仮想通貨については、通貨としての要件を充足せしめる技術、例えば、二重使用され得ないとか、使用履歴が改竄され得ないとか、そうした高度な要件を実現する技術が開発され、その発行と流通が実行に移されたのみならず、社会的実験という次元を瞬く間に突破して、巨大な現実的存在になったところから、法律による規制をはじめ、全ての議論が出発しているわけです。
このように、技術が先行して、利用目的が技術を追いかける展開は極めて異様ですし、特に、金融のように高度に規制されている領域では、これまで考え得もしなかったことです。背景には、いうまでもなく、規制のサンドボックス(sandbox)という考え方があって、規制当局としては、最初に規制することで革新の芽を摘むことのないように、敢えて事態の推移を見守る姿勢をとってきたことがあります。
日本でも仮想通貨の法律による規制は最近のことですね。
仮想通貨の規定を置くために、「資金決済に関する法律」が改正され、それが施行されたのは2017年4月1日です。この第二条第五項が仮想通貨の法律上の定義になっていて、そこに二種類が規定されています。
第一号は、「物品を購入し、若しくは借り受け、又は役務の提供を受ける場合に、これらの代価の弁済のために不特定の者に対して使用することができ、かつ、不特定の者を相手方として購入及び売却を行うことができる財産的価値であって、電子情報処理組織を用いて移転することができるもの」であり、第二号は、「不特定の者を相手方として前号に掲げるものと相互に交換を行うことができる財産的価値であって、電子情報処理組織を用いて移転することができるもの」です。
これをみると、規制のサンドボックスとはいいますけれども、法律で定義するためには、現にあるものを参照するしかないので、規制が遅行することは当然なのだと理解できます。第一号では、ビットコイン(Bitcoin)をはじめとする代表的な具体名が想定されていることは明らかですし、第二号では、コイン(coin)やトークン(token)と呼ばれている類型が意識されているのでしょう。
法律上の仮想通貨は、それが何であれ、財産的価値なのですね。
これも当然のことなのでしょうが、規制には国民の財産的価値を守るという保護法益がなければならないので、仮想通貨という名称で総括される広範な諸概念のなかから、財産的価値のあるものだけが規制対象にされたということなのでしょう。
では、何が財産的価値なのかというと、第一号では、代価の弁済に使用できることが財産的価値なのですから、これは通貨と全く同様の財産的価値です。つまり、第一号仮想通貨は、「本邦通貨」でも「外国通貨」でもない、新しい通貨なのです。
ところが、第二号では、定義が逆転していて、第一号仮想通貨と交換される相手が財産的価値なのですから、それが通貨であり得ない以上、物品や役務等、または何らかの権利を、何らかの形態で代理する標章、即ちトークン(token)でなければならないはずです。つまり、第二号仮想通貨は、それ自体が財産的価値なのではなく、財産的価値の標章として、財産的価値なのです。
では、第一号仮想通貨は、それ自体が財産的価値なのでしょうか。
法律は、「購入及び売却を行うことができる財産的価値」としていますが、「購入及び売却」とは通貨との交換だと考えられますから、第一号仮想通貨の財産的価値は、通貨に基礎を置き、通貨に換価できることだと考え得る余地があります。しかし、外貨と円の交換は、それぞれに内在する価値の交換ですが、日常用語としては、外貨を購入する、売却するといいますから、法律でいう「購入及び売却」も同様に解すべきだと思われます。
実際、法律は、括弧書きで「通貨建資産」を仮想通貨から除外していますが、この「通貨建資産」というのは、第二条第六項において、「本邦通貨若しくは外国通貨をもって表示され、又は本邦通貨若しくは外国通貨をもって債務の履行、払戻しその他これらに準ずるものが行われることとされている資産」と定義されていますから、通貨の裏付けにより財産的価値をもつにすぎないもの、通貨の代替にすぎないものは、仮想通貨ではないのです。
故に、第一号仮想通貨は、それ自体として財産的価値であり、それ自体に内在する価値を有するものだということです。以下、この仮想通貨の内在価値について検討していきましょう。
そもそも、通貨に内在する価値とは何でしょうか。
通貨は政治権力の存在を前提にしていて、権力の経済的基礎は徴税権ですから、そこに通貨の価値の源泉があるともいえますが、税は経済活動の成果に課せられているのですから、やはり、究極の価値源泉は通貨圏内の経済活動にあると考えるほかないでしょう。
しかも、通貨の経済圏は、通貨の背後にある政治権力の及ぶ範囲とは一致しません。このことは、ユーロという通貨をみれば明らかですし、日本の中世において中国銭が広く流通していたように、古来、国際交易の活動により、通貨は常に政治権力圏を越境していたのであり、その価値は政治に規定されつつも、政治を超えていたのです。故に、理論的には、政治権力を背景にもたない仮想通貨についても、それを用いた経済活動だけにより通貨圏を構築し得るはずなのです。
通貨に内在する価値を測定できるでしょうか。
通貨の絶対的な価値を測定することはできないような気がしますし、仮に可能だとしても、実益のないことであって、現代においては、一つの世界経済のなかに、多数の異なる通貨の経済圏が緊密に連結されているわけですから、そこで問題になるのは、通貨間の相対価値を反映した交換比率、即ち為替レートだけです。
例えば、ドルと円との交換は、それぞれの通貨圏に内在する価値の等価交換ですけれども、両通貨圏には、経済活動の実勢を表現する膨大なデータがあり、その統計処理も高度に発達していて、相互の交流の実態を分析するためのデータも豊富にあるわけですから、為替レートの変動に関しての合理的判断が可能となり、合理的に判断できるからこそ、無数の参加者のもとで世界経済が成立しているのです。
仮想通貨には、固有の経済圏があるのでしょうか。
例えば、ビットコインを用いて成立している経済圏は、ないとまではいえないようですが、どれくらいの大きさなのかという最も基本的な情報を始め、その内部の活動実態を表現するデータや統計の整備は不十分であり、不十分というよりも未整備に近い状態にあるのではないでしょうか。このことは、全ての仮想通貨と、そのうえにある経済圏についていえます。
ならば、仮想通貨と通貨の交換比率について、合理的な判断は不可能だということでしょうか。
仮想通貨も通貨なのですから、本当は、仮想通貨の価格ではなく、仮想通貨の為替レートというべきなのでしょうけれども、法律自身が「購入及び売却」という表現を用いていて、はからずも仮想通貨が通貨によって売買される金融商品であるかのような印象を与えているのは、興味深いです。
さて、現状、全ての仮想通貨において、基礎となる経済圏に関する十分な情報はなく、故に、その価格について、合理的判断を形成することは不可能になっています。従って、仮想通貨の価格、より正確には、仮想通貨と通貨との交換比率、即ち仮想通貨の為替レートの形成は、需給だけによって決定されていると考えざるを得ません。つまり、仮想通貨を売買することは、純然たる投機だということです。
ならば、仮想通貨には固有の内在価値はないのでしょうか。
仮想通貨は、現に取引されていて、通貨に換価できるわけですから、通貨に換算される価値を有するものであることは間違いないでしょう。しかし、その価値は、法律が定義する通貨としての固有の財産的価値とは異なっています。おそらくは、現状、仮想通貨に通貨としての財産的価値を認めることは極めて困難なのだと思われます。
しかし、かくいうことは、通貨としての仮想通貨を否定するものではなくて、将来的に、仮想通貨独自の経済圏が形成されてきて、その内部活動の状況や他の通貨圏との交渉に関して、十分な情報が得られるようになれば、仮想通貨は、単なる投機対象から、通貨としての内在的価値を測定できる投資対象に進化していくのだと期待されます。
では、仮想通貨独自の経済圏は成立し得るのでしょうか。
例えば、ビットコインの経済圏が成立するためには、資本主義経済が成立するために資本の原初的蓄積がなされていなければならなかったのと同じように、ビットコインの原初的蓄積がなされなければなりません。この点、ビットコインは、仮想通貨のなかでも、上手に設計されているもののようです。
つまり、ビットコインは、2040年までに2100万個発行されて、そこで発行停止になりますが、この過程が原初の蓄積なのです。ただし、資本主義の場合、それ以前の段階の経済活動で形成された資本蓄積が基礎になったわけですが、ビットコインの場合、ビットコインの維持発展に貢献する知的活動に対する報酬としてビットコイン自身が創造され蓄積されていく点が違うのです。
この独自の仕組みでは、経済誘因が通貨価値としての魅力に具体化しないといけないので、最初からビットコインの通貨への有利な換価を想定しなければならなかったわけで、そのために巨大な投機資金の流入を必要としたのです。故に、現段階において、ビットコインは投機対象なのです。
しかし、投機の反対側に、高度に知的な活動があることは見逃せません。この知的資本の蓄積のうえにビットコイン経済圏が成立してくれば、ビットコインの価値が確立します。このことは、構造の違う他の全ての仮想通貨についても同じで、何らかの初期蓄積がない限り、そのうえに経済圏を築くことはできず、その初期蓄積は、何らかの高度に知的な働きに依存するのだと考えられるのです。
ビットコインに限らず、仮想通貨独自の経済圏というのは、どのようなものなのでしょうか。
全く見当がつきませんが、少なくとも、経済圏である以上、仮想通貨で所得を得て、仮想通貨で消費する、仮想通貨で借りて、仮想通貨で設備投資し、仮想通貨で製造し、仮想通貨で販売し、仮想通貨で弁済する、そのような内部完結し、内部循環する大きなデジタル経済圏ができなくてはならないのでしょう、ちょうど、通貨の領域で、ユーロ経済圏ができたように。
あるいは、普通の通貨経済圏のなかに、多数の多種多様な小さいデジタル経済圏ができるということかもしれません。例えば、リースで車に乗っている期間、どこかの職場で仕事をしている期間、何かのゲームを楽しんでいる期間、それらの期間だけは仮想通貨で完結しているということです、ちょうど、日本のあちこちに様々な国の経済特区ができて、そこでは各国の通貨が使われるように。
以上
次回更新は、7月26日(木)になります。
2017/01/26掲載「金融はロボットにやらせるべきか」
2016/05/12掲載「学資ローンの条件を学業の成績で決めるフィンテック」
2014/04/17掲載「大胆予測、2020ニッポン国際金融センター」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。