破産したスマートデイズ社のシェアハウス事業に関連して、スルガ銀行の顧客が多額の融資を受けてシェアハウスのオーナーになっていたことが問題になっていますが、事案は調査途上にあって、全容と今後の対応は未だ明らかにされていません。しかし、同行が既に公表している調査報告からだけでも、そこに極めて重大な金融の逸脱現象をみることができます。
逸脱という意味は、スマートデイズ社の事業が少なくとも末期においては著しく詐欺的要素を帯びていたこと、そして、事実上、それにスルガ銀行が加担した結果になったこと、あるいは調査によっては事実上ではなくて意図的に加担したのかもしれませんが、とにかく、スマートデイズ社に深く関与したことが逸脱だというのではありません。そうではなくて、金融の本来の目的を逸脱していることが問題だというのです。
金融の原点にたち返って反省すべき問題だということですか。
たまたま何かの理由で空いた土地を所有していたら、そこに賃貸住宅を建て、副収入として家賃を得ようとすることは珍しくもない普通の人の発想です。そのとき、建築資金が不足していれば借り入れを考えることも普通の発想で、相談を受けた銀行としては、立地等の客観的条件、事業計画、債務者の所得、不動産の担保価値等を総合的に検討し、取組み可能と判断できれば諸条件を決めて融資を実行するだけのことです。
かくいえば簡単なことのようですが、銀行が社会的機能を十全に発揮するためには、金融庁がいうところの顧客本位に徹しなければならないわけです。つまり、単に融資可能かどうかの判断をするだけではなく、顧客の目的に真に適うように、債務の負担力等を総合的に勘案して、無理のない弁済になるように、事業計画にも適切な助言をするなど、顧客との協働が求められるのです。このことについて、金融庁は顧客との共通価値の創造という言い方をしています。
ここで顧客の目的に真に適うという意味は、豊かな生活のために副収入を得るという目的に忠実であることであって、諸条件に鑑みて事業計画を大きくしても融資が可能だとしても、空室が長期間にわたって埋まらない事態に立ち至れば、本来の目的に反して借金弁済のために懸命に働くはめに陥るわけですから、そうした危険を回避できるように適切な事業計画を提案しなければならないということです。
わかりやすくいえば、万が一の場合にも無理をすれば顧客の所得の範囲内で弁済できる、あるいは不動産を売却すれば弁済可能という見通しのもと、融資可能な上限まで事業計画を拡大するようにもっていくことは、銀行の利益のためにすることであって、顧客本位ではないということです。
銀行として、顧客が土地を所有していることを知る機会を得たら、賃貸住宅の建築をもちかけて融資案件を創造したくなりはしないでしょうか。また、そうした積極的な提案こそ顧客本位だと思っている銀行も多いのではないでしょうか。
極めて高度な論点です。おそらくは、事案の外貌からは判断しかねる問題だと思われます。つまり、銀行が融資案件を得ることを目的に、その目的だけのために提案を行うのであれば、明らかに顧客本位に反することになるでしょうが、顧客の総合的な資産管理の視点で、専らに顧客の利益の立場で検討した結果として賃貸住宅の建築の提案に到達したのなら、顧客本位に適うことです。
ここで重要なことは、二つの場合において、全く同じ条件の同じ金額の融資案件になったとしたら、動機において事案の性格が全く異なるにもかかわらず、その区別がつかない、即ち、銀行内部の手続きにおいて違いが認識されることはないということです。
では、賃貸住宅を建てるべき土地を所有していない人に対して、土地の取得と賃貸住宅の建築を提案し、それを融資案件にまとめる行為については、どう考えるべきでしょうか。これは、外貌において既に顧客本位に反してはいないでしょうか。
金融は、目的に対して受動的でなければなりません。目的を実現する手段が金融であって、金融が目的を創造するような積極的な姿勢は厳に慎まなければならないのです。
先ほど述べた事例のように、土地所有者に対して賃貸住宅の建設を提案し、積極的に融資を創造したようにみえるものでも、実は、顧客の効率的な資産管理という上位の目的に対して受動的であるが故に、顧客本位たり得るわけです。しかし、土地の取得と賃貸住宅の建築を提案し、そこから融資案件を創造することは、どう考えても、そこに本来の金融の目的を発見することができず、逸脱だというほかありません。スルガ銀行の事案は、まさに、この積極的な融資創造ですから、この点において既に同行の問題性は明らかなのです。
銀行のルールではなくて、プリンシプル、即ち経営原則の問題ですね。
金融は、真に社会的需要を満たすものならば、その本来の目的に忠実でなければならない、金融庁の用語でいえば顧客本位でなければならないのですが、それを組織規律として銀行内部に確立するのは非常に難しいことであるといわねばなりません。なぜなら、顧客本位は、客観的なルールによって実現することができず、主観的な内心の動機に帰着してしまうからです。
いうまでもなく、その動機を道徳的にとらえ、経営原則と称して標語のように美辞麗句を並べても何の意味もありません。原則が不変不動の規律として確立しているということは、銀行の組織風土のなかに、行員一人一人に染みついた思考と行動の原則として、顧客本位が定着しているということです。つまり、逸脱を逸脱だと行員全員が直感し、全員が即座に逸脱を排除する、そのような風土が確立して始めて、銀行は、真に、そして常に、顧客本位たり得るのです。
しかし、そうした理想は、現状、やはり理想にとどまるのです。理想が実現している立派な銀行など、あるとは思えません。真の顧客本位については、精神的な意味での理解が浸透してきたばかりであって、組織風土の改革には時間がかかるということです。ですから、この点において、スルガ銀行を強く非難することはできないでしょう。
スルガ銀行の場合、プリンシプルどころか、ルールの遵守すらできていなかったようですが。
スルガ銀行固有の問題というよりも、ルール主義一般の欠陥を露呈しているようです。つまり、ルールによって顧客本位を実現しようとすると、内心の動機を隠して表面的にルールに適合させる事態を組織として防ぐことができず、顧客本位に反した行為を顧客本位として正当化してしまう危険が増大するだけだということです。
スルガ銀行の場合、その危険が顕在化したのです。もちろん、ルールに適合するように基礎資料の改竄や捏造がなされていたようですから、悪質さの度合いが著しく強いわけですが、それでも程度の問題であることは否めず、やはり、ここにはルール主義の限界と弊害が露呈しているのです。実は、金融庁がルールからプリンシプルへの転換を施策に掲げたのは、まさに、この点を衝いたものだったのです。
顧客本位な風土の醸成が未熟であることは仕方ないとしても、スルガ銀行の事案をみると、全く逆の銀行本位な風土が醸成されていたといえないでしょうか。
その点の認定こそ、今後の調査の焦点でしょうし、本件が最終的にどう処理されるのであれ、判断に決定的な影響を与える要点です。仮に、事案が少数の主導者の逸脱に局限されるにしても、そのような逸脱を生み出し、また逸脱に気づかれながらも阻止できなかった組織風土の病理は指摘されざるを得ないと思われます。そして、そこに今後の実効性ある経営改革の努力が集中されるはずです。
スルガ銀行の個人金融事業の革新性とも関係があるのでしょうか。
スルガ銀行は、個人金融業務を主軸にし、地方銀行の枠を破って広域展開するなど、革新的経営で知られてきました。その革新性に対する評価は、今回の事件でも変わり得ませんし、無為無策の他の地方銀行経営者が嬉々としてスルガ銀行を批判するとしても、決して、それに味方してはならないのです。
また、独自の個人金融事業の展開についても、それが一定の成功を収めてきた事実を否定することはできませんし、その成功の秘密は、他行に先駆けて顧客の視点での業務改革を実行したことにあったことも間違いないのです。しかし、今回の事案の後で改めて冷静にスルガ銀行の営業政策をみると、気づくことがあります。それは夢という言葉です。
人には、ある物を買いたいとか、あることをしたいとか、様々な夢があります。金融、より具体的には消費者ローンですが、その機能は夢を先行的に実現することにあります。顧客自身の夢に対して、それを叶える金融を提供していく、その顧客本位な姿勢こそ、スルガ銀行の成長源泉だったはずです。
しかし、スルガ銀行が後に陥った罠は、夢を創造し、夢を膨らませることでローンが拡大していくという仕組み、即ち、上で批判してきた金融を積極的に創造する仕組みだったのではないでしょうか。そうした匂いは同行のウェブサイトから強く漂ってきます。
なぜ罠に嵌ったかといえば、利益成長自体が銀行の経営目的に転化してしまったからでしょう。顧客本位に成長してきた銀行は、その成長を維持するために、いつしか銀行本位に転落したのです。とても不幸で、残念でならないことです。
金融危機が繰り返される基本構図ですね。
昭和の不動産バブルと、その崩壊後の極めて深刻な金融危機にしても、2008年のサブプライムに端を発した金融危機にしても、目的を叶える受動的金融から逸脱し、目的を創造する積極的金融へ転落したことが原因です。このスルガ銀行の事案が大規模な危機に発展するとも思えませんが、金融庁が警告してきたように、金融界全体として、カードローンやアパートローンの本来の目的を超えた膨張が現にあるのですから、簡単に考えることもできないのです。
改めてリスクアペタイトフレームワークの意味を考え直す必要がありますね。
2008年の金融危機を受けて、2013年11月に、金融安定理事会は、「実効的なリスクアペタイト枠組みに係る原則」を公表しています。本稿との関係で要諦を示せば、銀行のリスクテイクの対象について、常に自覚的であること、絶えず反省することを求めたものといっていいでしょう。
つまり、どの産業においても、リスクテイクの対象は事業の目的として自明なのですが、金融においては、その抽象性、あるいは実業との対比でいえば虚業性によって、社会の必要に受動的に応えるという事業目的を見失いやすく、社会の必要を超えた架空の需要を創造するという逸脱に容易に陥るので、それを回避するためには、リスクテイクについて、常に自覚的であること、常時反省し続けることが必要だということです。
そして、金融庁は、リスクテイクの対象として顧客本位を掲げたわけであって、この点、世界に誇れるほどに先進的なのです。
2017/12/14掲載「金融庁のいう新たなコンプライアンスとは何か」
2017/11/02掲載「金融なぞ所詮は虚業なのだから」
2017/09/28掲載「金融の営業では、お金を語るな、夢を語れ」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。