スタンダールは書くことのマニアであって、書く情熱に突き動かされて書きました。マニアは軽い狂気です。その作中の人物は、作者同様に常に情熱に駆られていて、情熱が燃え尽きたときに死んでしまいます。そういう人物たちにとって、現在を生きることだけが全てで、未来への顧慮はないのです。故に、スタンダール的人間は、お金を得て、それを消費し、しばしば浪費し、冒険的企てに投じるかもしれませんが、貯蓄はしないに違いありません。なぜなら、貯蓄とは、将来への備えだからです。
貯蓄は、将来の消費を前提とした金銭の貯蔵ですから、計画的に合理的に形成されるべきものであり、消費もまた計画的に合理的になされ、消費の過程で貯蓄は計画的に合理的にとり崩されていくべきものです。金融庁が重点施策に掲げている国民の安定的な資産形成というのも、若年層の老後生活資金の計画的貯蓄と、老年層の計画的資産とり崩しによる消費を主に想定したものです。
貯蓄から投資へなどといいますが、貯蓄と投資の違いは何でしょうか。
貯蓄された資金が投資されるのですから、貯蓄と投資は同じことの二面をいうにすぎません。故に、貯蓄から投資へというのは不適切な表現だと思われます。もし、この表現に意味があるとしたら、貯蓄という言葉で預貯金を指し、投資という言葉で預貯金以外の多様な対象を指す場合です。実際に、そのような意味において、金融庁は、貯蓄のあり方に関する国民の選好として、預貯金への偏重傾向がみられる現状に対して、多様化を促そうとしているわけです。要は、論点は貯蓄の方法論なのです。
なぜ金融庁は貯蓄を資産形成と呼び換えたのでしょうか。
貯蓄には静的な貯蔵の意味合いが強く、故に、預貯金に結び付いてきたのに対して、金融庁としては、形成という言葉に動的な増殖の語感をこめようとしているのだと思われます。背景の政策意図は非常に明瞭で、貯蓄の目的を老後生活資金形成にするとき、課題は購買力の保存になるわけですから、少なくとも、物価上昇に連動して資産を増殖させる必要があるということです。
これは理にかなった政策です。なぜなら、一方で、若年層から資産形成を始めて、高齢に達してから資産のとり崩しを行うのですから、資産の形成期間と滞留期間は著しく長く、故に短期的な資産価格変動の危険を受け入れることができ、他方で、超長期であるが故に、その間の物価等の環境変化の危険が大きいのですから、二つの危険を上手に相殺できる可能性があるわけです。
購買力の保存を超えて、購買力の増大を図ることも資産形成の目的でしょうか。
金融行政の目的として、国民の安定的な資産形成と並んで、経済の持続的成長も掲げられていますが、この二つは、相互規定関係にあって、金融庁が好循環と呼んで期待するように、経済の持続的成長が資本市場を活性化させて国民の安定的な資産形成につながり、国民の安定的な資産形成が堅調な消費につながって経済の持続的成長をもたらすべきものなのです。
こうして好循環が実現すれば、実質的な国民所得が増大し、更に資産価値も増殖することで、資産形成の目的は、結果的には、よりよく実現されますが、逆に結果を目的として、資産形成において実質的な資産価値の増殖を目指すべきかどうかは難しい問題です。つまり、好循環とはいっても、資本主義経済の起点における成長動因は、企業家精神の発現なのであって、資産効果による消費の刺激は結果にすぎず、結果にすぎないことを少なくとも金融行政の目的にはできないということです。
投資とは、その企業家精神による企てに資金を投じることではないでしょうか。
資本主義経済の本質は資本の増殖過程ですが、その増殖は、企業家が常に資本を不確実な未来に向かって投じる、投じた資本が増殖して戻ってくる、それを再び未来へ投じる、その無限に続く循環によってもたらされるものです。この過程を通じて、投じた資本は戻ってこなかったり、減少したりしますが、資本全体としては、多数の企業家による多数の活発な活動の総体のもとで、増殖を続けていくのです。
なお、いうまでもなく、ここで企業というのは、字の原義の通り、業を企てることであって、業は何でもいいのですが、要は、全く新しいこと、科学的新発見の実用化、おもしろそうなこと、冒険的なこと、人間の生活を一新するようなこと、荒唐無稽な夢の実現、不可能にみえることなど、人間の心をとらえ、人間を駆りたて、人間を狂わせ、人間の情動を煽り、人間を無我夢中にさせ、人間を一心不乱に専念せしめるようなことです。
企業に駆りたてるものは、利益の期待ではないのですか。
資本が人間を支配し、資本が人間を動かすとしたら、資本主義は倒錯していることになります。資本主義が人間主体の経済原理だとしたら、資本を動かし、資本を支配するのは人間です。企業は人間の営みであって、その企業を実現させるために資本が投じられ、企業が成功すれば資本は増殖し、その純増分が資本利潤になるわけですが、資本利潤は企業の結果であって、目的ではないのです。
資本利潤は、再び企業に投じられ、更なる資本利潤を生みます。しかし、この循環は資本の自己運動ではなく、常に企業へと駆られている人間の情動の自己運動です。もしも、資本の自己運動ならば、資本の増殖に伴い限界利潤率が低下していき、利潤率がゼロになったときに資本主義は崩壊していたはずです。それが資本主義の倒錯を信じていたマルクスの予言でした。しかし、人間の情動は多様で無限なので、現に資本主義は発展し続けているのです。
企業は賭けでしょうか、賭けだとしても、合理的に計画的になされる賭けではないでしょうか。
企業の本質は不確実な未来への賭けであり、投資は賭けに資金を投じることです。そして、企業が合理的で計画的であり得るのは、賭けに付随する意図しない不確実性を制御できる範囲においてのみです。企業の目的にかかわる不確実性は合理的に計画的に制御できません。その不確実性を受け入れることは、企業の意図であり、企業の本質そのものなのです。
要は、企業は、スタンダール的人間の情熱的な行為なのであって、未来を合理的に計画的に設計することではなくて、現在に賭けることです。未来の不確実性について、それを合理的に計画的に制御しようとしたら、賭けること自体ができなくなります。企業は情熱であり、マニア、即ち軽い狂気の産物だといっていいでしょう。
では、資本主義は壮大なる賭けの体系でしょうか。
企業が賭けであるとはいっても、馬や骰子の目に賭けることとは違って、人間の人間的な営みである企業に賭けることであり、人間の潜在的能力が無限に開発される限り、社会総体としての企業を通じて、資本は増殖します。故に、個々の企業は賭けでも、賭けの総体は賭けではありません。
多くの失敗を伴う無数の賭けは、総体としての賭けの成功の基礎です。このことは競争原理を前提としている資本主義経済の本質です。競争と淘汰を通じた資本の最適配置が資本の成長をもたらすわけですから、賭けに負けるものなくして勝つものなく、勝ち負けの総合収支は勝ちとなる、これが資本主義です。
企業が賭けなら、企業に資金を投じる投資も賭けですか。
企業が賭けなら、投資も賭けです。金融庁が投資ではなく資産形成という用語を採用している理由のひとつとして、資本主義の根底にある冒険性、不確実な未来への賭けとしての性格、それを支える投資の賭けとしての性格を意識していることは間違いないでしょう。つまり、投資の非合理性に対して、資産形成の合理性を前面に立てたいわけで、これは金融行政として当然のことです。
実際、投資に賭けとしての性格を見出すことは一般的な傾向だと思われ、貯蓄が預貯金に偏在することの背景をなしているとも推察されます。そこで、金融行政の課題として、資産形成の名のもとに、投資を合理化して賭けとしての性格を払拭する必要があるわけです。もちろん、言葉のうえで賭けとしての性格を隠蔽するのではなく、実質的に賭けを合理化することが求められるのです。
その合理化の方法論が長期分散投資だというわけですか。
個々の企業が賭けでも、総体としての賭けは賭けではなく、合理的な資本利潤が期待できる、この総体としての賭けに資金を投じる技法が資産形成と呼ばれるものであって、普通のいい方では長期分散投資となるのです。なかでも資産形成で推奨されるのがインデクス運用ですが、それは、インデクス運用が企業の全体に投資する方法として一番徹底していて、費用が一番小さいからです。
国際分散投資も推奨されるのは、いうまでもなく、もはや、日本のなかにおける賭けだけでは不十分で、広い世界の多種多様な賭けをとり込むことが不可欠だからですし、資産形成の目的を購買力の保存におくときは、日本の円という通貨の世界市場における購買力が問題になるからです。
しかし、投資の合理化は、企業に反射して、資本利潤の原点にある企業の賭けとしての性格を変質させはしないでしょうか。
もう既に、そうした弊害は顕著に現れています。現代資本主義において、企業は、非合理的な賭けとして業を企てるという本来の意義を失い、合理的に組織された法人の業務となり、法人自体を意味するようになっていて、賭けの動態の喪失が資本の利潤率を低下させている側面を否定できないでしょう。
そこで新しい成長戦略は、組織の合理性を破壊し、賭けを復興させることに向かわざるを得ないわけで、実際、賭けとしての企業の活力のあるところ、法人としての企業の栄枯盛衰、盛者必衰、離散集合の連続的再編成は不可避であって、賭けに向かう投資も、それに応じて動態的でなければならず、逆に投資の動態が企業組織の再編を促す機能も重要になっています。
その意味で、日本では、賭けの動態を喪失した組織としての企業が支配していて、憂慮すべき深刻な事態にあります。故に、政策として、企業統治改革と働き方改革が最重要視されるのです。特に、働き方改革の本質は、組織に閉じ込められて窒息している賭けのマニアを解放することです。そうして賭けの狂気が爆発し、投資が動態化しない限り、合理的な資産形成は意味をなさないのです。
2018/10/11掲載「投資はチャンステイクだ」
2018/05/31掲載「こんな投資信託があれば飛ぶように売れる」
2016/01/28掲載「資産運用に携わる君よ、賭けているか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。