仮想通貨という名称は、「資金決済に関する法律」に根拠のあるものですが、それが暗号資産に変更されようとしています。海外で暗号資産(crypto-asset)という呼び方が定着しつつあるためだとされていますが、実際には、真の通貨へと成長していく経路の展望が全く開かれず、単なる投機対象にとどまる実態を反映して、現在の仮想通貨から通貨としての地位を奪うものだといっていいでしょう。
こうして、仮想通貨は、暗号資産へと格下げされることで、合法的な賭場の開帳として、社会の片隅に閉じ込められていくのでしょうが、だからといって、真の通貨へと進化する可能性が全くなくなったわけではありません。むしろ、現在の暗号資産が投機対象として明確化されることで、未来の真の通貨としての仮想通貨の要件が再検討される契機になるでしょう、もっとも、そのときは、仮想通貨というよりも、暗号通貨と呼ばれるのでしょうが。
仮想通貨が通貨に成長していく経路とは、どのようなものでしょうか。
仮想通貨の本質は、一方では、暗号としての技術的革新が既存の経済圏の構造を根本的に変貌させることにあるでしょうが、他方では、仮想通貨が真の通貨である限り、それが通用する新たな経済圏を創出することにもあるはずです。
特に、後者の意義は、既存の通貨が発行体としての国家という政治組織をもたざるを得ないのに対して、政治的境界を超えた経済圏、あるいは何らかの価値を共有する非政治的共同体を創出し得る可能性を秘めている点で極めて重要です。そして、政治を超えた経済圏には、国家の外に多数の国家を横断して大きく形成される方向と、国家の中に多様な価値観に応じて小さく形成される方向とがあり得ると考えられるわけです。
そこで、現実的な仮想通貨の構想について考えると、例えば日本でも西粟倉村という小さな自治体における検討事例があるように、狭い地域や分野に特定して価値を共有できる範囲での流通を目指すものがあり、逆に超国家的な経済圏の形成については、既に地球全体を覆う巨大市場を生みつつあるアマゾンのようなグローバル企業によるものがあり得るのでしょう。
確かに、アマゾンによる仮想通貨の発行というのはあり得ることですね。
仮想通貨が真に新しい通貨なのならば、既存の通貨の制約を超えるものでなくてはならないでしょう。そして、既存の通貨の最大の制約は、発行体としての国家権力の存在を前提にしているために、通用する経済圏の範囲に政治的な限界を画されていることだとしたとき、仮想通貨には、発行のあり方において、常識を覆すものが期待されているというべきです。
そこで、例えば、アマゾンが自社株式と同じ金銭価値をもつ仮想通貨を交付することで非公開化するとしたら、つまり仮想通貨と交換で自社株式を全て買い取ってしまうとしたら、アマゾンの時価総額と同じだけの巨額な仮想通貨が一時に発行されることになります。仮に、その仮想通貨を通貨アマゾンと呼べば、通貨アマゾンは、国境を越えたアマゾンの商圏のなかで自由に使用できる通貨、まさに通貨としての要件を備えた通貨になるでしょう。そして、その規模は100兆円を超える勢いをもつものになるのです。
そのようなことが現実的に可能でしょうか。
理念的には可能ですが、技術的には超えるべき多くの障害があるでしょう。しかし、理念的に可能であることの実現を目指して、技術の無限の可能性を信じて、超え難き障害を突破しようとするからこそ、革新が生まれることを考えれば、アマゾンの仮想通貨による非公開化など、最適な挑戦課題だといえるでしょう。
理念的に可能なことは、それが有益で、公正なものである限りは、技術的に可能でなければならない、あるいは、可能にしなければならないのです。そして、その困難なことへの挑戦こそ、人類の進化の原動力なのです。
アマゾンが発行体である限りは、通貨アマゾンは、通貨ではなくて、金融商品のようなものにならざるを得ないのではないでしょうか。
常識的に考えて、自社株式に換えて、それと同価値の何ものかを発行するとしたら、そのものは、日本の法律に準拠して考える限り、「資金決済に関する法律」に規定する「通貨建資産」か「前払式支払手段」、もしくは「金融商品取引法」に規定する金融商品に該当すると考えられ、決して、通貨にはなり得ないと考えられます。
要は、発行体がある限り、その発行体の準拠する法律があり、その法律を制定する国家があり、その国家が発行する通貨、即ち法定通貨があるわけですから、何が発行されようが、その法定通貨の代替以外にはなり得ないのです。
そこで、通貨アマゾンは、原初においては、企業アマゾンによって発行される必要があるにしても、発行後は、起源における発行体としての企業アマゾンは消滅して、経済圏が内部的に自律的な統制をもつものとして成立し、その経済圏を統合するものとして流通するようになる、そうなってはじめて通貨アマゾンは真の仮想通貨として確立するのだと考えられます。
そして、仮想通貨の暗号としての技術的本質は、国家のような強制力をもつ権威的発行体がなくとも、システム内部の自律的統制によって、偽造、改竄、流出等の不正を排除できるような仕組みを実現できることにあるわけです。これこそ、まさに、技術革新によって常識が覆される事例なのです。
企業アマゾンが消滅した後、通貨アマゾンは自律的に自存し得るとしても、経済圏を成立させる事業主体はどうなるのでしょうか。
仮想通貨は暗号として発行体がなくとも自律的に成立し得る、そして、全ての商取引は仮想通貨を介在させている、ならば、全ての取引は仮想通貨の技術的基盤上で自律的に成立し得る、そうだとしたら、取引の場としての市場は運営主体がなくとも機能し得るのではないでしょうか。
つまり、国家という発行主体がなくとも成立し得る仮想通貨は、それを支える同一の技術基盤上に、企業や国家等という事業主体がなくとも取引を成立させ得るということであって、その技術基盤にこそ、暗号としての仮想通貨の本質、常識を根底から覆す革新の本質があるのだと考えられるのです。
いわゆるスマートコントラクト、しかも、その極限形態ですか。
例えば、スマートマネー(smart money)というとき、良い表現では機をみるに敏で巧みな投資家、悪い表現では他人をだし抜く狡猾な投資家を意味する、即ちマネーに知的能力を装備することになるわけですが、スマートを契約につけてスマートコントラクト(smart contract)というときも、似たことになるのでしょう。つまり、契約そのものが高度な知能を備えて巧みに約定内容を執行するということです。実際、そのような意味において、用語自体は確立されつつあるようです。
さて、事業は契約の集合ですから、産業社会は、企業等の事業主体の集合ではなく、契約の集合として構成し得る理屈です。そして、もしも契約が約定内容を自動執行するのならば、事業主体は必要でないことになるでしょう。真の仮想通貨の経済圏というのは、おそらくは、スマートコントラクトの超巨大な集積として、その全体が自律的に自動執行されるような世界なのだと想像されます、想像されますというよりも、想像を超越したところで、観念されるというべきかもしれませんが。
しかし、契約というのは、約定内容通りに執行されない場合があるからこそ、問題解決の指針としての意味があるのであって、契約の自動執行を想定することは非現実的ではないでしょうか。
契約の意義は、予定に齟齬した場合を事前に想定し、予測不能な事情の変更について、当事者が誠意をもって事態の打開を図る義務を負うように定めることで、不確実な未来に対処するところにあるのであって、そこに、契約の本質があるとすらいっていいかもしれません。そうだとすると、スマートコントラクトは契約ではなく、不確実な未来を完全に予測し得ない以上、一般的には不可能だということになります。実際、それが現在の技術水準における通説なのでしょう。
しかし、逆にいえば、特殊な条件のもとで、一定の技術が確立しさえすれば、スマートコントラクトが可能になると考えることもできます。むしろ、そう考えるほうが知的に進歩的であり、創造的であろうとも思われるのです。つまり、スマートコントラクトとしての産業社会を構想するには、現状、技術的に解決すべき多くの課題があるのですが、しかし、だからこそ挑戦に大きな意味があるということです。
予測不能なことについては、定義により予測不能なのですから、いかに人工知能等の技術が進歩しても、人間の決断で対処するほかなく、人間によって構成される事業主体の存在は絶対不可欠ではないでしょうか。
なぜ、事業主体、即ち人間の組織が必要なのかといえば、いかに人工知能が進化しても、永遠に予測し得ないことが生起し続け、そのたびに人間の理性による判断、理性による判断というよりも意志による決断を求めるからです。そして、組織の決断には、組織の構造と統制、即ちガバナンスが必要なので、組織のガバナンスの重要性が強調されるわけです。このことは、スマートコントラクトが不可能であることの理論的根拠になっているのだと思われます。
しかしながら、ガバナンスの重要性がいわれるのは、ガバナンスが有効に機能しないことが多いからではないでしょうか。つまり、ガバナンスには、合理的な推論の誤謬や、決断の心理的回避など、人間的欠陥が露呈しやすいのだと思われるのです。ガバナンスの必要性を理由にスマートコントラクトを否定できるとしても、同時に、ガバナンスの欠陥を理由にスマートコントラクトを支持することもできるということです。
人間社会の全てを合理性で整理することは不可能だと思いますが。
人間の美的判断や感情に基づく行動を合理的に予測することも可能なのかもしれませんが、そうすることで美的判断や感情が損なわれるのならば、何の意味があるのか、そういう本質的疑念は消えないでしょう。例えば、最も人間的な雇用関係についてスマートコントラクトを適用することには、誰しも観念すること自体が困難であるほどに強い違和感を覚えるのではないでしょうか。
要は完全なものなどないわけで、通貨アマゾンが作り出す未来社会の検討を通じて、人間と人間社会の本質について反省をする機会を得ることができれば、それで十分です。なお、通貨アマゾンが他の法定通貨と共存するとき、通貨アマゾンが作り出す経済圏の価値は、その交換比率に現れるわけですから、もしも通貨アマゾンが騰貴するなら、それなりの社会的価値を形成したことの証明になるでしょう。
以上
次回更新は、1月31日(木)になります。
2018/09/13掲載「スマートコントラクトが作る映画「マトリックス」の世界」
2018/02/01掲載「悪魔の経済計算と計算不能な価値の多様性による成長戦略」
2017/01/26掲載「金融はロボットにやらせるべきか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。