お金を貯めて殖やして何が楽しいのだ

お金を貯めて殖やして何が楽しいのだ

森本紀行
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国民の安定的な資産形成金融庁の最重点施策ですが、そこでは、形成された資産は生活のために取り崩されることが前提になっていますから、資産形成とは、お金を貯めて殖やすことであるよりも、お金が殖えた分を豊かに消費することだといえます。こうして、資産形成は、生活に密着した消費目的との関係でなされることであって、お金を貯めるために貯め、殖やすために殖やすことでは決してないのです。
 
 借金をするために借金をする人はいません。銀行にローンを申し込む人は必ずローンで実現しなければならない資金使途をもっているのです。しかも、どうしても現時点で資金使途を実現しなければならないのに手元資金が不足しているという状況のもとでなければ、ローンは利用されません。
 なぜなら、ローンを利用する以上は、家計上、ローンの弁済計画がたてられるはずで、その同じ計画に従って資金を積立てることもできるわけですから、使途の実現が将来時点でもよければ、ローンの金利という余計な費用を払う必要はないからです。逆にいえば、ローンが事業として成立するのは、資金の不足を補完して使途の実現を前倒すことの対価として、喩えれば顧客が時間を買う対価として、顧客から金利を徴収できるからなのです。
 
資金使途の実現を後倒しにするのが金融庁のいう資産形成なのですね。
 
 ローンを利用するのと全く逆の状況、即ち、資金は既に準備されているのに使途の実現は将来時点にあるという状況があり得ます。そこで活躍するはずの金融機能が金融庁のいう資産形成、普通の用語でいえば投資であって、それが事業として成立するのは、手元資金を投資運用して、使途の実現を後倒すことの対価として、喩えれば顧客が時間を売る対価として、顧客に投資収益を還元し、それに対して適正な手数料を顧客から徴収できるからです。
 つまり、金融機能を利用することの意味は、ローンを用いて資金使途の実現を前倒せば、早く効用を得る利益のために金利という費用を払い、逆に資産形成によって資金使途の実現を後倒せば、遅く効用を得る不利益の補償として投資収益という利益を得ることになります。要は、金融機能とは、資金使途を実現する時期の調整にほかならず、その時間調整が金利という費用を生み、投資収益という利益を生むのです。
 このように、ローンと資産形成との間には、資金使途実現の時期について、前か後かという差しかないのですから、資金使途のないローンがあり得ない以上は、資金使途のない資産形成もあり得ないことになります。故にローンについては必ず資金使途が問題にされるわけですが、資産形成については必ずしも資金使途が問題にされないのは、なぜでしょうか。
 
金利費用が確実なのに対して、投資収益は不確実であるという決定的な差があるからではないでしょうか。
 
 投資収益は不確実であり、投資損失になる可能性もある、故に、使途のある資金で資産形成を行うべきではない、これが一般的な理解なのでしょう。しかし、使途のない資金を殖やして何になるのでしょうか。資産形成のための資産形成、投資のための投資というのは、ローンのためのローン、即ち借金するために借金するのと同じように、無意味ではないでしょうか。もし、無意味でないとしたら、ゲーム、あるいは投機としての意味しかないのではないでしょうか。
 事実、多くの人の健全な良識のもとで、投資は危ない投機だと感じられてきたはずであり、そのことが金融庁のいう資産形成の普及を妨げてきたはずなのです。しかも、資産形成の普及を図ろうとする様々な試みにおいても、多くの場合、投資のための投資についての技術論が展開されるのみで、肝心の投資の目的について語られることはありません。
 
それは、投資、あるいは資産形成の目的は資金を増殖させることとして、自明だからではないでしょうか。
 
 投資とは、リスク、即ち損失の可能性を受け入れることで、リターン、即ち期待損失を上回る期待利益の可能性を享受することである、これが投資についての一般的な理解でしょう。そして、投資教育と呼ばれる領域では、このリスクとリターンとの関係を上手に設計すること、即ち、より少ないリスクで、より大きなリターンをあげることについて、例えば、分散投資であるとか、長期投資であるとか、様々な技術論が展開されているわけです。
 しかし、こうした投資教育においては、技術的なことが問題にされているだけで、なぜリスクをとってまでリターンを得なければならないのか、なぜ資産を増殖させなければならないのか、なぜ投資しなければならないのか、投資の目的は何かについて論じるところはないのです。これでは、投資をゲームにするだけではないでしょうか。
 
資産を増殖させれば、より豊かに消費できるということですか。
 
 まさに、ゲームではない資産形成、真の資産形成には目的が必要であり、その目的は豊かな消費以外にはあり得ません。このことを金融界で初めて明らかにしたのは、ほかでもない金融庁です。
 金融庁は資産形成の主たる目的を国民の豊かな老後生活に定め、その普及を熱心に図っているのですが、現時点で老後生活に焦点を絞っているのは、公的年金改革との関連で、「つみたてNISA」等の施策を通じて、国民の自助努力を促すことが政府の最重点課題だからであって、消費における豊かさを求める国民の意思との関連において資産形成が位置づけられるべきことは、老後生活に限ったことではありません。
 
なぜ金融行政において豊かな消費が問題になるのでしょうか。
 
 いうまでもなく、金融庁の行政目的は金融機能の高度化ですが、金融機能の高度化のための高度化は無意味ですから、金融庁は究極の行政目的を金融機能の高度化を通じた経済の持続的成長の実現においているわけです。では、経済成長の動因は何かといえば、消費の拡大であり、消費の拡大の動因は国民が豊かさを追求することなのですから、金融行政の目的の連鎖をたどれば、最終的には資産形成を通じた豊かな消費の実現にたどり着くのです。
 
経済成長が目的なら、ローンを通じた消費の前倒し効果のほうが大きくはないですか。
 
 ローンによる消費の効用は、豊かに消費することではなくて、早く消費することですから、需要を前倒す効果があるものの、経済成長が後続してこない限りは持続可能性がない、いわば自転車操業のようなものになります。
 しかし、金融庁が行政目的に掲げるのは単なる経済成長ではなく、持続可能性のある経済成長ですから、経済成長が資本市場の活況をもたらし、それが資産形成を通じた資産増殖につながり、それが更に消費拡大による経済成長につながるという好循環の実現が必要なのであって、故に、資産形成が重視されるのです。
 
家計規律という面からみると、ローンには弁済の強制力が働きますから不要ですが、資産形成には必須であって、それも資産形成の普及を妨げているのではないでしょうか。
 
 ローンによって先に必要な消費目的を実現してしまうと、後は弁済という強制力が働きますから、消費が必要に基づく限り、家計規律は不要ですが、逆にローンの安易な利用によって過剰な消費がなされないようにするためには、家計規律よりも前の問題として、生活規律が必要になります。そして、個人の生活規律だけではなく、ローンを供与する側にも節度ある対応が求められるわけで、そこに金融機関の社会的責務があるのです。
 これに対して、資産形成の場合は、原資を家計規律によって計画的に捻出しない限り、始まり得ないという問題があります。特に、豊かな老後生活のための資産形成は勤労期間中の超長期にわたることですから、積立て資金を確保するための家計規律は必須ですが、誰にとっても容易なことではないので、計画的積立てを税制優遇措置の適用条件にしたり、給与天引きや口座自動引落としにしたりして、制度的工夫による一定の強制力が働くようにしてあるのです。
 
事実として、個人貯蓄が預金に偏在し、資産形成が普及していなのは、豊かな消費を求める国民の意思が弱いからでしょうか。
 
 金融庁は勤労層の資産形成に重点を置いているのですが、より大きな問題は、既に形成済みである高齢者の資産が預金に偏在していることです。余命の長さを考えれば、その一部について合理的な資産形成の方法はあるはずですが、それがなされないのは、おそらくは、豊かさよりも、安全安心を求める傾向が強いからだと想定されるわけです。
 
豊かな消費を求めないのは、高齢者に限らず、国民全般にみられる傾向ですね。
 
 高齢者に限らず、使途のない資金が大量に預金滞留しているわけですが、使途がないということ自体が大きな問題ではないでしょうか。使途がないということは、使途を見つけられないということであり、お金によって実現したい夢がないということであって、豊かさを思い描けないということです。まさに、ここに日本経済の根源的問題が潜むのです。国民が豊かさを求めずして、夢を追わずして、どうして経済の成長があり得るのでしょうか。
 お金を貯めて殖やしても、何も楽しくありません。殖えたお金で夢を実現してこそ、楽しいのです。日本の政治の喫緊の課題は、国民が夢を見て、夢を実現して楽しくなるような社会の建設です。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
 2019/04/25掲載「楽しく夢のある投資信託
 2015/12/17掲載「住宅ローンが欲しいのではない、住宅が欲しいのだ
 2014/05/22掲載「冒険者はリスクを冒さない
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。