金融のプロフェッショナルを目指す働き方改革

金融のプロフェッショナルを目指す働き方改革

森本紀行
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金融庁がいう顧客本位を徹底していくと、金融機関本位が消滅して、金融機関に働くプロフェッショナル本位が現れてきます。なぜなら、金融とは、顧客と、顧客を担当する金融のプロフェッショナルとの間に、共通価値を創造することだからです。そこに創造された価値は、結果的に金融機関の利益となるのです。金融機関は、ついに、主役の地位を顧客とプロフェッショナルに譲り渡す、これが顧客本位の本質です。
 
 病院は場所です。場所は主役ではなく、主役は患者と医師であって、医療は、健康回復への強い意思をもつ患者と、専門的知見と患者への思いやりをもつ医師との協働なのです。しかし、医師は、最善の医療を患者に提供するために、看護師、医療機器、医薬品、診療記録のデータベース、事務基盤等の様々な資源を必要とします。病院は単なる場所ではなくて、それらの資源を供給する装置でもあります。
 医師は、専らに顧客の利益のために専門的知見の全てを用いて最善を尽くす義務、即ちフィデューシャリー・デューティーを負うものの代表格です。医師は、専らに顧客の利益のために働くという意味で、フィデューシャリーですが、同時に、高度な専門的知見をもつ職業人という意味で、プロフェッショナルです。病院は、医師がフィデューシャリーとして、プロフェッショナルとして職務を遂行することを支援する装置なのです。
 
金融機関は、いわば病院のようなものだということでしょうか。
 
 顧客本位を病院になぞらえて表現すれば、金融機関の人は、医師のように、フィデューシャリーとして、専らに顧客の利益のために働き、金融のプロフェッショナルとして、専門的知見の全てを傾けて最善を尽くす義務を負うということであり、金融機関は、病院のように、顧客のために働く人が義務を履行できるように、必要な資源を供給する装置だということになります。
 金融は特殊な産業で、目に見えるものは何もなく、抽象的な金銭の権利関係だけが取引されています。現に顧客に見えているものは、金融機関に働く人だけなのですから、金融にとって、顧客本位な業務運営を担うのは、金融機関ではなくて、金融機関で顧客のために働いている人であるわけです。
 金融庁が公表している「顧客本位の業務運営に関する原則」も、最後の第七原則において、「従業員に対する適切な動機づけ」を求めていて、金融機関に働く人を顧客本位に動機づけることで、金融機関としての顧客本位が実現することを前提としています。そして、残りの六原則は、いわば装置としての金融機関のあり方、即ち、金融のプロフェッショナルに対して資源を供給する方法の適正化を規定したものとみることができます。
 
医師は独立したプロフェッショナルとして医療に従事しているのに対して、金融機関に働く人は被用者として金融機関に従属して働いているわけで、その差は本質的ではないでしょうか。
 
 その通りで、それだからこそ、金融よりも大きな政策課題として、政府は働き方改革を推進しているのです。ここでは何よりも、働き方という表現が選択されている点に着目すべきです。企業を主語にして雇用改革にするほうが自然なのに、そこを敢えて働く人を主語にして働き方改革としたことは、深い含意をもつものと考えなくてはなりません。そして、働くことは生きることの一部にすぎないのですから、真の働き方改革は各人の生き方改革を前提としていることも見逃せません。
 医師や弁護士のようなプロフェッショナルは、自分の生き方の問題として、職業選択しているのです。おそらくは、その職業につくことを夢見てきた人が多いのでしょう。まさに、職に就くという真の意味において、就職しているのであって、病院や弁護士事務所に就職しているわけではないのです。
 それに対して、被用者は、真の意味において就職しているわけではなくて、勤め先を選択しているだけです。しかし、勤め先の選択においては、程度の差こそあれ、その製品やサービスに社会的意義を認め、また、そこに自己実現の要素を見出していることも事実でしょう。そうでなければ、生き方改革を前提とした働き方改革はなりたたないはずです。
 
金融機関に働く人は、金融の社会的意義に惹かれて、就職したといえるのでしょうか。
 
 さあ、どうなのでしょうか。もしも、単に相対的な給与水準の高さや企業としての安定性に惹かれて金融機関で働いているのだとしたら、金融庁のいう顧客本位など、現実的な意味をなさないのではないでしょうか。
 やはり、金融の社会的意義に惹かれている人も少なからずいると信じたいところです。実際、大学を出て銀行等に就職した人のうち三年以内に退職している割合が高いともいわれていて、金融機関に期待していたものと、現実に見出したものとの乖離があることを窺わせますから、顧客本位な経営改革により、期待を裏切らないことが大事です。
 また、顧客本位の徹底により、改めて、金融の社会的機能の本質を再発見する人もでてくるでしょう。金融庁が求めている「従業員に対する適切な動機づけ」とは、処遇制度等の経済的な誘因だけを意味するのではなくて、より多く、金融の社会的意義に忠実であることの教育でなければならないと思われます。
 
しかし、金融に限らず、産業界全体として、働き方改革の本質が理解されているとはいえないのではないでしょうか。
 
 働き方改革は、働かせ方改革としてしか、理解されていないようです。しかも、企業の利益の視点で、残業代の削減として、とらえられている観すらあります。
 そもそも、働き方改革は、金融を代表格とするサービス産業や、製造業等における管理サービス部門の生産性向上のための施策なのですが、それが機能するためには、作業の意味の回復が必須のはずです。なぜなら、生産性が低いということは、価値創出につながらない作業時間が多いということであり、それはとりもなおさず、意味のない作業が多いということだからです。
 働く意味の回復は、働く人が自分自身で意味を発見することでなければならないのですから、経営の指示によっては達成できないわけで、故に、働く人を主体とした働き方改革が求められるということです。労働時間の短縮は、五時の定時退社の励行というようなルールによって量的に実現するものではなく、働く人のプリンシプル、即ち行動原理の改革によって質的に実現しなければならないのです。
 
金融の場合、有名なコンプラ疲れのようなことが生産性を引き下げているのですね。
 
 コンプライアンスとは、法令遵守のことですから、徹底されて当然なのですが、法令の主旨に反した過剰対応は、コンプラ疲れといわれて、無意味な仕事の代表例になっています。法令の主旨は、いうまでもなく、顧客の利益の保護にあるわけですから、金融庁が顧客本位の徹底という法令の主旨にたち返った施策に転じた以上、コンプラ疲れこそ、真っ先に一掃されなくてはならないものです。
 なによりも、コンプラ疲れの問題点は、本来の主旨である顧客の利益の保護から逸脱して、金融機関の保身をはかる目的が優越していることです。このような作業に多くの時間をとられることは、働く人の士気を著しく低下させるに違いありません。顧客本位の徹底による働き方改革とは、顧客の利益の視点で仕事の意味を回復することなのです。
 
顧客本位を新たな規制だと誤解している金融機関も多いのではないでしょうか。
 
 おそらくは、残念なことに、金融庁が公表した七原則を新しい規制だと誤解している金融機関が多いのですし、そういう金融機関に限って、働き方改革も五時の定時退社の励行だと誤解しているのです。しかし、もはや、どうでもいいことです。金融庁は、顧客本位の本質を理解できない金融機関は淘汰されればよいとしていて、関心の埒外に切り捨てているからです。
 
ところで、金融機関に働く人の全てがプロフェッショナルということではないですよね。
 
 それは当然で、病院に働く人の全てが医師でないのと同様です。しかし、多くの金融機関においては、一枚岩人事となっているので、建前としては全員が医師ということでしょうが、現実は、全員が看護師、むしろ全員が医療事務員のような病院になってしまっているのです。そこで、顧客本位の徹底の前提として、金融機関の人事組織の抜本的な改革は不可避であろうと思われます。
 たちどころに問題となるのは、人事異動です。金融機関の人事異動は、一枚岩人事を前提とした金融機関の自己都合でなされているので、顧客の立場から見れば、担当者が頻繁に交代するという不都合な事態となっているのです。
 顧客本位を徹底すれば、金融のプロフェッショナルを育成して、長く顧客を担当させることになるほかないわけですが、それを本人が望むかという問題、長く同じ人に担当させると顧客と親密になりすぎて不正の温床になるのではないかという古典的な懸念など、人事異動だけでも多くの問題を生じます。
 
具体的に、どのような組織構造になるべきなのでしょうか。
 
 そこを考えるのが経営者の仕事ですが、見通しを述べれば、今後の金融機関は、顧客を直接に担当する前線のプロフェッショナル軍団、それを目指して修練を積むプロフェッショナル予備軍、それらを支える装置としての機能に従事する人というふうに、階層人事を導入するほかないのではないでしょうか。
 その場合、最大の眼目は、経営職層の登用方法でしょう。おそらくは、プロフェッショナルとして優れた業績をあげている人は、どこかで、経営職層への転身を志向するか、そのまま現場で顧客密着のプロフェッショナルを続けるかの選択をすることになるのではないでしょうか。そして、経営基盤としての事務管理部門の人にも、プロフェッショナルへの転向や経営職層への道を確保するなど、制度上の細かな対応が必要になると思われます。
 そして、なによりも大切なことは、どの立場で仕事をするにしても、公正な処遇が約束されていることです。その処遇の仕組みを概念化すれば、基本は顧客との間で創出され共通価値におかれて、プロフェッショナルは、その創出への貢献度を基準に評価され、金融機関は資源を供給した対価を要求し、それを資源供給に従事した人に公正に分配し、残余を金融機関自身の利益とすることになるでしょう。
 
以上

 
 次回更新は、10月26日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/08/03掲載「金融界よ、法令遵守の迷妄から目覚めよ
2016/03/10掲載「金融機関の規制されたがり病の克服について
2015/07/02掲載「投資のプロフェッショナルとは何か
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。