世のなかには、理想的には、ないほうがいいのだけれども、現実的には、なくすことができないので、逆に、なくてはならないとされているもの、そうした構造的矛盾の産物が数多あります。
典型的に軍事力です。軍隊はないほうがいいのですが、他国に軍隊がある以上、自国の軍隊をなくせない、そうして各国に軍隊があるから戦争の可能性が常時あって、故に尚更に軍隊をなくせなくなってしまいます。しかし、だからといって、理性的には軍隊の存在を否定せざるを得ないので、いつか人類の英知は世界市民的統一を実現し、そのもとで確定的に軍備を放棄するであろうという理想を捨てることもできないのです。
そして、理性的に人類の利益を考えるのならば、戦争に備えることよりも戦争が起きない社会の建設にこそ知恵を使うべきだというのと全く同じ意味で、病気を治すことよりも病気にならないことにこそ医療の目的をおくべきだという発想の転換があるのであって、既に、医療のほうは理性的改革が始まっているようです。
ならば、金融でも同じ方向の改革が志向されるでしょうか。
借金したい人はいません。しかし、借金したくないのだけれども、借金せざるを得ない人にとっては、金融は医療と同じように望ましくない必需品です。そこで、金融においても、病気の予防に医療の重点が移動していくのと同じように、借金せざるを得ない原因を取り除くことに主たる関心を向けるべきかもしれないのです。
例えば、企業金融に大きな比重を占める経常運転資金に対する融資ですが、その負債の反対勘定にある代表的資産は売掛金です。企業としては、どうしても売掛金が発生してしまうので、その回収までの間、資金調達をしなければならなくなるところに金融の目的があり、銀行として、その目的に適う融資をすることは社会的機能の当然の発現であることに間違いありません。
しかし、より高次な問いがあり得ます。即ち、銀行として、売掛金の存在を既定の事実として前提におき、その先の融資の可否だけに判断を集中していいのか、真に顧客の利益を考えるのなら、売掛金が発生する経路にまで遡り、残高の圧縮や、期間の短期化の可能性を検討すべきではないのか、そして、その可能性を発見したときは、顧客を支援して一緒に課題解決し、それでも残る売掛金についてのみ融資すべきではないのかということです。
売掛金だけではありません。原材料在庫と製品在庫にしても保有を圧縮できる余地はないのか、売却できる、あるいは売却すべき遊休資産はないのか、顧客企業の利益の立場に立てば融資を受けることよりも経営効率をよくすることが先決課題のはずですから、銀行として融資の可否を判断する前に融資の必要性を最小限度にまで縮める検討をすべきではないのかと考えられるわけです。
銀行側には、そこまでのことをする利益誘因がないようですが。
普通に考えて、金利が同じなら融資額が小さくなる方向に努力するはずはなく、融資額が小さくなっても、銀行の努力が評価されて金利を高く設定できるのならともかく、現下の競争条件のもとでは、それも叶わないとなれば、銀行として、真の顧客の利益のために行動すべき誘因などないといわざるを得ません。
実は、これこそ、ここ数年の金融行政の最大の論点だったのです。金融庁の立場からすれば、金融機能の強化を通じた経済の持続的成長を実現することが金融行政の目的ですから、銀行に対しては、顧客企業の経営効率をよくして成長支援するように求めざるを得ないわけで、この理念を顧客本位という言葉で表現してきました。
金融庁は、顧客本位に並べて、顧客との共通価値の創造ともいっています。即ち、顧客本位の貫徹は、まずは顧客の利益になるとして、それが同時に金融機関の利益にもなるといっているのです。これは高度な論点であって、確かに顧客企業の経営支援をすれば、例えば目先の運転資金の融資は減るにしても、融資の質を高めることができるだけでなく、長期的にみれば、顧客の成長に伴って、増加運転資金や設備投資資金の取り組みなど、再び融資額は増勢に向かうと期待されるのです。
そもそも、テクノロジーの進化によって決済が高度化され、また物流が進化して、融資の目的である売掛金の発生自体が激減する可能性が高くないですか。
ですから、運転資金の融資にこだわるよりも、決済の高度化を金融の新しい事業領域として取り込む方向に経営資源の再配置を行うほうが銀行の未来にとっては望ましいことです。過去の事業環境を前提にして、既成概念に囚われていることは、身を滅ぼすもとです。顧客の利益の視点で創造的に振る舞うこと、これも金融庁のいう顧客との共通価値の創造の意味でしょう。
運転資金は一つの例ですが、金融の目的全体として、大きく変貌していくわけですか。
融資という既存の金融のあり方にこだわっているから、運転資金の融資という答えしか出せないのですし、金融の目的である運転資金の発生に遡及することもできないのです。その結果、目的を喪失した融資残高の競争という愚劣な状況に陥る、それが今の銀行の姿でしょう。
大切なことは、常に金融の目的に対して顧客の視点で最適な解を見出すことです。そのとき、運転資金の融資が表層的な課題であることが認識され、真の課題である決済の効率化、物流の合理化が明瞭にみえてくるのであって、後は、真の課題、即ち金融の目的に直接に立ち向かえばいいのです。それが金融の革新です。
需要に単に応えることから、需要の裏にある課題の解決へ、この一般的な問題設定については、金融も例外ではあり得ないわけですね。
まだまだ、金融界には、資産形成を投資信託の販売のことだと思い、その販売のあり方の是正が顧客本位だと思っている人が多いのでしょうが、根本的な誤解です。
資産形成とは、何かの消費目的に対して最適な方法で必要資金の蓄積と増殖を図ることであり、それが老後生活資金の形成であれば、家族構成、公的年金等の年金給付、年金保険等の保険、住宅等の不動産、投資信託等を総合的に視野に入れて、最適な資金計画と資産配分を考えることにほかならず、その結果として、投資信託等の販売につながることも、つながらないこともあるのです。
住宅ローンは、住宅を購入する目的のためにあり、住宅を購入するのは、住むため、もしくは投資のためです。住むための住宅ローンの申し込みなら、原点に立ち返り、賃貸のほうが顧客の真の利益に適う場合のあることも検討しなくてはいけませんし、投資としての住宅購入なら、総合的な資産管理のなかに位置付けなければなりません。
企業の設備投資から個人の自動車まで、物を買うための資金需要というのは、融資の代表的な目的ですが、今後は、シェアリングの進展によって縮小していくのでしょう。そのとき、シェアリングが顧客の利益なら、銀行は融資ではなくてリースを提供すればいいだけのことです。
銀行の業務範囲を大きく超えてしまうようですが。
ならば、銀行をやめればいいでしょう。だからこそ、金融庁は持株会社を通じた業務範囲の見直しを進めているのです。そのなかでは、金融という概念自体も抜本的に見直されていくでしょう。
実際、決済を分離独立させれば、それが金融かどうか判然としなくなりますし、リースの範囲を拡大させて、レンタルまで銀行持株会社の直下の子会社に認めてしまうと、対象資産の買取りと販売まで広がることは避けられず、また、住宅ローン事業と住宅仲介を統合する事業構想も浮上してくるでしょう。
しかし、これまでの金融規制の考え方では、金融機関、特に銀行は一定の優越的地位をもつが故に、業務範囲を厳格に制限して、実業への参入を禁じてきたはずですが。
まさに、そこが今後の論議の焦点になるわけですが、見通しとしては、電気事業の特権性が否定されたのと同じように、金融の特権性も否定されていく方向に議論が進むのではないかと思われます。つまり、電気事業に広く新規参入が認められたのと同時に、旧来の電気事業者にも事業領域の拡大が認められたように、従来は金融とみなされて高度に規制されてきた領域へ新規事業者の参入が広く認められていくと同時に、旧来の金融機関の業務範囲も拡大されていくのではないでしょうか。
電気事業が電気事業連合会10社の特権業務であった理由は、巨大装置産業としての技術的特殊性と、電力安定供給という公共的特殊性があったからですが、技術環境の変化によって、その特殊性が希薄化したところで特権性が否定されたのです。金融も、電気と同じように産業と国民生活にとって欠くことのできないものであり、また供給能力に限界があったからこそ、金融機関の特権業務だったのですが、テクノロジーが高度に進化し、また資金の稀少性が失われた現在では、その特権性は否定されるべきなのです。
では、法律の構造も変えなくてはいけませんね。
金融機関は、それぞれの業務を規定する法律のもとで設立されていますが、法律は最初に業務を定義し、その業務を行う業者を定義していますから、実際には、法律は、業者の行為を定義し規制する仕組みになっています。これが業法と呼ばれる構造です。
業法は、完全に業者の視点に立ったものといえますが、金融庁が強力に推進している金融構造改革は、全く逆に、金融機能の利用者である顧客の視点に立ったものでなければなりません。そこで、金融庁は、重要施策として、金融機関を規定するものから金融機能を規定するものへと、法律構造を転換する作業に着手しているのです。
電気事業の場合、自由化に伴って、基幹送電網の公共財化という課題が生じたわけですが、金融においても、同様な課題が生じないでしょうか。
例えば、預金について考えてみると、決済手段としての預金、および貯蓄手段としての預金は消滅に向かうのではないかと予想されます。
ところが、法定通貨が残る限り、どのような決済手段が使われようとも、法定通貨と決済手段との交換は必要なはずで、それは預金を経由するほかないと思われ、また、いかに多様な貯蓄手段が使われようとも、貯蓄は最終的に消費されるものであり、消費の段階で決済手段に転換されるはずですから、その転換も、やはり預金を経由するほかないでしょう。
そして、おそらくは、この最後に残る預金は、金融システム全体の根底を支えるものとなり、絶対的な存在意義を有するものとして再認識されるでしょう。同様な検討を金融の全ての領域で徹底的に行ったとき、金融が金融として残り得る領域を明確にすることができるのです。
2018/05/10掲載「無用になった銀行が消えた後に残る必要なもの」
2018/03/01掲載「銀行はカネをやめてモノ、ヒト、チエ、コトを貸したらどうだ」
2017/02/23掲載「銀行は消滅、信金・信組は不滅」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。