金融の王道は信用金庫と信用組合にあり

金融の王道は信用金庫と信用組合にあり

森本紀行
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信用金庫や信用組合のような協同組織金融機関は、金融機関である以前に協同組織であり、その構成員のための金融機能を内製化したものですから、利用者である事業者や生活者が所有する金融機関として、産業と家計を主役とし、自らは脇役に徹するものとして、本質的に顧客本位なのです。ここに、自らを主役と勘違いし顧客不在に陥りがちな銀行との決定的な違いがあり、協同組織金融機関が金融の王道を守る所以があるのです。
 
 代表的な金融機能である融資は産業と家計にとって必要なものですが、いつでも誰でも同一条件で融資を受けられるわけではなく、そもそも借りられない場合、形式的には借りられても金利が負担能力を超えてしまって実質的に借りられない場合、借りられても必要金額に満たない場合など、必要性が充足されないことは珍しくありません。
 こうした事態は、一方では、融資した資金の回収可能性に関する金融機関の経済合理的判断の結果ですから、当然至極のことではありますが、他方で、経済合理的判断の内実に踏み込むときは、金融機関の費用構造や審査能力等に応じて融資判断が異なり得ることがわかりますから、そこに金融機関の自己都合や諸制約が働いていることもみてとれるのです。そこで、債務者側の事情では融資を受けられるはずでも、金融機関側の事情で融資を受けられないことが生じ得ます。これが金融排除と呼ばれる事態です。
 しかし、金融排除の定義により、排除されるべき対象は金融機関の事情に応じて異なることになりますから、各金融機関が固有の差別優位を競えば、ある金融機関から排除されたものが他の金融機関によって救われることで、全体としては金融排除を生じさせないようにできる理屈です。実際、金融行政の目指すべきことは金融排除の排除ですから、その課題を実現できるように異なる金融業態の併存を工夫してきたわけです。
 
そこで、銀行とは異なるものとして、信用金庫や信用組合があるのですね。
 
 既存の金融機関から金融排除されてしまう人々があり、それらの人々の所属する地縁等に基づく共同体があるとき、その共同体が金融排除された仲間を救おうとするのは相互扶助の精神の自然な発露であって、そのようにして生まれたのが共同体を基盤とする協同組織金融機関です。その代表が信用金庫と信用組合ですが、信用金庫は地域共同体、信用組合は地域のほかに職域や産業に基づく共同体を基盤にしています。
 協同組織金融機関が銀行と決定的に異なるのは、金融機関である以前に協同組織であり、協同組織の構成員が同時に金融機能の利用者であることです。つまり、銀行の場合は、株式会社として外部株主をもつが故に、株主の利益を考慮する限り、一定の範囲における金融排除を避けがたいのに対して、協同組織金融機関の場合は、まさに、そのようにして生じた金融排除を埋める役割を果たしているのです。
 
相互扶助というのは、具体的に、どういうことでしょうか。
 
 協同組織金融機関の本質を理解するために、理念的な閉じた共同体のあり方、即ち、共同体構成員のもつ全ての金融資産が協同組織金融機関への預金と出資金になっており、全ての負債が同金融機関からの借入れになっていて、協同組織金融機関の全事業が構成員を対象にしたものに限られている状態を考え、そのうえで、協同組織金融機関と全ての共同体構成員の貸借対照表を連結してみましょう。
 そうすると、協同組織金融機関の預金と出資金の合計額は構成員の金融資産と相殺され、融資額は構成員の負債と相殺されて、協同組織金融機関の大部分は消去されます。この消去されてしまうことが協同組織金融機関の本質なのだと考えられるわけです。つまり、協同組織金融機関は、それ自体として独立して存立しているのではなく、基盤としている共同体に内属する金融機能にすぎないということであって、独立して存立しているのは共同体だということです。
 さて、協同組織金融機関は、あらかた消去されても完全に消去されることはなく、そこに、小さな資産と、その反対勘定としての預金が残ります。この残余こそ、共同体が保有する金融資産の総額です。この金融資産の小さな総額は、協同組織金融機関に集積されることにより、その数倍の大きな融資額を創出しているわけです。
 この資金を増幅させる効果を信用創造と呼ぶのですが、理念的な協同組織金融機関では、信用創造を純粋な形態でみてとれるだけではなく、共同体のなかの小さな資金を信用創造によって増幅することで共同体に広くいきわたらせるところに、相互扶助の仕組みもみてとれるわけです。
 
相互扶助とはいっても、金融機関としての存立のためには、収益性の確保が必要かと思われますが、相互扶助と収益性とは矛盾しないでしょうか。
 
 協同組織金融機関は、共同体のなかで金融機能を内製化して生まれたものですから、少なくとも外部の銀行に流出するはずの付加価値の範囲内においては、収益性を確保できるはずです。しかも、金融機能の利用者である顧客によって所有されていて、収益は究極的には顧客に帰属するのですから、最初から相互扶助と収益性との間に矛盾は生じ得ません。
 しかし、重要なことは、協同組織金融機関が外部の銀行に収益性において拮抗できることではなく、顧客との情報の対称性によって、むしろ相対的な優位を実現できる可能性のあることです。
 
情報の対称性とは何でしょうか。
 
 融資の実行においては、顧客である債務者の弁済能力を適切に判断しなければなりませんが、情報の対称性とは、その判断を行うために必要な顧客の属性情報を正確に把握できていることです。協同組織金融機関の場合は、顧客によって所有されていること、即ち顧客が外部ではなく内部にあることのために、情報の対称性を実現しやすいのです。
 銀行の場合は、顧客は外部の存在であり、その属性を十分に把握できないことがある、即ち情報の対称性を実現できないときがある、実は、金融排除とは、そうした状況において起きるわけです。情報の対称性を実現できれば融資可能なのに、それができないから融資できないということは、銀行の情報能力の問題であって、債務者の属性の問題ではないということ、これが金融排除の本質的論点です。
 
しかし、金融機関としては、適切な融資判断が可能になる限りにおいて必要な情報を得られればよく、逆に、その情報が得られないときは融資しなければいいのですから、情報の対称性など不要ではないでしょうか。
 
 まさに、その通りであって、それが普通の銀行の正当な論理です。銀行としての効率的な収益性を追求する限り、積極的に費用をかけて情報の対称性を実現し、融資先を拡大する必要はないわけで、一定の基準を充足する顧客層だけを対象にして事業を行うほうが合理的でしょう。
 しかし、逆にいえば、そうした普通の銀行の経営姿勢は、基準から外れた顧客を金融排除に追い込むわけですから、そこに銀行によっては埋め得ない空隙を生じます。協同組織金融機関は、協同組織としての情報の優位を生かすことにより、その空隙を埋めるために生まれたのです。
 
標題の意味は、金融排除の排除こそが金融の王道だということでしょうか。
 
 ある銀行において基準を充足するが故に融資対象となる顧客は、他の銀行の基準においても顧客たり得る可能性が高く、顧客の立場からすれば金利の低さだけが銀行選択の決め手になってしまい、銀行の事業は競争を通じて収益性の低下を招きます。それを更なる標準化と効率化によって補うことは悪循環です。要は、差別優位の確立こそ事業の王道だとしたときに、銀行は金融の王道に反するというよりも、事業の王道に反しているのです。
 それに対して、銀行が生み出す金融排除のなかに事業機会を見出すことは、金融排除された人や企業の様々に異なる事情に対して、様々に異なる対応を工夫するということですから、真の差別化という事業の王道を追求することになります。協同組織金融機関は、協同組織の利点を生かして事業の差別化を実現するものとして、金融の王道を歩むのです。
 
事業の王道には顧客本位も含まれないでしょうか。
 
 銀行は、自らの融資基準を先に適用することで、既に銀行本位なのです。それに対して、協同組織金融機関は、徹底した顧客の視点で顧客の事情に合わせた金融のあり方を工夫しなければ金融排除を救えないのですから、本質的に顧客本位なのです。そして、顧客本位こそ事業の王道であるという意味においても、協同組織金融機関は金融の王道を歩むのです。
 
顧客を支援する力も協同組織金融機関のほうが優れているでしょうか。
 
 債務者は生きて活動している主体ですから、属性は日々変化します。銀行の立場からいえば、属性の変化に対応して融資判断を変更すればいいだけのことですが、それでは、昔から有名な皮肉の通り、「銀行は晴れのときは傘を貸し、雨が降ると取上げる」ということになりかねませんし、顧客も傘を取上げられると困るので、財政状況の悪化を銀行に伝えません。
 それに対して、協同組織金融機関は、顧客との間で真の情報の対称性を実現している限り、顧客の状況の悪化等の問題を早期に把握できて、適切な時期に適切な支援を実施できる可能性があります。このことは、協同組織として、仲間の脱落が組織全体に与える影響を考慮し、仲間を救おうとする相互扶助の精神の自然な発露だともみなせます。
 さて、融資において、一定の信用損失は避け得ないわけですが、銀行のように、効率性を重視して切り捨てることで拡大を回避しようとすることと、協同組織金融機関のように、費用をかけて支援をすることで発生自体を防止しようとすることは、哲学的に異なることで、どちらが正しいともいえないわけですが、協同組織の場合は、組織防衛こそが存立の条件であるという面を見逃せないのです。
 
しかし、現在では、理念的な共同体としての協同組織金融機関など、実在しないのではないでしょうか。
 
 もはや、閉じた共同体などあり得ません。程度の差こそあれ、どの協同組織金融機関も、境界において相互に浸透し合い、外部からの銀行の侵入を防げていませんし、また、経済の成熟に伴い、内部に形成された貯蓄は資金の需要に対して過剰になっています。協同組織金融機関は、協同組織としての存在意義と結束が希薄化するなかで、徐々に銀行化しつつあるといっていいでしょう。
 しかし、そのことは同時に二つの可能性を生みます。第一に、全体としての銀行化は新たな金融排除を生み、そこに新たなる事業機会を生んでいるのではないか、第二に、旧来の共同体が消えていくなかで、新たな共同体を再構築できる可能性が生まれているのではないのか。そして、この二つは、おそらくは、同じことなのです。協同組織金融機関は、その原点において、金融排除を排除するために作られた共同体だったからです。
 
以上

 
次回更新は、8月8日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/03/30掲載「地域経済を連結すると信用金庫になる
2017/02/23掲載「銀行は消滅、信金・信組は不滅
2017/02/09掲載「銀行死す、銀行員よ、死の覚悟をもて
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。