企業グループについては、グループを形成すること自体の合理性が常に問題にされてきました。なぜなら、一方には、グループが結合すべきものなら、なぜ分社しているのか、他方には、グループ内各社に独立性があるのなら、なぜ結合しているのかという両極の問いに合理的な答えが必要になるからです。
このとき、基本的な論点としては、多様な業務の結合で構成される事業の遂行において、組織の非効率を排する目的で、異なる業務内容に即して組織が分割され、分社されることもあるために、企業グループが生まれると考えるほかありません。
そこで、人事処遇制度について考えるときは、一方では、分社されていることの合理性に応じて、グループ内各社に固有の制度が必要になるとしても、他方では、グループとしての統合を表現し、同一グループへの帰属意識を醸成するものとして、グループ共通制度も必要になるはずです。
例えば、具体的には、給与や賞与については各社固有の制度とし、福利厚生制度についてはグループ共通にするということでしょうか。
給与や賞与は、働く人それぞれの成果と貢献に適切に報いるものとして、組織に固有の職務内容と働き方に基づいて決められなくてはなりませんから、各社ごとに異なっていることに合理性があります。それに対して、福利厚生制度は、所属組織を超えてグループ内で働く全ての人について、働くための共通環境を整備するものとして、グループ共通であることに合理性があります。
そして、福利厚生制度の重要な機能は、企業グループの総合的な人事戦略として、同一の働く環境を提供することで、同一グループへの帰属意識とグループとしての一体感を醸成するだけでなく、環境の魅力度を高めることを通じて、人材市場における競争力を強化することなのです。
帰属意識とは、ある種の特権意識のようなものでしょうか。
外国を意識しない限り、国民意識が生まれないのと同じように、企業グループの外を意識しない限り、グループに対する帰属意識は生まれません。働く人にとって、当該企業グループに属することは何か特別のことであり、世間一般で働く人とは異なる扱いを受けているとの実感をもてること、それが帰属意識の実質的内容でしょうから、多少の語弊はあるものの、特権意識と呼び替えてもいいでしょう。
この特権意識の醸成が人事処遇制度としての意味をもつのは、いうまでもなく、それが就労意識に影響を与えることで、働く人の勤勉と精励、前向きな勤務態度、自主的な貢献等を引き出し、生産性の向上につながって、企業の利益になると想定されているからです。
ところが、こうした働く人の意識への影響は、給与や賞与からは生まれません。なぜなら、給与や賞与は、貢献に対する正当な対価とみなされる限り、その水準にかかわらず、少しも特別なものとしては受容され得ないからです。それに対して、福利厚生制度の場合には、貢献に直接には連動させないことで、逆に特別の意味を付与させることができるのです。
その特権意識のようなものが働く人を引き留めるわけですね。
働き方改革が徹底していき、様々な働きが生み出す付加価値について、その適正価格として給与や賞与が決められるようになれば、人は会社を選ぶのではなく、仕事を選ぶようになるでしょうし、実は、そうした働く人の行動様式の変化こそが働き方改革の目的であるはずです。なぜなら、働き方改革は、それが政策である限り、個々の企業の生産性向上が目的ではなく、日本社会全体としての人材の適正配置を実現して、日本産業全体としての生産性を向上させることが目的だからです。
ならば、当然に、人の流動性は高くなります。そのとき、敢えて給与や賞与により人を引き留めようとすることは、その人が生み出す付加価値以上に支払うことを意味しますから、不合理になります。つまり、給与や賞与は、それが貢献に対して適正に支払われる限り、人を引き留める力がないのです。
それに対して、福利厚生制度の代表的なものである企業年金のうち、確定給付企業年金は、勤続年数が長いほど支給条件を働く人に有利になるように設計することで、人材の引き留め効果を生むことができます。実は、日本企業には退職金制度が古くからあり、そこでは長期勤続を奨励するように給付設計されていたのですが、確定給付企業年金の多くは、その退職金制度からの移行によって作られた経緯があるのです。
高齢化社会において、長く働ける環境が提供され、しかも、その結果として公的年金を補完する企業年金の給付を受けられ、老後生活を豊かにできること、このことは働く人にとっての大きな魅力でなくてはなりませんから、企業にとって、企業年金は、人を引き付け、人を引き留めるための有効な福利厚生制度として見直されるべきなのです。
人を引き留めるだけでなく、人を引き付けるためにも、福利厚生制度などの広義の働く環境が重要な要素になるということですか。
小さな子供のいる人にとって、企業内に保育所があること、ペットのいる人にとって、それを職場に連れてきていいことは、大きな魅力です。その他一般に、多様な働き方に対応し、更には働き方を超えて多様な生き方に対応した弾力的な勤務形態を認め、それを可能にする支援制度を充実させることは、働き方改革の進行とともに、働く人が企業を選ぶ重要な要素になってきます。こうした広義の働く環境として、福利厚生制度は、人を引き付け、人を引き留めるための重要な機能を担うようになるのです。
働く環境といえば、福利厚生制度の枠を超えますね。
福利厚生制度以上に、企業が働く人に提供できる環境とは、そこに自己実現の機会があること、優秀な仲間がいること、優良な顧客基盤があること、社会的信用があること、企業名が広く社会に認知されていることなどを含み、それらの総合が人を引き付け、引き留める要素になるのです。
いずれにしても、給与や賞与は、働き方改革の進行とともに貢献を適正に反映するものになればなるほど、単に当然のものになるだけで、人を引き付け、引き留めるための特別の魅力を失っていくということです。
企業の人事戦略は、働きに報いることから、働く環境の整備へと根本的な転換をとげるわけですね。
給与や賞与で働きに適正に報いることは、実は、最低限のことにすぎず、それができたとしても、少しも企業の人材市場における競争力の強化にはなりません。人事戦略の鍵は、人を引き付け、人を引き留めることにおける競争力なのです。この点に企業が気付くとき、企業年金をはじめとする福利厚生制度と働く環境の重要な意義が見直されるのです。
そのとき、重要な論点は企業グループのなかに共通する働く人への思いですね。
給与や賞与において、貢献に応じた処遇が徹底されていけば、当然に、そこに格差が生じますが、その格差は、合理的で公正な区別であって、不当な差別ではあり得ません。同一労働同一賃金ということは、裏を返せば、不同一労働不同一賃金ということでもあります。それに対して、福利厚生制度や働く環境は、企業グループ全体の働く人に区別なく提供されるべきものであって、区別がないからこそ、企業グループ内の普遍的な価値を体現できるのです。
しかし、日本の現実では、合理的で公正な区別のあるべき給与や賞与に、不合理な悪平等や不当な差別があり、区別なく提供されるべき福利厚生制度や働く環境に、不合理な格差があるのではないでしょうか。
同一企業グループ内の福利厚生制度や働く環境に格差のあることは、企業グループの結合に合理性があるのなら、グループの一体感の醸成を妨げ、逆に不公平感を醸成するものとして不合理であり、公正さを欠く場合すらあるのではないのか、不合理でないのなら、企業グループの結合のほうが合理性を欠くのではないかとの疑念を生じさせます。
また、企業年金のように税制優遇措置の講じられている制度については、その裏で一定の社会公共性を前提にしているはずですから、合理性を欠く差別は、不当なものとして、規制されるべき余地があるとも考えられます。
さすがに日本の企業の現状としても、給与や賞与については、経営者の理解が進み、公正で合理的なものへの移行が徐々に行われつつあるのでしょうが、福利厚生制度や働く環境、特に企業年金については、経営者の理解も政策の取り組みも十分ではないと思われます。
以上
次回更新は、4月16日(木)になります。
2020/04/02掲載「企業年金が企業価値を高めるわけ」
2019/05/16掲載「会社員という職業がなくなる日のために」
2018/11/29掲載「企業年金に企業の品位品格が現れる」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。