるでしょう。
 例えば、資産状況を聞くことは、社会通念上、極めて無礼なことであって、直接的な質問は不可能でしょう。そもそも、顧客の側に答える必要性が全くないのですから、聞いても無駄です。もっとも、世の非常識が罷り通る金融界ですから、真面目くさって本当に聞いてしまう馬鹿な金融機関もでてきそうですが。
 
では、顧客から必要な情報を上手に引き出すには、どうしたらいいのでしょうか。
 
 それを考えるのが金融機関の経営者の仕事です。金融庁が求めているのは、顧客本位なビジネスモデルの構築であって、顧客本位な作文を書くこと、森信親長官の言葉を借りれば、口先だけで顧客本位をいうことではないのです。金融も商業です。商業の原則のなかで、顧客本位を実現すること、それがビジネスモデルの構築です。
 残念ながら、金融界においては、この辺の理解が十分ではないようで、口先だけで顧客本位をいうところが多いようですから、そういうところは、馬鹿のように、顧客の資産状況をあからさまに聞いて、嘘の答えを得るなり、顰蹙を買うなりしても、とりあえずは義務を果たしたことだからと安心して、旧態依然たる営業話法を展開するわけです。
 それは、それでいいのです。これも、森長官の言葉を借りれば、駄目な金融機関は淘汰されていくだけなのですから。顧客本位なビジネスモデルを構築できた金融機関だけが成長し、繁栄していけばいいのです。変革とは、片や淘汰され、片や淘汰するという生存競争に他ならないのです。
 
そうはいいましても、何かヒントというか、示唆はないのでしょうか。
 
 二つの方向にしか、答えはないのでしょう。第一は、直接に聞くことができなければ、間接的に知る方法を工夫することであり、第二は、顧客の側に情報を提供する利益誘因を作ることです。
 実は、第一の方向性は、フィンテックの一つの重要な領域です。金融機関が対面で能動的に聞くから、顧客が答えない場合でも、金融機関が単にシステムを提供するだけで受動的な立場にとどまるならば、顧客は能動的に情報を入力する場合があると予想されるのです。要は、機械は口をきかないし、手も出さないから安心というわけです。
 それにしても、この背後に、口をきき手も出す金融機関が顧客から少しも信用されていないと前提にされているのだとしたら、恐ろしいことです。顧客本位なビジネスモデルの構築というのは、まさに、金融機関が顧客の視点で徹底した自己反省を行うことの先にしかないのです。
 また、これもフィンテックの重要な要素ですが、顧客の「資産状況、取引経験、知識及び取引目的・ニーズ」は、別に入手可能な全く異なる多様で多量なデータを用いて、ある程度は推測推計できると予想されるのです。例えば、消費が所得の関数なら、消費から所得が推計可能だろうというわけです。
 
フィンテックで金融機関の人の多くは失業するという話ですね。
 
 そう考えるのは早計です。金融のように生活に密着した領域では、人間にしかできないことが多いのです。フィンテックにできることを全てフィンテックにさせるとき、逆に、人間にしかできないことが明瞭になり、そこに人間の無限の成長の可能性が開かれてくるのです。
 人間にしかできないことは何か、それは顧客の心を開かせることでしょう。資産状況を直接に聞くことは、顧客の心を閉ざさせます。別な話題や接客態度から顧客の心が開いてきて、資産状況にたどり着く、その過程に、金融機関に働くプロフェッショナルとしての能力の発現があるのです。金融機関の経営者の仕事は、そうしたプロフェッショナルが育つ風土と文化を醸成することにつきます。
 ここでも、変革とは、片やフィンテックで淘汰される人があり、片や真の顧客本位なプロフェッショナルとして成長する人があることを意味するのです。
 
情報を提供する利益誘因とは、どういうことでしょうか。
 
 それは簡単なことで、正しい情報を提供すれば、より優れたサービスを受けられるという保証です。最善で最適な治療を受けるために、患者が何ひとつ隠すことなく症状の全てを医師に申告するのと同じように、最善で最適なサービスの提供を金融機関が保証すれば、顧客は全ての情報を提供するのです。
 実は、金融庁の原則の第二番目には、「金融事業者は、高度の専門性と職業倫理を保持し、顧客に対して誠実・公正に業務を行い、顧客の最善の利益を図るべきである。金融事業者は、こうした業務運営が企業文化として定着するよう努めるべきである」と書かれています。この原則は、まさに、先に述べたプロフェッショナルが育つ風土と文化の醸成と、ここで述べた最善で最適なサービスを提供することの保証とを、まとめて表現しているのです。
 
フィデューシャリー・デューティーの要諦ですね。
 
 フィデューシャリー・デューティーとは、煎じ詰めれば、専らに顧客の利益のために最善を尽くす高度な義務ということであって、顧客本位原則の主旨は、この義務の履行を金融機関が顧客に確約する旨を宣言することにあるのです。
 顧客に確約したことは確実に履行されなければならない、それができない金融機関は、当然至極のこととして、顧客が離反していくことで淘汰される、いや、淘汰されなくてはならない、淘汰されないなら淘汰される環境を整備する、これぞ森信親長官が強力に推進している金融行政の課題です。
 
以上

 
 次回更新は、9月21日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/07/27掲載「銀行にみるソンタク文化の病理
2016/10/06掲載「投資を難しくみせておいてから、説明と称して騙すこと
2016/09/29掲載「投資教育が欺瞞的営業にならないために
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。