スルガ銀行の第三者委員会が纏めた長い調査報告書のなかで、取締役の責任を検証している部分は、今後の日本のコーポレートガバナンスに重大な影響を与えるべく、特に、社外取締役の存在意義について、再考を促すものだと考えられます。
まず、報告書の結論は、事実として不正があった以上、不正防止体制に不備があったと推定されるところ、その点を検証した結果、取締役会の次元においては、不正防止体制に不備があったとはいえないということになっています。
そのうえで、執行部門を管掌していた内部の取締役については、不正の事実を知りながら取締役会に報告して対策を講じなかった責任が問われ、その軽重において、多くは取締役としての善管注意義務違反が認定されて法的責任があるとされ、一部は法的責任こそ否定されたものの一定の経営責任は免れないとされました。そして、社外取締役については、取締役会に十分な報告がなかった以上、責任を負い得ないという理由で免責にされています。
なお、いうまでもなく、これは取締役の責任の問題であって、全くの別問題として、内部の取締役については、管掌していた執行部門における従業員としての責任も問われることは当然です。特に、不正の中核にあったとされる専務執行役は、意図的なものかどうか、取締役を兼任していなかったのですから、取締役としての責任が問われない分、極めて重大な執行責任を追及されること、必定です。
本当に不正防止体制に不備がなかったのでしょうか。不備があったからこそ、不正を防げなかったのではないでしょうか。
報告書は、「裁判所の採用している基準によって」、取締役の法的責任を検証しているわけで、本件の場合は、取締役に内部統制システム構築義務違反があったかという点に絞られるところ、その検証結果としては、法的責任はないとされたのです。
つまり、内部統制システム構築義務として、「通常想定される不正行為を防止し得る程度の管理体制を整えていたかどうか」が焦点になるわけですが、「整備されていなかったとはいえないものと思料」されるが故に、そこに「内部統制構築上の善管注意義務違反は認められない」とされたのです。
しかし、本件における不正は、どう考えても、「通常想定される不正行為」に属していて、それを防止できなかった以上、管理体制に不備があったことは自明ではないでしょうか。
ここでは、庶民の日本語が喋られているのではなく、「裁判所の採用している基準」に従った法律家の言語が展開されているのです。庶民の常識として、不正があったのだから管理体制のどこかに不備があったことは自明ですが、法律家の厳密な論理としては、管理体制に不備があったのではなく、管理体制が機能していなかったことに不備があったというわけです。
報告書を引用すれば、「現実にこれらの制度が機能しなかったことは、運用上の問題である。スルガ銀行の場合、大きな特徴は、形式だけはきちんと整っていることが多く、その本質が空洞化しているのである」とのことです。
つまり、ここでの法律論に従えば、取締役は、管理体制を形式のうえで整備することで責任を果たしているのであって、運用に重大な欠陥があり、本質が空洞化していたとしても、そうした制度の機能不全に関する責任は負わないということです。なお、注意すべきは、この論理は、取締役会という機関に関するものと解したほうがよく、執行部門を管掌している内部の取締役については、当然に、制度の運用に関する責任を負っているのであって、事実、この報告書においても、取締役会に対する報告の懈怠に関して善管注意義務違反が認定されています。
そうしますと、内部統制システム構築義務についていえば、報告書の結論は、社外取締役を免責にしているところに実質的な意義があるわけですか。
取締役会、即ち社外取締役を含む全取締役については、内部統制システム構築義務に関する善管注意義務違反は認められないが、執行部門を管掌している内部の取締役については、内部統制システムの運用に関する善管注意義務違反、および一定の経営責任が認められるというのが報告書の結論の要点です。
しかしながら、この報告者の論旨に従えば、内部統制システムとは、形式上の制度の整備のことをいうにすぎないのであって、その制度が完全な機能不全のもとで実質的意味を喪失していたとしても、内部統制システム構築義務に関する善管注意義務違反にはならないということですから、形式の整備すらなされていないような杜撰で間抜けな上場企業を想定し得ない以上、実効的な意義に乏しい法律論といわざるを得ません。
結局のところ、この報告書の論理では、内部統制システム構築義務に実質的意味はなく、内部統制システム構築の適正な運用に関する義務だけに実質的意味があるわけですから、運用に関与しない社外取締役は、いかなる状況においても、即ちスルガ銀行のような異常な状況においてすら、内部統制システム構築義務違反に問われる可能性は全くないということです。
では、一体、何のための社外取締役だったのでしょうか。
この報告書の立場が「裁判所の採用している基準」に準拠していて、日本のコーポレートガバナンスに関する通説を代表しているのだとしたら、少なくとも内部統制システム構築に関する限り、社外取締役は無用なのだと断じざるを得ません。
報告書は、さすがに、この難点を意識せざるを得なかったはずであり、実際、社外取締役の主体的な情報収集について言及しています。つまり、社外取締役は、純然たる監視機能しかもたず、執行に関する情報収集の能力をもたないが故に、内部統制システムの適正な運用に関与し得ないのであって、ならば逆に、社外取締役が機能するためには、主体的な情報収集が求められるということです。
つまり、本件の構図では、執行部門が取締役会に不正に関する情報を提供していなかったわけですが、不正というのは常に本件の構図をもって現れるに違いない以上、知り得ないことに責任を負わないとされる社外取締役は論理的に不要無用になってしまいます。ならば、社外取締役を機能させるためには、積極的に情報を収集する義務を課すしかないのです。
ところが、いうまでもなく、少なくとも現時点における日本のコーポレートガバナンスに関する通説においては、社外取締役に積極的な情報収集義務を課すことはできないわけで、故に、本件では社外取締役の責任は認められなかったのです。ここに、社外取締役の実効性に関して、大きな課題が今後に残されたと考えられます。
仮に、社外取締役に積極的な情報収集義務を課すとして、どのような方法によって情報を収集するのでしょうか。現実には、執行部門を管掌する取締役に対して、情報提供を求めることしかできないのではないでしょうか。
社外取締役の情報収集活動が執行部門に対する情報提供の要求だけを意味するのだとしたら、本件のような不正の構図においては、執行部門から必要な情報提供がなされるはずもない以上、実質的意味は全くないと考えられます。この点も報告書は意識していて、例えば、次のような記述がみられます。
「執行側からすると、わざわざ自分に不都合なネガティブ情報を報告するとは思われない。またネガティブ情報を社外役員に提供することは同人らを善管注意義務違反にさらす恐れがあるため、それを配慮して提供しないという判断をする恐れも考えられる(余計な忖度である)。」
では、社外取締役の情報収集として、どのような方法が考えられるのでしょうか。
一つ考え得るのは、いわゆるリスクベースアプローチという手法の活用かと思われます。例えば、スルガ銀行の他行に例をみない特異な経営方針について、それに関する議論が取締役会でなされたことがなかったという実態に触れ、報告書は、「他行がまったく採用していない経営手法というのは、逆に言えば採用しない理由もあることを示しており、そのリスクについてきちんと情報を収集した上、採否を議論すべき」だったとし、「また採用するのであれば、そのリスクの制御方法を議論すべきだった。高収益であるということは、素直に評価すればそれだけリスクを取っているはずだということである」と述べています。
つまり、スルガ銀行の場合、収益性が著しく高いという特徴的な外貌を呈していたわけですから、そこに伏在しているはずのリスクについて、また、そのリスクが不正へ展開する可能性の有無について、取締役の責任として、取締役会において積極的に発言して議論を起こすべきだったという一種の義務違反を認定しているわけです。
確かに、不正そのものに関する情報が執行部門から提供されることはあり得なくとも、不正につながるリスクに関しては、情報収集が可能なはずで、リスクベースアプローチというのは、不正等の異常事態が起こる可能性に関して、経営諸指標において一定の特徴的な外貌を呈すると考えられることから、その異常指標が検出されたとき、情報収集活動を始動することで、問題を早期に発見できるとする考え方なのです。
報告書は、リスクベースアプローチの有効性についても、消極的なようですが。
報告書は、「監査部管掌兼CRO(最高リスク管理責任者)としての約1年間の在任」していた有國取締役について、「リスクベースアプローチの監査が実現していないことから、直ちに、今般発覚したような各種不正のリスクを認識し得たかと言うと、必ずしもそこまでは言えないようにも思われ」、「明らかに善管注意義務違反に該当するとまでは認められない」としていますが、ここは今後の論議の焦点になるべきところだと思われます。
そもそも、社外取締役の見識も問題ですね。
社外取締役には、執行部門を管掌する内部取締役だけでは知見や視野の偏りが生じることから、その是正も期待されているのですから、内部者とは全く別の角度から問題点を鋭く指摘するためには、社外取締役には相応の資質と経験が求められるはずです。自分の経験からして、異常を感知し、そこから情報収集活動を開始する、そのような期待がなければ、社外取締役は無意味です。
通報制度の通報先に社外取締役を指定するのも一案ですね。
報告書は、内部通報制度が全く機能しておらず、「むしろ利用することへの恐怖が先立った可能性がある。不正行為がこれだけ蔓延すると、全員共犯といわれるし、1人だけ抜け駆けすれば「裏切り者」といわれて爪弾きにされるだろうと予測することは当然である」としています。ならば、今後、通報先に社外取締役を指定することも検討されてよいのではないでしょうか。
以上
次回更新は、11月1日(木)になります。
2018/01/25掲載「素人のガバナンスと玄人のマネジメント」
2016/03/31掲載「素人裁判官が原子力発電所の運転禁止を命じてもいいのか」
2013/05/16掲載「企業は誰のものか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。