リスクテイクのテイクは、単にリスクをとることではなくて、明確な意図をもってリスクをとることです。この意図をもって自覚的にとることを簡潔に表現する適当な漢語がないので、片仮名のリスクテイクで定着しているのです。しかし、敢えて日本語を当てれば、意図的な企てという意味で企業です。企業は法人を意味するようになっていますが、原点において起業され、事業を企て、事業を営む法人だから企業なのです。
これに対して、リスク管理の管理とは、英語でいえば、コントロールもしくはマネッジであって、別の日本語を当てれば、制御、抑止、適正化等になるでしょう。管理されるリスクは、意図的にテイクされたリスクでないことは自明であって、そのリスクテイクに付随する意図しない諸リスクです。意図したものではなく、余計なものだから、ないほうがいいものとして否定的位置づけになり、故に、許容範囲内に制御されなくてはならないのです。
つまり、意図的にとるリスクは、事業の目的として、常に、不動の肯定的な位置づけを得るのに対して、事業に付随する諸リスクは、常に、事業目的の遂行を阻害し攪乱する要因として否定的な位置づけを得て、経営統制下に置かれ、一般には最小化が志向され、もしくは一定の許容範囲内に厳格に制御されるべきものとされます。この付随リスクの制御がリスク管理といわれる経営機能です。
従って、企業は、リスクテイクという攻撃的機能を担う部門を中核とし、そこから独立してリスク管理という防御的機能を担う部門があって、その相互牽制のもとで適正に経営されなければならないのです。
リスクテイクとリスク管理の峻別は可能なのでしょうか。事業とは、常に、混淆した諸リスクの管理なのではないでしょうか。
混淆した諸リスクは、混淆しているが故に、効率的な経営のためには、分解され、定義され、階層化されなくてはならないのです。そのとき、頂点にくるリスクがリスクテイクの対象になるリスクであり、経営の目的そのものなのであって、その余の諸リスクは、一つ下の階層のものとしてリスク管理の対象になるわけですが、更に、それらの諸リスクが経営に与える影響の重要性に応じて階層化されることで、リスク管理の体系ができるのです。
例えば、タイプライターを製造するというリスクテイクのもとで、生産管理上の諸リスク、販売上の諸リスク、財務リスク、輸出が主力なら為替リスク等の諸リスクは、一つ下の階層の付随リスクとしてリスク管理の対象となり、一般的には最小化が志向されるのですが、リスクテイクを直撃するリスクの顕在化、即ち、技術革新によりタイプライターの存在基盤が消滅するときには、事務の合理化事業というリスクテイクの高度化を通じて、コンピュータ、情報処理、AIというふうに事業構造を変革させていく、これが経営の本質なのです。
事務の合理化事業というリスクテイクが明確である限り、事業の表面的な内容が変わっても、同一顧客基盤という重要な経営資源の連続のもとでリスクテイクが逸脱なく一貫していることは明瞭ですから、こういう事態は多角化ではなく、リスクテイクの高度化と呼ばれるべきなのです。
リスク管理には、リスクテイクの一貫性の確認も含まれるのでしょうか。
企業経営にとって最も危険なことは、リスクテイクの逸脱ですから、その逸脱を監視する機能は必須の要件です。しかし、その監視機能は、リスク管理と呼ばれることはなく、企業統治、普通は片仮名でガバナンスと呼ばれています。組織的にも、リスク管理が執行部門に属するのに対して、ガバナンスは執行部門から独立した取締役会の機能になります。
リスクテイクは執行部門の専管事項ですから、ガバナンスは、リスクテイクが適正に行われている限り、その内容に立ち入ることはできませんが、逆に、リスクテイクの逸脱の可能性を認めたときには、ガバナンスは積極的に介入しなければなりません。リスクテイクの逸脱の監視こそ、ガバナンスにしかできない機能だからです。
リスクテイクの逸脱とは、具体的には、どのような事態でしょうか。
経営者が本業と何の連関もないことを何の準備もなく突然に始めようとしたら、あまりにも明瞭な逸脱行為として、当然にガバナンスによって制止されるでしょうが、現実には、極めて判定の難しいところでリスクテイクの逸脱の可能性が浮上してきます。その代表が業務範囲の拡張や多角化なのです。
例えば、燃料系の発電事業において、燃料上流を志向してガス田等の権益を取得することは、燃料価格変動という管理すべきリスクへの対応として説明されれば、発電事業のリスクテイクの貫徹にとって望ましいことのようであり、また、総合エネルギー業への展開として説明されれば、リスクテイクの高度化のようでもありますが、発電事業の外にでることには違いなく、否定的用語を用いれば逸脱なのです。
リスクテイクの逸脱とみなされない正当な業務範囲の拡張や多角化とは、どのようなものでしょうか。
リスクテイクは、意図的に行われるものであり、意図を実現するのに必要な経営資源の投入を前提とした行為です。リスクテイクの正当な延長とリスクテイクの逸脱とを分かつ要件は、この必要資源の投入の有無です。必要資源には、資金のほかに技術や知識等がありますが、後者は人材に集約されますから、資金と人材に帰着するのでしょう。
企業は、必要資源を適正に投入し、リスクテイクを科学的に貫徹することによってのみ、社会的責任を果たし得るのです。故に、リスクテイクが十分な必要資源を備えずに、いうなれば無謀になされることは、リスクテイクの逸脱として、ガバナンスの厳しい監視のもとで排除されなくてはならないわけです。
では、必要資源さえ投入すれば、複数のリスクテイクを並行して行うことも、適正なガバナンスのもとの企業経営として、許容されるのでしょうか。
複数のリスクテイクを否定する理由はなく、上場企業の場合、いわゆるコングロマリットディスカウント、即ち、企業全体の時価総額が各リスクテイクに対応した事業価値の合計を下回る事態になれば、非常に問題だというだけのことですが、一般にコングロマリットディスカウントは生じやすい現象ですから、問題になることは多いでしょう。
なお、複数のリスクテイクをリスク分散として説明することについては、リスクテイクが自覚的に意図的になされるものであることに鑑みると、疑問の余地があります。つまり、意図の分散などあり得るのか、意図とは集中ではないのかという疑問です。実のところ、リスク分散とは、リスクテイクに適用があることではなくて、むしろ、リスク管理の手法だと思われるのです。
リスク管理においては、リスクは適正に管理されればよく、必ずしも最小化される必要もないということでしょうか。
企業は本業のリスクテイクで利益をあげることをもって本旨とすべきですが、付随リスクにも利益化の可能性を認めるときに、その機会を厳格なリスク管理のもとで放棄することは、リスクテイクの純粋な貫徹として企業経営の本質に適うことなのか、それとも、最大利益の追求という企業経営の本質に反することなのかは、簡単には決し得ない高度な難問です。ただし、確実にいえることは、安易にリスク管理を緩和すれば、たちどころに経営の逸脱に陥る危険があるということです。
例えば、昭和のバブル期に流行した財テクは、実にわかりやすい事例です。事業会社にとって、財務リスク、為替リスク、不動産の価格変動リスク等は厳格なリスク管理の対象となるべきものですが、それらを意図的なリスクテイクの対象とすることは、明確な経営の逸脱行為として、ガバナンスによって断固として排除されなければならなかったのです。ガバナンスの機能には、リスクテイクの逸脱の監視に加えて、リスク管理の逸脱の監視も含まれるのです。
では、利益化し得る適正なリスク管理には、どのような要件があるでしょうか。
付随リスクの管理の原則は最小化であって、仮にリスク管理を通じて積極的な利益追求を行い得るとしても、ガバナンス上は、その要件を極めて狭く限定的に定めるべきだと考えられます。ここでも確実にいえることは、リスクテイクに起因する損失は社会的に許容されても、リスク管理に起因する損失については厳しい評価が下されるだろうということです。
なによりも困難な点は、リスク管理上は最小化すべきリスクを敢えてとることはリスクテイクにほかならないと考えられ、本質的にガバナンス上の問題があるということです。仮にリスク管理におけるリスクテイクが認められる場合があるとしても、そのために必要な経営資源の投入は必須の要件となるだけでなく、本業のリスクテイクとの間に合理的な連関のあること、あるいは逆に本業の攪乱にならないという意味で無関係であることが要件になるでしょう。
企業年金の資産管理にかかわるリスクは、適正なリスクテイクが求められる稀有な例外ですね。
金融庁が公表した「コーポレートガバナンス・コード」の改訂案には、企業年金にかかわる新たな原則が追加されて、そこで「運用に当たる適切な資質を持った人材の計画的な登用・配置などの人事面や運営面における取組み」が求められていますが、これは人的資源投入を促すことですから、適正なリスクテイクを前提としたことにほかならないでしょう。
「コーポレートガバナンス・コード」の改訂案にもみられるように、日本企業の多くは、「事業ポートフォリオの見直しが必ずしも十分に行われていない」、即ち、リスクテイク自体が明確でないという状態にあるわけで、経営改革の余地は大きいですね。
優れた企業の要件は、明瞭なリスクテイクの戦略の確立と経営資源の適正配置、リスクテイクの一貫性を監視するガバナンス、リスクテイクに付随する諸リスクの適正な管理、この三つが構造化されて効率的に機能していることにつきています。
金融庁は、ここ数年、金融機関に対しては、この要件にそった徹底した改革を求めてきていますが、逆にいえば、現状は理想からほど遠いということです。おそらくは、産業界の現状は、金融界よりも遅れているのでしょう。しかし、現状の問題が深刻であればあるほど、改革による成長余地が大きいのですから、日本の未来は極めて明るいということでもあります。
2017/03/16 掲載「東芝は消滅、東芝の事業は不滅」
2016/08/04 掲載「賢者のリスクテイク、愚者のリスク管理」
2015/06/04 掲載「「コーポレートガバナンス・コード」から抜け落ちている企業年金」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。