国民貯蓄の大きな部分が預金に滞留している理由については、非常に多くの要因が絡んでいるものと考えられますから、金融行政の施策として、預金が投資信託に移動していくための条件を整えることは、難しい課題だろうと思われます。もちろん、諸施策の総合が長い時間をかけて自然に効果を生んでいくのでしょうし、実際、既に多方面で施策が講じられているのですが、それだけでは当面の経済的効果は期待できないわけで、何か、即効性があって、かつ強力な方策が、金融の全体的動態を突き動かす起動因となる方策が望まれているのです。
預金に口座管理手数料を課すことが一番強力なようですが。
口座管理手数料に限らず、預金に不利益を課すことは、排除し得ない選択肢でしょうが、万策尽きた後の非常手段として、当面は禁じ手にしておくべきことです。なぜなら、現在の金融庁の行政目的は、金融構造改革によって経済の持続的成長をもたらし、もって結果的に国民の安定的な資産形成を実現させることなのですから、国民に不利益を課す施策ではなく、投資信託に移行することで国民に利益をもたらす施策が求められるのです。
投資信託に移行する利益をいう前に、先決課題として、投資信託に移行する不利益を除去することが必要ですね。
そのための施策が有名なフィデューシャリー・デューティーの徹底です。今では、フィデューシャリー・デューティーは顧客本位ともいわれていて、すっかり金融界に定着しています。定着とはいっても、精神的な心がけにとどまるところも多く、肉体的な行動の次元では、まだまだ課題が多いのですが。
さて、フィデューシャリー・デューティーの意味は、もはや周知のことでしょう。要は、投資信託の品質保証です。預金は、銀行等の自己資本の力で元本保証されていて、それで顧客の利益を守っているのですが、投資信託には元本保証がないのですから、それに替わる品質保証がなければ顧客の利益は守られません。この品質保証は、投資信託の運用や販売等に従事する全てのものが専らに顧客の利益のために最善を尽くして働く義務を負うということに収斂するわけであって、その義務がフィデューシャリー・デューティーなのです。
このフィデューシャリー・デューティーの履行が徹底されれば、これまで横行してきた問題事象、例えば、販売における手数料稼ぎを目的とした回転売買、真の投資収益よりも見かけだけ分配金を大きくして売りやすいようにする商品設計、提供されている役務に見合わない高額な手数料の賦課などはなくなっていくはずですし、現に、是正も進んでいて、少なくとも投資信託の不利益は解消されつつあるのです。
金融庁としては、まずは、フィデューシャリー・デューティーの徹底によって投資信託に移行する不利益を解消し、次は、分散投資の意義を強調して投資信託に移行する利益を訴えてきたわけですね。
それが積立NISAに象徴される施策ですが、ここで重要なことは、資産配分と長期積立の意義が強調されていることです。つまり、預金から投資信託に移行する際の決定的な問題点は、タイミングのリスクなのですが、投資領域の異なる複数の投資信託に分散して、長期にわたって小さな金額を継続投資していけば、タイミングのリスクを回避できるどころか、むしろタイミングのリスクを味方につけることができるというわけです。
いうまでもなく、こうした長期積立を奨励する施策は、勤労層、特に若年の勤労層を念頭においた老後生活資金の形成を主たる目的としたものであって、政策全体の整合性として、公的年金を相対的に削減させて、その補完を目的として自助努力を促すために税制優遇措置を導入するなかで、預金から投資信託の流れを作り出そうとするものです。
確かに、老後資産形成という目的に対しては、購買力の保存と逓増が鍵になるのですから、預金は不適切な投資対象であって、株式や海外へ幅広く分散投資することが望まれるわけで、それを小金額の長期積立で実現できる投資信託こそ、国民の利益に適うものなのです。
勤労層の長期積立では、残高において預金が減って投資信託が増えるのに時間がかかりすぎるようですが。
預金から投資信託という資金移動は、金融の中心を資本市場に移すことの帰結として生じることですけれども、米国では、その改革は1980年ころから始まって、長い時間をかけて今日の超巨大な投資信託の市場を形成するに至るのです。同様に、日本でも、時間をかければ、金融構造改革は実現するでしょう。しかし、日本の場合、金融構造改革によって産業構造改革を実現しようとしているのですから、即効性が求められているわけで、時間をかけることはできないのです。
投資信託が飛ぶように売れるなかで、預金を急速に減少させる方策が必要だということですか。
そこで、高齢者の預金です。そもそも、預金の多くは高齢者のものですから、短時間で、意味のある程度において、預金から投資信託への資金移動を起こすためには、この高齢者預金について有効な対策が必要なのです。
ところが、高齢者にとっては、積立型の長期的な資産形成など問題ではなくて、形成済みの資産の保全と計画的な取り崩しが課題です。この点については、金融庁も気付いていて、フィナンシャル・ジェロントロジーという片仮名の用語で問題群を総称していますが、施策として具体化されたものは未だ公表されていません。
おそらくは、日本の個人貯蓄において預金が大きな比重を占める理由は、高齢者の貯蓄が預金に偏在するからで、高齢者が預金を好む理由は、余命の長期化のなかで、将来の不安に対する備えとして、資産を保全しようとするからで、現在の物価上昇期待のもとでは、ゼロ金利の預金でも、目的に対して十分に合理的だからでしょう。従って、問題の本質は、この目的に対して整合的で、預金に勝てる投資信託を作ることでなければなりません。
高齢者に毎月分配型の投資信託が好まれるという点については、どう考えるべきでしょうか。
金融庁が資産の取り崩しというように、定期的に貯蓄から現金を引き出し、年金の補完にすることは、高齢者貯蓄の本質的な目的ですから、定期金の支払いに需要があることは当然であって、それが元本価値を守りつつ真の投資収益の分配で実現できるなら、理想の資産運用です。
しかし、理想の実現が至難だからといって、真の投資収益とは関係なく、名目を投資収益の分配として定期金を払うことは、極めて不当であり、真の投資収益がマイナスである場合には、詐欺といわれても仕方のないことです。こうした欺瞞的行為が横行してきたことに、日本の投資信託の問題があったのです。
そうしますと、論点は、元本価値を守りつつ定期金の支払いができる投資信託を作ることになりますか。
高齢者が定期金を得るためには、投資信託を定期的に解約すればいいことですが、それは資産運用の課題ではなくて、販売会社が顧客本位の徹底によって適切に助言して実現すべきことです。投資信託を運用する投資運用業者の課題は、元本価値を守ること、即ち購買力を保存することに尽きます。
こう考えると、現状、物価上昇期待がないなかで預金にとどまることに合理性があるとしても、経済構造改革が功を奏して、緩やかな物価上昇期待が生まれてくるとしたら、そして、ゼロ金利からの脱却が起こるとしたら、高齢者の投資目的に適う優れた投資信託を作ることによって、預金から投資信託への大きな資金移動が起きるのではないかと期待できるのです。
1%程度の期待収益率で元本価値の変動幅が小さい投資信託があれば、飛ぶように売れますか。
いつでも額面通りに引き出しできることが預金の最大の利点ですが、投資信託の場合、定期的に取り崩しをするときに、基準価額が元本価値を下回り得ることが難点です。しかし、基準価額が元本価値の前後で小さく変動している限り、都度に損益があっても平均化されますから、大きな問題にはなりません。この条件のもとで、諸費用を全て控除した手取りの期待収益率が1%を超えれば、極めて魅力的なものになります。
ただし、預金が好まれる一つの理由として、元本が保証されながら物価上昇に連動して金利上昇していくこともあるでしょうから、同様な期待収益率の上昇が見込まれる投資信託ならば、現状、1%を大きく下回っても十分に魅力的なはずです。要は、ハイリスク、ハイリターンなのですから、元本価値の期待変動幅との関係で、期待収益率0.1%から2%くらいまで、多様な投資信託を並べることが必要なのです。
作れますか、そのような投資信託を。
技術的に高度であることは間違いありませんが、不可能ではありません。もちろん、奇策はないのですから、全体が見通せないほどに広くて深い世界の資本市場において、適切な対象を選択し、それらに適切に分散投資するほかありませんし、元本価値の変動を抑えるために、為替リスクをヘッジしなければならず、圧倒的に巨大な米国ドルの市場において、そのヘッジコストが極めて高くなっていることが大問題だとしても、困難を克服して魅力的な投資対象をみつけることこそ投資運用業者の使命なのですから、その使命を全うするだけのことです。それがフィデューシャリー・デューティーの徹底ということの真の意味なのです。
逆にいえば、日本のなかでは作れないということでしょうか。
日本に限定して高齢者に相応しい投資信託を考えるとき、また勤労層の資産形成においてすら、分散投資の対象として公社債等の確定利回りの魅力ある資産が不可欠なのですが、現在の金利情勢のもとでは、そのようなものは存在していないのです。ここには、他に類をみない超巨大な債務者である日本国政府がゼロ金利の長期国債を発行できているという現実があり、それが指標金利となることで形成される金融構造の非効率があるわけです。
もともと、金融構造改革の目的は、この非効率の解消にあります。金融の市場化とは、煎じ詰めれば、企業の負債調達の主流を銀行等の融資から社債発行に転換させることであって、多様な満期において、それぞれの信用リスクに応じた社債が大量に発行されるようになれば、魅力ある社債の投資信託を作ることができます。この融資から社債への転換こそ、反対からみるとき、預金から投資信託への転換になるのです。
銀行の融資姿勢を変えない限り、変革は始まらないようですが。
銀行がリスクに応じない非効率な低金利の融資を継続する限り、企業にとって、社債発行をする実益は生じません。変革の鍵は、銀行自身の手によって、金融構造を変えることです。この点については、少なくともメガ三行においては、水面下で大変革が進行しているのではないでしょうか。なぜなら、圧倒的な市場影響力と総合力のもと、変革による最大の利益を得るのはメガ三行、より正確には、その持株会社だと思われるからです。
以上
次回更新は、6月7日(木)になります。
2018/04/26掲載「預金に勝てる投資信託はあるのか」
2018/03/15掲載「投資信託や保険なんてプッシュしなきゃ売れないだろう」
2018/02/15掲載「いかにして預金を減らすことができるか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。