金融庁が昨年の11月10日に公表した金融行政方針には、「保険会社が社会・技術の変化に伴う新たな商品・サービスの可能性に対応し、成功事例を作っていくことは、持続可能なビジネスモデルの構築にもつながっていくものであり、新たな商品・サービスの開発に関しては、金融庁としても前向きに対応する」との記述があります。
このように、監督官庁が能動的に創造的革新を促し、それに必要な規制改革に積極的な姿勢を示すことは、極めて異例であって、ここにも金融の創造的発展を志向する森信親金融庁長官の意気込みを明瞭にみてとることができます。ただし、この好意的な激励が既存の保険会社に向けられたものかどうかは大いに疑問であって、むしろ、新規起業や異業態からの参入に期待を寄せたものかもしれないのです。
それほどに、既存の保険会社に対する評価が低いのでしょうか。
金融庁は、金融行政方針のなかで、「伝統的な国内保険市場の縮小が予想される中、収入保険料の量的拡大を前提とした現在の保険会社のビジネスモデルは、全体としては持続できない可能性がある」との前提のもとで、「持続可能なビジネスモデルの構築や事業戦略について対話」を行うとしたうえで、「どのような商品を顧客に提供していくか、どのようなリスクをとっていくかはあくまで各保険会社の経営判断であるが、顧客利便とともに、商品提供に伴うリスクとそれに対する資本の状況も踏まえた経営戦略について、深度ある対話を行っていく」としているのです。
これらの言及は、「保険会社が期待される役割を果たしていくためには、保険会社が将来にわたり健全性を維持することが必要」であるにもかかわらず、環境の劇的変化に対応できていない保険会社が持続可能性を喪失していけば、健全性の維持が困難になり得ることから、「商品提供に伴うリスクとそれに対する資本の状況も踏まえた経営戦略」などという保険会社経営の基本中の基本にまで遡った検証が必要であるとの金融庁の認識を示したものでしょう。
経営の初歩的なところに疑義があるということでしょうか。
金融行政方針では、「保険会社のガバナンスが有効に機能していない場合においては、経営トップの方針に対して社内での健全な牽制が働かず、契約者の利益や会社の健全性を損なうような事象が発生する可能性が懸念される。各保険会社に対するプロファイリングを行い、業務の適切性等を支えるガバナンスの実効性に懸念がある先に対しては、深度ある対話を行う」とすら書かれています。
こういう記載は、いうまでもなく、「業務の適切性等を支えるガバナンスの実効性に懸念がある先」が少なからず存在しているとの現状認識に基づくものですから、甚だ憂慮すべき事態があるわけです。他の金融業態に関する記述では、これほど厳しくは書かれてはいないのであって、金融庁において保険会社に特別に大きな問題性が認識されていることは明らかです。
それにしても、「ガバナンスが有効に機能していない」というのは、極めて深刻な事態ですね。
ガバナンスが機能していなければ、そもそも、「商品提供に伴うリスクとそれに対する資本の状況も踏まえた経営戦略」が合理的に策定されて適正に実行される可能性そのものがないわけです。そうした事態を放置すれば、顧客である契約者の利益が損なわれ、ひいては金融システムの安定性を揺るがすことにもなりかねないのですから、金融庁としても看過できないのでしょう。
特に過大な金利リスクが問題視されているようですね。
確かに、「我が国の生命保険会社各社は、伝統的に定額個人年金保険や終身保険に代表される「超長期・固定金利商品」を主力としてきたことで、諸外国の生命保険会社に比べても、より大きな金利リスクを負っている」という非常に具体的な指摘があることは注目されます。これは、明らかに、仮に金利が上昇に転じた場合、過大な金利リスクが直ちに「会社の健全性を損なうような事象」につながり得るとの懸念を反映したものです。
しかし、金融庁は、金利リスクを特に問題視しているにしても、それだけを切り離してとりあげているのではありません。むしろ、問題事象の根本原因に遡って、「収入保険料の量的拡大を前提とした現在の保険会社のビジネスモデル」のもとで、大きな金利リスクを伴う「超長期・固定金利商品」を主力にしてきたこととの関連において、「商品提供に伴うリスク」という商品政策の次元での検証、即ち経営理念・哲学の確認を行う意向かと思われます。
理念なき経営という疑いですか。
新しい金融行政方針の最大の眼目は、「新たなコンプライアンス分野への対応」として、保険会社を含む全ての金融業態に対して、「利用者の保護・利便や市場の公正性・透明性の確保に積極的に寄与することが重要」であるとの認識が示されたことです。
「利用者の保護・利便」の視点で保険の商品政策を立案することは、即ち保険の真の社会的機能の提供にたちかえることですが、とりもなおさず、そのことは経営理念を確立することにほかならないわけです。逆に、経営理念なき保険会社においては、保険の真の社会的機能を見失い、短期的な収益課題から商品政策を立案することとなり、それが「商品提供に伴うリスク」管理の欠陥を招いて、「契約者の利益や会社の健全性を損なうような事象が発生する可能性」の根本原因をなしているわけです。
では、「利用者の保護・利便」の視点で考えるとき、「社会・技術の変化に伴う新たな商品・サービスの可能性」として、どのようなことが金融庁において想定されているのでしょうか。
それは、別の個所では、「長寿化の進展やIT技術の進化等の環境変化に対応した商品・サービスの提供」とも表現されています。ここには、長寿化とIT技術という二つの要素があるわけですが、保険会社の商品政策という意味では、長寿化が重要であり、「地方拠点における採算見通し等も踏まえた販売チャネル戦略」という面などからは、IT技術が重要なのでしょう。
長寿化については、金融行政方針にフィナンシャル・ジェロントロジー(金融老年学)という用語が登場していますね。
背景としては、金融庁は、「平均寿命の延伸傾向が続く中、高齢者が、長期にわたって不安なくゆとりある生活を維持していくためには、それぞれの状況に適した資産の運用と取崩しを含めた資産の有効活用が計画的に行われる必要があると考えられる」との問題意識のもとで、「退職世代の金融資産の運用・取崩しをどのように行い、幸せな老後につなげていくか」についての検討が必要だとしているわけです。
金融庁は、これまで、主として勤労層を対象とした資産形成を重視してきたのですが、新しい金融行政方針では、それに加えて新たに退職者層を対象とした資産取り崩しという資産形成の反対方向へも視野を広げていることは大いに注目すべきことです。
高齢者が安心して資産を取り崩して消費できるための条件整備が必要ですね。
「幸せな老後」のためには資産を計画的に取り崩して消費に充当できればいいのですが、そこで大きな障害になるのが余命のリスクです。いつまで生きるかは、誰にもわかりません。わからないから、長生きに備えて資産を取り崩すことができず、「幸せな老後」のための消費ができなくなっているのです。
このことは、高齢者が人口に占める比重の高さを考えるとき、その消費が経済に与える影響は大きいわけで、単に個人の幸せの問題ではなくて、経済政策の面からも看過できません。なにしろ、金融庁は経済の持続的成長と国民の厚生の増大を金融行政の目的に掲げているのですから、高齢者が安心して消費できる社会の実現は最重点の政策課題にちがいないのです。
安心、即ち、最低保障の下支えが不可欠であることから、保険の社会的必要性が生まれるというわけですか。
余命のリスクに保険をかけるということは、公的年金の上乗せとしての最低限の終身年金保険に、一定の医療費を保障する保険を付加することに帰着するでしょう。仮に、これらの保険を保険料一時払いで契約すれば、残りの貯蓄は、自己評価としての余命判断に基づき、一方で安定的に運用しつつ、他方で計画的に取り崩して、消費に充当することができるはずです。
こうした機能を一つの保険商品に構成すれば、例えば、一時払いの終身年金保険として、そこに年金額の逓減の要素を加えて、医療保障特約を付せばいいことです。しかし、その場合、顧客の利益の視点にたてば、保険要素ごとに適正な方法で原価が開示されて、適正な手数料のもとで、販売されなければならないことはいうまでもありません。
別に一つの保険に纏める必要もないですね。
複数の金融機能を一つの商品に統合することをバンドリングといいますが、保険では伝統的にバンドリングが多用されてきました。特に、貯蓄と保険のバンドリングは顕著です。先にあげた例示も、貯蓄と保険のバンドリングの変形にほかなりません。しかし、バンドリングには、顧客にとって不必要な機能まで保険会社の都合で付加したり、費用構造を不透明にしたりするなどの欠点があります。
そこで、顧客の利益の視点で透明性と利便性を高めるために、アンバンドリング、即ち機能を分化する方向が生じます。アンバンドリングされた機能は、改めて顧客の真の利益に適うように、リバンドリング、即ち再統合されればよいわけです。リバンドリングを行うものは、顧客自身であっても、保険の販売を行う銀行等であっても、その他の非金融機関であってもいいわけであって、保険会社である必要は全くないのです。
そこに、例えば、IT技術との結合の可能性もでてくるのですね。
金融行政方針には、「IT技術の進展等により、金融機関以外の主体が、従来金融機関が担ってきた機能を分解し、個別の機能に特化して提供(アンバンドリング)する動きや、顧客ニーズに即して複数の金融・非金融サービスを組み合わせて提供(リバンドリング)する動きが広がりつつある」との認識が示されています。
まさに、高齢者向けの貯蓄と保険のリバンドリングこそ、「長寿化の進展やIT技術の進化等の環境変化に対応した商品・サービスの提供」の代表例であり、そうした動きに対して、金融庁は、「金融庁としても前向きに対応する」といっているのです。
以上
次回更新は、1月18日(木)になります。
2017/06/15掲載「高齢者に対する正しい資産管理営業」
2017/05/11掲載「お金の貯め方改革と生き方改革」
2015/02/05掲載「保険の未来とバンドリングの高度化」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。