投資は、いかに合理性を追求したところで、不確実な未来に対する賭けの要素を払拭することはできません。賭けの本質は、定義により、合理的根拠を欠いた決断であって、結果は運です。運の帰趨がどうなろうとも、個人の自己責任のもとでの判断なら、自分の財産のことですから、誰に苦情をいう筋合いでもなく、損をしたところで社会的な問題になりようもありません。
ところが、組織として投資判断をするとなると、運に左右されることに変わりようがないのに、結果は社会的責任のもとで負担されるのですから、運の帰趨は深刻な問題を生起させる可能性があります。この点、投資とはいっても、個人が自己責任で行うものと、業務として組織的に行うものとでは、根本的に異なるのです。もちろん、投資の技術としては共通することが多いのですが、それとても、社会的責任のもとで求められる技術的要件の充足を考えれば、本質的に異なるといってもいいでしょう。
組織として行う投資にも、法人の自己財産の運用と、投資運用業者が業として行う他人財産の運用とがあり、二つは本質的に異なるようですが。
自己財産の運用とは、運用の意思決定をするものと、運用の経済的成果が帰属するものとが一致していることを意味します。個人が自分の判断で自分の財産を運用する場合こそ、自己財産運用の典型です。
法人も自己財産を運用しますが、その意思決定を行うものは、法人ではなく、そこで資産運用の職務に従事する個人です。もちろん、運用成果は法人に帰属するのであって、担当の個人は結果責任を負うことはありませんが、当然のことながら組織人としての責任だけは負わざるを得ません。
投資運用業者は、法人として、他人の資産の運用を業務として行うものです。ここでは、法人の自己財産運用とは異なって、成果は他人である顧客に帰属して、投資運用業者には帰属しませんが、顧客に対する判断責任は、法人としての投資運用業者に帰属します。そこで、形式的には法人による組織的な意思決定を擬制するわけですが、実態としては所属員である個人の意思決定責任の集積以外にはあり得ないわけです。
こうして、法人の資産運用の場合は、自己財産の運用であろうが、投資運用業者のように他人財産を運用することであろうが、意思決定の構造においては、個人の意思決定の集積を法人としての意思決定に転換するために、適正に責任を配賦する組織論的な工夫を欠くことができないのです。
いわゆる投資のガバナンスの問題ですか。
投資の判断は、高度な専門的知見を要するわけですが、そうした経験なり能力は個人に帰属するほかなく、個人の判断を集積したものとしてしか、組織の判断は形成し得ません。そこで、個々の専門的な個人判断を組織の意思決定に統一集約することが必須の要件になるのですが、そのための組織設計、そのもとでの責任の配賦、配賦された責任が確実かつ有効に履行されるための組織運営のあり方は、いまどきの片仮名でいえばガバナンスといわれるのです。
意思決定組織、即ちガバナンスの機関をもつから、機関投資家と呼ばれるのですね。
法人の資産運用には、個人責任を組織責任へ転換するための装置を必要とし、それによって意思決定するわけですが、その装置は機関と呼ばれ、機関をもつ投資家は機関投資家と呼ばれています。そこには、自己勘定で資産運用を行っている銀行や保険会社等、年金基金等、各種財団などが含まれます。
投資運用業者も機関投資家ですが、そう呼ばれることは稀です。それは、機関投資家である年金基金等が投資運用業者の有力な顧客基盤になっているので、顧客としての機関投資家と区別するためであろうと思われます。
投資運用業者のような外部の専門家を起用して投資判断の一部を委任することも、ひとつのガバナンスのあり方だということですか。
投資のガバナンスのあり方には様々なものがあって、そこに多少の類型化が可能であるにしても、機関投資家の数だけ異なるものがあるといっても過言ではないでしょう。外部の専門性をもつ投資顧問会社を用いることもガバナンスの工夫ですが、その場合でも、委託の範囲等は自由に決められるのですから、多様な利用形態があり得るのです。
可能だというのなら、投資のガバナンスの類型化を試みてみましょうか。
類型化をする前に、ガバナンス構造を規定する軸というか、論点を整理するほうが有益でしょう。それらの複数の軸の選択と適用の優先関係から、多様なガバナンスのあり方が生成されてくると考えられるからです。
とりわけ重要なのは、投資の意思決定の階層化です。階層化とは、一般的に用いられている手法では、多様な投資対象を分類して少数の資産種類を作り、そのなかに小分類を作り、その下に個別の投資対象を配することです。
例えば、株式という資産種類のもとに日本株、外国株、中小型株などの戦略分類を置き、その各戦略のなかで個別の株式の銘柄選択を行うと考えれば、投資の意思決定は、総財産のうち、どの程度を株式に投資するかという資産配分の決定、株式のなかでの戦略配分の決定、戦略のなかでの銘柄選択の決定という三階層に分けることができます。
年金基金等においては、この三階層のうち、資産配分は自分自身で行い、銘柄選択の層は外部の投資運用業者に一任し、戦略配分は自分で行うこともあれば外部に委任することもあるというのが普通のガバナンス構造です。
資産運用において、資産・戦略配分の効果が圧倒的に大きな影響を総合収益に与えているはずですが、その最重要な判断を必ずしも専門家ではない年金基金等が行い、専門家のほうは重要性の低い銘柄選択を行うというのは、おかしくないでしょうか。
おそらくは、最重要な判断だからこそ、年金基金等の内部決定としているのです。確かに、自分の運命を左右する重要なことは自分で決すべきで、他に委ねることはできないのかもしれません。また、資産・戦略配分は、必ずしも多くはない資産・戦略分類のなかからの選択と配分比率の決定にすぎず、論拠の精緻な検討を除けば、それ自体としては簡単なことでもあります。
それに対して、銘柄選択は、非常に多数の投資可能銘柄を分析評価して少数に絞り込む作業ですから、付加価値が相対的に小さい割には面倒で手間がかかるので、外部委託に適しているわけですし、委託を受ける投資運用業者にとっても、多数の顧客から大きな資金を集めて業務を行うほうが規模の経済が働いて都合がいいのです。
そうしますと、ガバナンス構造を規定する軸には、費用効率もあるのですね。
銘柄選択の階層は、専門性が要求されるからこそ外部委託されるわけですが、費用効率の側面からも外部委託が適していることは見逃せません。そうすると、銘柄選択の付加価値は必ずしも大きくはないので、運用報酬を払ってまで行うのは割に合わないとする考え方もでてきて、銘柄選択を放棄し、資産・戦略配分に特化することも行われています。これがインデクス運用です。
純然たるインデクス運用にしてしまえば、年金基金等の内部で行う判断は、資産・戦略配分だけになり、小さな組織のなかで運用を完結することができ、全体の費用効率がよくなるとも考えられるのです。
付加価値の小さいところでは、費用効率優先の考え方が働くでしょうが、資産配分のように付加価値が大きくでるところでは、逆に費用をかけて内部資源を強化すべきではないでしょうか。
資産・戦略配分については、先に述べたように、簡単に済まそうと思えば済んでしまうものです。例えば、一番簡単なのは、横並びというか、平均的な配分に従うことです。例えば、年金基金なら、企業年金の平均はこうなっているとか、公的年金ではこうだとか、そういう統計は容易に入手可能なのですから、それに従っておけば、結果がどうなろうとも、資産運用の担当者としては、世間の一般的動向として説明できるので気が楽です。
実は、投資のガバナンスにおける最大の難問は、ここに存するわけです。運用担当者の判断責任が問われる限り、人間の性として責任回避に走り、投資の付加価値の積極的な追求は放棄される傾向をもつ、かといって、運用担当者の責任が問われないということでは、組織として運用を任し得ない、これは、なんとも困難な構造的矛盾ではないでしょうか。
ならば、経験豊かで腕に自信のある専門家を高給で採用すればいいのではないでしょうか。真のプロフェッショナルにとって、責任を負い、結果を問われることは、むしろ望むところではないでしょうか。
それがアメリカの大学等の財団の資産運用で広く普及している手法です。財団は寄付金等を原資にして設立された基金であって、英語でエンダウメントと呼ばれるので、この財団における投資のガバナンス構造は、エンダウメント・モデルの名で今では広く知られています。
エンダウメント・モデルでは、資産配分を統括する最高投資責任者を頂点にして、資産ごとに戦略配分を担当する複数の責任者がいて、その戦略を実現するのに一番相応しい投資運用業者の選任を行うのが一般的な形態です。
これらの運用担当者は、身分的には財団の職員ではあっても、意識としては独立した投資のプロフェッショナルとして生きている人であって、成果が伴わなければ職を失うことが前提となっています。なかには、財団の子会社として投資運用業の子会社を設立し、そこに専門家を帰属させて、財団から運用を委任する形態をとっている例もあります。
さらには、子会社としての資本関係で財団の資産運用を受託するのではなくて、完全に独立した投資運用業者として、運用能力だけで受託する例も多くなっています。これらの会社は、規模の小さな財団ではエンダウメント・モデルを採用すると費用が嵩みすぎて採算が合わないので、そのような財団を束ねて運用するための受け皿となっているのです。
投資とは、能力以前に、責任を負うことなのですね。
エンダウメント・モデルでは、専門家だから責任を負う、責任を負うから成果につながるという好循環を実現できる可能性があるのに対して、普通の機関投資家のあり方では、誰も責任を負いたくないので組織的無責任をもたらし、無責任だから成果につながる可能性が放棄されるという構図になりやすいのです。
ところが、エンダウメント・モデルの実現には、人材の確保という極めて困難な課題があり、その課題を乗り越えるためには運営経費が著しく嵩むという問題があります。さて、よりよい投資のガバナンスのためには、どこに活路を求めるべきか、ここに現代の資産運用の究極の問いがあるのです。
2016/02/10掲載「資産運用に携わる君よ、組織の反対を押し切れるか」
2016/01/28掲載「資産運用に携わる君よ、賭けているか」
2015/07/02掲載「投資のプロフェッショナルとは何か」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。