お役に立った投資信託といえるために

お役に立った投資信託といえるために

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック
金融というのは、顧客が支出しなければならない資金量と、現に顧客の手元にあって支出可能な資金量との差を調整する機能であって、手元資金の不足に応えるのが融資、余剰に応えるのが資産形成、そして、資産形成の道具が投資信託です。融資が役に立っていることに説明は不要ですが、投資信託については、役に立っているかどうか全く不明ですから、普及するはずもなく、さて、どうしたら有用なものとして認知され得るのか。
 
 金融とは資金の過不足を時間軸上で調整する機能であること、不足を補うのが融資であること、余剰の滞留する場所が預金であること、これらのことは、社会人の常識として誰でも知っていますから、金融教育など全くもって不要です。むしろ、金融教育と称して付随する技術的な論点を説くことは、金融の単純極まりない本質を歪めて、難しいものであるかのように誤認させる弊害のほうが多いと懸念されます。
 しかし、余剰資金を預金に滞留させることの延長として、金融庁のいう資産形成、即ち投資信託で適切に運用し、その増殖を図ろうとすることについては、社会常識として定着しているどころか、むしろ非常識で危険なことだというのが普通の人の考えでしょう。
 そして、この一般的認識を改めることが金融庁の最重点施策であって、老後2000万円報告書を公表して国民に直接に訴えかけたことは、全く思いもかけない政治的思惑から報告書が非常に有名になったことで、国民に広く知られているわけです。
 
国民の常識を変えるための投資教育ですか。
 
 教育によって常識を変えることは、仮に不可能ではないとしても、常識ということの意味からして、著しく無理のある話であって、やはり、常識は実体験のなかから自然と形成されるものでなくてはならないでしょう。この点は金融庁も認めていることで、資産形成の成功体験が常識を変えるという前提になっているのですが、ここには典型的な鶏と卵の矛盾があって、成功するためには実行が先になくてはならず、実行を促すためには成功事例が先行していなければならないのです。
 
資産形成に差し迫った必要性を感じれば、成功体験がなくとも、誰でも実行するのではないですか。
 
 金融庁は、その差し迫った必要性について国民に訴えかけるために、老後2000万円報告書を公表したわけですが、その必要性を公的年金給付の不足を補うために差し迫ったものとして解釈される余地があったために、一方で、政治問題を引き起こすという失敗を犯し、他方で、政治問題化したが故に、ある程度の国民の理解を得ることにも成功したわけです。
 
しかし、豊かな老後生活のための資産形成の必要性というのは、住宅ローンの必要性と比較したときに、あまりにも抽象的で、差し迫ったものにはなり得ないようですが。
 
 金融に必要性があり、その必要性が充足されたとき、金融は役に立ったのです。そして、金融は、社会的に役に立つからこそ、また役に立つ限りにおいて、事業として成立するのです。
 このことは、住宅ローンを見れば、わかります。住宅が必要なのに資金が不足する、そこに住宅ローンに対する需要が生じ、住宅ローンによって必要性が充足されたとき、住宅ローンは顧客の役に立ち、故に顧客は満足し、満足するが故に金利を払う、故に住宅ローンは事業として成立する、この理屈は全ての商売の基本原則であり、金融が例外であるはずもないのです。
 では、資産形成、より具体的に投資信託は、この商売の基本原則を満たしているでしょうか。確かに、金融庁の想定するように、上手な資産形成により豊かな老後生活を送る人の実例が示されればいいのですが、現状、おそらくは実例は少数で、しかも、そのような成功例の人は他人に吹聴しないでしょうから、世に知られる実例は更に少数でしょう。
 
投機は、間違いなく、商売の基本原則を満たしていますね。

 投機はギャンブルですが、ギャンブルが好きな人にとって、投資信託が投資対象にしているものの多くは、株式を代表例にして、投機の対象になります。投機する人にとって、投機すること自体が必要性であり、価格変動をついて売買を繰り返すことの快感によって、損得にかかわりなく、必要性は充足され、投機家の役に立つが故に投機家は満足し、満足するが故に喜んで手数料を支払う、故に証券会社と取引所の事業が成立するわけです。
 こうして、投機は、ある種の人間の本性に適い、商売の基本原則を満たすが故に、決して廃れることはなく、FX、暗号資産と対象を拡大させつつ、繁栄を続けるのでしょうが、投機家が勝手に損をするのは社会的に無害だとして、資産形成を投機だと誤認する人を生み出すことは極めて有害だといわざるを得ません。
 また、同じ投資対象について、ギャンブルならば簡単に事業として構成できるのに対して、社会的に意義の高いはずの資産形成になると、簡単に事業に構成できないことは金融の一つの矛盾ですし、金融界が簡単なギャンブルを収益源とし、その短期的な事業戦略の結果として、長期的に有望な事業である投資信託を通じた資産形成の発展を阻害するというのも大きな矛盾です。
 
ところで、金融庁は盛んに「見える化」というようですが。

 資産形成について、「見える化」を強調しなければならないということは、そこでは顧客に何も見えていないことを金融庁自身が認めざるを得ないということです。そして、何も見えていないのは金融機関も同じことで、全てが見えている住宅ローンのようには対応できず、それでは仕事にならないので、目に見えるノルマ営業と手数料稼ぎに奔走することになるのです。
 さて、住宅ローンが見えているのは、住宅ローンの対象になる住宅が物理的存在として明瞭に見えているからです。ならば、資産形成が見えるためには、その対象となるもの、代表的には老後生活が見えればいいことになります。そこで、老後2000万円報告書には、各人が思い描く豊かな老後生活の「見える化」の必要性が論じられていたわけです。
 この「見える化」とは、具体的には老後の消費計画のことで、その計画の実現に必要な原資から公的年金や企業年金の給付を控除したとき、個人の自助努力としての目標金額が見えてくるという理屈です。しかし、これは理屈倒れになりやすいでしょう。なぜなら、かような老後生活の「見える化」が可能な人は、既に資産形成が終わっていなければならない年齢にあり、これから資産形成に取り組む人は、「見える化」が可能な年齢には達していないはずだからです。
 
かといって、預金についても、その使途が見えているわけではないようですが。
 
 預金は、とうの昔、ゼロ金利になったときから、資産形成の機能を完全に喪失し、現金の安全な存在形態にすぎなくなっています。さて、その現金が預金に滞留するということは、具体的な使途がないからで、具体的な使途がないのならば、資産形成に回したらどうか、そうすることで少しでも資産を増殖させ、消費を豊かなものにしたほうがいいのではないか、これが金融庁の国民への提言なのです。
 なぜ、おせっかいな提言を金融庁がするのかというと、金融行政の目的として、金融機能の高度化を通じて経済の持続的成長を実現し、もって国民の厚生の増大を図ることを掲げているからです。つまり、豊かな消費が経済を支え、経済の成長が資産の増殖をもたらし、それが更に豊かな消費を刺激するという好循環の実現、それが金融庁の行政目的だということです。
 そこで、金融庁が「見える化」を徹底するのならば、預金に滞留する資金の消費使途の「見える化」が重要なのだと思われます。実際、老後生活の消費計画の「見える化」も、預金が高齢者に偏在している現状からすれば、その預金の資金使途の「見える化」になるのですから、若年層も含めて、資産形成の問題は、預金の使途の「見える化」として一般化できるはずです。
 
要は、必要を超えた預金の滞留を合理化するということですね。

  金融は、資金使途の必要性に徹底的に忠実でなければなりません。必要性を超えて融資することは、顧客の真の利益を損ねるのと同じように、必要性を超えた預金の保有も、顧客の真の利益に反する場合があるわけです。
 また、金融は、資金の過不足を時間軸上で調整する機能に徹底的に忠実でなければなりません。使途が短期的に定まっている資金は、預金にとどめるべきであり、その資金に対して投資信託での運用を提案することは厳に戒められるべきです。逆にいえば、当面の資金使途が具体化されていない預金に対しては、適切なる投資信託での運用が提案されなくてはならないということです。
 
しかし、資金使途が具体化されていない限り、具体的な運用計画も立てられないのではないでしょうか。
 
 運用計画を規定するのは資金額、運用期間、運用成果の期待値という三要素ですが、よく知られている関係は、運用成果の期待値を大きくすれば、その達成に関する不確実性が増加し、運用期間を長くすれば、その不確実性が低下することであって、運用の要諦は、この三要素間の合理的関係の構築にあるのです。
 例えば、金融庁が推奨する老後生活資金形成とは、豊かな老後生活の「見える化」によって目標金額を決め、毎月の家計からの積立額を定めて、積立累積額と目標金額との差から運用成果の必要期待値を求め、超長期の運用期間という利点を生かして、目標実現の不確実性を小さくすることなのですが、ここでの要諦は、許容できる不確実性と運用成果の期待値との合理的関係です。
 そして、こうした検討は、数年後に新車に買い替えるための原資の運用、時間をかけた住宅ローンの頭金の形成など、全ての資産形成に一般的に適用できることであって、むしろ、成功体験という意味では、車や住宅など、資金使途が目に見える中期的な資産形成での経験の積み重ねが重要なのだと思われます。

金融機関の適切な助言も重要ですね。
 
 運用機関の役割は、運用計画を投資信託の組み合わせに具体化して、顧客に提案することであって、それが金融庁のいう顧客本位の業務運営なのです。故に、金融庁は、金融機関の顧客本位の業務運営の成果、即ち顧客の成功体験の「見える化」を重視するのですが、「見える化」というからには、目に見える目的に対する中期的な資産形成での実例が重要なのだと思われます。

以上

 

次回更新は、11月14日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
 2019/09/26掲載「不要な生命保険はどれくらいあるのか
 2019/04/25掲載「楽しく夢のある投資信託
 2019/01/10掲載「スルガ銀行が再び夢に日付をいれる日のために
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。