ETNについては、手っ取り早く、東京証券取引所のウェブサイトにある説明を引用しましょう。いわく、「「Exchange Traded Note」の略で、「上場投資証券」または「指標連動証券」と呼ばれる上場商品です。ETNはETF(Exchange Traded Fund:上場投資信託)と同様に、価格が株価指数や商品価格等の「特定の指標」に連動する商品ですが、「Note(債券)」の単語が示すように、金融機関(発行体)がその信用力をもとに、価格が特定の指標に連動することを保証する債券であるため、ETFとは異なり証券に対する裏付資産を持たない(必要としない)という特徴があります」ということです。
野村證券のETNというのは、野村證券が発行した社債だということでしょうか。
正確にいうと、野村證券の親会社である野村ホールディングスのオランダに所在する子会社ノムラ・ヨーロッパ・ファイナンスN.V.が発行した社債です。更に正確にいうと、野村證券が取り扱っている商品は、ETNそのものではなくて、ETNを使って再組成された野村独自の商品名である「NEXT NOTES」なのですが、これは、ETNを日本の信託法のもとで信託して、その受益証券に転換したものです。
この信託受益証券は、JDR(Japanese Depositary Receipt)と呼ばれるもので、2007年9月の「金融商品取引法」の改正に伴って導入されました。敢えて日本語で呼べば、日本型預託証券です。これは、海外において様々に異なる制度のもとで発行された株式、債券、ETF等を国内市場で円滑に流通させるために、国内法の制度に統一する仕組みなのです。
ということは、野村證券の「NEXT NOTES」は取引所に上場されているのでしょうか。
東京証券取引所に上場されています。もともと、東京証券取引所は、法律改正直後の2007年11月に、海外で発行された株式とETFを対象としたJDRの上場制度を整備していましたが、2011年4月に、対象をETNに拡大する制度改正を行ったのです。現時点で、東京証券取引所には、23銘柄のETNのJDRが上場されていますが、なんと、その全てが野村證券のものなのです。
実は、以前、「iPath」という商品名で、10銘柄のバークレイズ・バンクのETNのJDRが上場されていたのですが、2016年9月に上場廃止になった結果、野村證券のものだけが残ったということです。このバークレイズの「iPath」 10銘柄は、2011年の8月から9月にかけて上場されたもので、東京証券取引所に上場された最初のETNのJDRだったのでした。
なお、上場廃止に際して公表されたバークレイズ・バンクの通知には、「上場来約5年間、市場での流通に努めてまいりましたが、純資産総額は伸び悩む状況が続いております。今後も、大幅な改善が見込めず、当初の目的に沿った商品の継続及び効率的な運用が困難な状況と考え、信託を終了することといたしました」とあります。
そして、2018年2月には、新たに、「NEXT NOTES S&P500 VIX インバースETN」が上場廃止になったわけですが、その背景は、どのようなことでしょうか。
まず、ETNは、先に引用した東京証券取引所の解説にあるように、「価格が株価指数や商品価格等の「特定の指標」に連動する商品」なのですが、この商品は、「S&P500 VIX短期先物インバース日次指数」に連動するものだったのです。そして、この「インバース日次指数」というのは、「S&P500 VIX短期先物指数」に基づき、その-1倍に日々の値動きがなるように、即ち、値動きの方向が反対で、変動幅が同一となるように算出された指数なのです。インバース(inverse)は、逆に、という意味の英語です。
では、「S&P500 VIX短期先物指数」とは、どのような性格をもつものかというと、いうまでもなくS&P500は米国株式市場の代表的な株価指数ですけれども、VIXは、シカゴ・オプション取引所(CBOE)が公表しているボラティリティ指数(Cboe Volatility Index)のことで、S&P500を対象とするオプション取引のボラティリティを元に算出されているものです。
ボラティリティは、株価変動幅の市場予測を反映するものですから、一般に、市場が安定的に推移するときは、低下傾向にある、即ち、そのインバース指数は上昇傾向にあると期待されるわけですが、株価急落等により市場不安が拡大すれば、VIXは急騰し、インバース指数は急落する可能性があるのです。
2018年2月5日、実際に、S&P500が急落したわけですね。
5日にS&P500は急落し、VIX指数は急騰したので、日本時間の6日の朝には、そのインバース指数は急落し、その結果、「NEXT NOTES S&P500 VIX インバースETN」の価格も急落したわけです。急落しただけなら、もともと大きな価格変動が見込まれていた商品ですから、急反発も期待されるところで、大きな問題にはならなかったかもしれませんが、なんと、早期償還されてしまい、投資家の損失が確定してしまったのです。
どれほどの損失が発生したのでしょうか。
このETNのJDRが上場されたのは、2015年3月16日です。価格1万円で20万口、発行総額は20億円だったようです。その後、価格は上昇し、2018年1月11日には、最高値の4万150円を記録しています。その間、発行額も増加し、償還時点では、110万口に達していたとのことですから、5日の終値2万9400円で計算して、323億円の時価総額だったということです。
それに対して、償還価格は1144円ですから、時価総額は12.6億円、損失額は約310億円、率にして、-96%ということです。
なぜ早期償還されたのでしょうか。
それは、原資産であるETNの発行条件のなかに、「S&P500 VIX短期先物インバース日次指数」が前日の価格に比して20%以下になったときは早期償還になるという条項が付されていたからです。そして、実際に、この条件が成就したために、野村證券としては、条項の定めに従って早期償還しただけのことで、その対応に非難されるべき何らの問題もなく、投資家は運が悪かっただけなのです。
しかし、投資家の多くは、その早期償還条項を知らなかったのではないでしょうか。
野村證券は、2016年6月27日に、当該商品につき、「外国指標連動証券の早期償還条項に関するお知らせ」という文書を公表して、原資産であるETNに早期償還条項が付されていることに投資家の注意を喚起しています。背景として、「英国のEU 離脱を問う国民投票の結果を受けて、各国の株式・金融市場のボラティリティが高まっており、当該ETN が参照する「S&P500 VIX 短期先物インバース日次指数」の値動きも大きくなることが想定」されたからです。
故に、仮に、早期償還条項を知らない投資家がいたとしても、それは完全な自己責任の問題で、単に不注意で損をしただけだといえるでしょう。また、VIXの危険な性格を知らない投資家がいたかもしれませんが、知りもしないで投資したこと自体において既に自己責任の問題であって、野村證券に非は全くないと思われます。商品の性格からして、投機性が強いものですから、一定の知識をもった限られた投資家だけを対象にした商品だったと考えるほうが自然なのです。
しかし、ならば、なぜ野村證券は謝罪声明を出したのでしょうか。
野村證券は、7月10日に、「「NEXT NOTES S&P500 VIX インバースETN」早期償還後の対応について」という文書を公表していますが、そこには、「当社が本商品を販売する際の商品性やリスクに関する説明が十分でなかったというお申し出を、複数のお客様よりいただいております」と書かれてあります。おそらくは、償還決定後、「お客様への対応を継続的に行って」いくなかで社内調査が進み、問題が特定されてきた結果、7月10日になって、「心よりお詫び申し上げます」という謝罪になったのだと思われます。
謝罪するということは、一定の過失を認めることになるのでしょうが、野村證券の対応においては、法令違反等の事実は全く認め得ないようですが。
実は、野村證券は、2017年4月に策定公表している「お客様本位の業務運営を実現するための方針」を判断基準として、「本方針で掲げた「重要な情報の分かりやすい提供」の点において当社に不足があったこと」を謝罪しているのです。これは、逆にいえば、法令違反等の事実はなかったといっているのと同じです。なぜなら、当方針は、野村證券が経営原則として自主的に定めたものにすぎないからです。
そうはいっても、当方針は、いわゆるソフトローとして、法令に準じる効力を有するのではないでしょうか。
金融庁は、2017年3月30日に、「顧客本位の業務運営に関する原則」を公表し、それを採択する形で、野村證券は、当方針を策定公表しているわけですが、金融庁の原則はソフトローにすぎず、各金融機関が採択することで自主自律的な規範として社内において機能させるものですから、法令等とは異なるのです。
そこで、問題になるのは、ソフトローに違反した場合において、その効力がどこまで及ぶかということなのです。もしも、単なる内規違反として対外的効力をもたないなら、規範としての履行強制力を伴わないものになりかねない一方で、法令違反等でないことに対してまで損失補償を行えるのかという重大な疑義を生じるわけです。
今回の野村證券の事案は、「顧客本位の業務運営に関する原則」の効力を問う最初のものになるのですね。
野村證券の対応において注目すべきは、「当社といたしましては、こうした事態を重く受け止め、改めて本商品のお客様への勧誘時の状況を個別に精査した上で、あっせん等のご案内も含め、解決に向けたご提案をさせていただいております」としたことです。
「あっせん等のご案内」ということは、「勧誘時の状況」によっては、法令違反等に該当しない場合にも、「重要な情報の分かりやすい提供」の点において野村證券自身が定めた原則に反すると判断し得るのならば、一定の過失を認めて、ある程度の補償に応じるという意味だと理解されますから、画期的な先行事例になること間違いありません。
もっとも、厳密な議論をすれば、司法の判断は別であり得ますから、法令違反等に該当しない事案について損失補償を行うことは不正な損失補填になるという可能性を完全に排除できるものではありませんが。
野村證券は責任を「重要な情報の分かりやすい提供」の点に限定しているようですが、この商品の性格自体において、自社が定めた原則の主旨に反してはいないのでしょうか。
例えば、原則には、「複雑な商品やリスクが高い商品に関しては、商品の特性を踏まえ、お客様にとってふさわしいものであるかを慎重に検討し、場合によっては、当社からご提案を控えさせていただくこともございます」とありますから、「勧誘時の状況」どころか、「勧誘」自体に問題があったのかもしれません。
また、バークレイズ・バンクのものが顧客に全く受け入れられなかったのに対して、なぜ野村證券は成功し得たのか、発行体として負う様々なリスクをヘッジしていたと推測されるなかで、野村證券自身のヘッジ取引が顧客の利益と相反する可能性はなかったのか、制度の主旨はともかくも、事実としては、ETNのJDRは簡単に個人投資家を投機に誘う手段として利用されていたのではないか等々、疑問は尽きないのですが、全て野村證券の社内調査によることですから、なんとも論評のしようがありません。
以上
次回更新は、夏休みを挟んで、8月23日(木)になります。
2017/06/08掲載「野村證券と野村アセットマネジメントは両立できるか」
2017/05/25掲載「野村證券に顧客本位は似合うのか」
2014/12/11掲載「日本株をブラジルレアル建てにしてしまう投資信託の病理」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。