「コーポレートガバナンス・コード」は、上場会社に対して、持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を図るために、株主と対話を行うように求めており、それに対応して、「「責任ある機関投資家」の諸原則」(日本版スチュワードシップ・コード)は、機関投資家に対して、投資先の上場会社と対話を行うように求めています。
加えて、金融庁は、「投資家と企業の対話ガイドライン」を策定して、上場会社と機関投資家との対話において、機関投資家が上場企業に問い質すべきことを列挙していますが、それらは、悉く、「コーポレートガバナンス・コード」の諸原則の実施状況を確認する主旨のものですから、いわば、機関投資家に対して、上場会社を監視し、持続的成長と中長期的な企業価値の向上に務めるように、監督する責任を課しているようなものです。
では、金融庁のいう金融機関との対話も、従来の監督の呼び替えにすぎないのでしょうか。
金融庁は、金融規制を司る官庁として、金融機関を監督し、必要に応じて検査もするのですが、他方で、近年は、金融規制の目的に遡って、金融行政が究極的に目指すべきものとして、経済の持続的成長と国民の安定的な資産形成を掲げるに至っており、その使命の重心は、金融機関を規制することから、金融機能を高度化することへと移動しつつあります。
そこで、金融庁のいう対話には、従来の監督のあり方を改善して、対話と呼び替えた側面があるにしても、同時に、規制によっては金融機能の高度化は実現し得ないとの判断のもとで、新たな行政手法として、対話が導入された側面もあります。
つまり、金融庁の用語でいえば、規制によって、ミニマムスタンダードを徹底させること、即ち、金融機関に最低限の水準を維持させることはできても、対話によらなければ、ベストプラクティスの追求へ促すこと、即ち、金融機関同士の切磋琢磨により金融機能が高度化していく風土の醸成はできないということです。
なぜ、金融機関をベストプラクティスの追求へと促す必要があるのでしょうか。
規制によって、銀行等の預金取扱金融機関の経営の健全性は維持されますが、融資量が伸びなければ、経済の持続的成長につながらず、国民貯蓄が預金に滞留していれば、安定的な資産形成は実現しません。
また、規制によって、資本市場における取引の公正性は確保されますが、企業が株式や社債を発行して資金調達し、成長のための活発な事業投資活動を行うのでなければ、経済の持続的成長につながらず、また、国民貯蓄が活況を呈する資本市場に流入するのでなければ、安定的な資産形成は実現しません。
つまり、金融機能は、規制によって適正に供給されるための最低限の条件が整えられたとしても、それを利用して顧客が付加価値を創造しない限り、社会的意義を発揮し得ないのです。金融庁は、このことについて、顧客の価値創造が結果的に金融機関の価値創造になるという意味で、顧客との共通価値の創造と呼んでいます。
また、金融庁は、同じことについて、顧客の利益は必ず金融機関の利益に先行するという意味で、顧客本位とも呼び替えていて、更には、顧客の利益なくしては、金融機関は存続し得ないという意味で、持続可能なビジネスモデルの構築とも表現しています。
なるほど、ベストプラクティスの追求とは、ビジネスモデルにおける差別優位の確立なのですね。
ビジネスモデルの構築は、金融機関自身の創意工夫によるものであり、金融機能の高度化は、金融機関が切磋琢磨してビジネスモデルの優位を競うことによってしか実現しませんから、ここでは、規制は全く無力であって、故に、金融庁は金融機関との対話路線に転じたのです。
つまり、金融機関は、強く規制されているとはいっても、純然たる民間事業者なのであって、金融庁として、そのビジネスモデルに介入できるはずもなく、できることといえば、ビジネスモデルが顧客の利益に適うものである限りは、規制の不備を改めるなどして、金融機関の創意工夫を支援することだけなのですから、そのためには、対等の立場で対話するほかないということです。
金融庁として、金融機関との関係において、一方で強力な権限のもとで監督し、他方で対等の立場で対話するのは不可能ではないでしょうか。
金融庁が二つの立場を峻別しようとしても、相手となる金融機関からすれば、金融庁の意図を識別できませんから、何々しないのかと金融庁が問えば、金融機関としては、対話における単なる質問とはとらえずに、何々しろという監督における事実上の命令に解するはずです。故に、「投資家と企業の対話ガイドライン」について述べたように、質疑応答によっては、対話は対話にならず、監督になってしまうのです。
どうすれば、真の対話になるのでしょうか。
機関投資家と上場会社との対話が決して対話になり得ずに、監督になるのは、対話に目的があって、しかも、その目的がガバナンス改革だからです。そして、更に重大な問題は、仮に、この事実上の監督によって、上場企業のカバナンス改革が進んだとしても、そのことによっては、上場企業の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上が実現するとは限らないことです。
むしろ、機関投資家は、投資先の上場企業の成長と企業価値の向上を真に願うのならば、経営者と近未来社会の姿を共有し、そこでの事業構想について意見交換し、現状からの変革における課題を理解するために対話すべきです。この際に決定的に重要なことは、対話を主導するのは、事業の専門家である経営者になるはずだということです。
同様に、金融庁は、金融機関が提供する金融機能の高度化を真に願うのならば、経営者と近未来社会における金融のあり方を共有し、そこでのビジネスモデルについて意見交換し、現状からの変革における課題を理解するために対話すべきです。この際に決定的に重要なことは、対話を主導するのは、事業の専門家である経営者になるはずだということです。
金融庁との対話を主導できる金融機関経営者など、実在しないのではないでしょうか。
上場会社は、多種多様多彩であって、厳しい競争環境のもとで形成された固有のビジネスモデルによって、各社各様に努力して成長してきたわけですから、経営者は、成長資金を供給してくれる投資家に対して、語りたいこと、訴えたいこと、自慢したいことを豊富にもっていて、機関投資家は、経営者の主張に刺激を受けて、別の視点からの様々な疑問や意見を表明することで、真の対話が実現するのです。
それに対して、金融庁の対話の相手として想定される主要金融機関の場合、業態ごとの差異はあるにしても、同一業態内においては極めて同質性が高く、そこに固有のビジネスモデルの差異を識別することは困難であって、経営者として、監督と検査についての不平不満を別にすれば、語り得ることの貧困さは明らかです。
ところが、金融庁は、同質性が本質的な競争の阻害要因になっていて、切磋琢磨が生じないために、金融機能の高度化が起きず、ビジネスモデルも確立してこないという現状認識のもとで、対話によって変革を促そうとしているのですから、ここには、対話にならないことを対話によって打開しようとする構造的な矛盾があります。
どうしたら矛盾を解けるのでしょうか。
金融庁が仮説を提示して、それに対する金融機関経営者の意見を聞くのが普通でしょうが、金融機関としては、金融庁の仮説を、仮説としてではなく、金融行政が目指しているものとして解釈するはずですから、対話ではなく監督になってしまいます。複数の仮説を提示したとしても、金融機関側は、どの仮説が金融庁の真意なのかと考えるだけで、改善にはならないでしょう。
そこで、金融庁が期待するのは、仮説ではなくて、事実、即ち、特定の金融機関における具体的取り組み事例です。事例に基づく対話によって、新たな事例が生まれてくる、この好循環こそ、金融庁の目指すものなのでしょう。
もちろん、対話の材料になる事例が出てこないために、対話が始まらないという可能性はありますが、その場合は、日本の金融は、自らの創造的な未来を完全に否定するのですから、金融庁は、匙を投げて、昔のように、監督と検査に専念するしかないでしょう。
・金融庁に真実を語る金融機関はない (2019.12.19掲載)
患者は医師に嘘をつきません。真実を語るほど正しい治療を受けられるからです。同じように、金融庁と金融機関との対話で真実が語られるには、発言が自己に不利益に働かないことの保証、更には、真実を語るほうが自己に有利になるという仕組みが必要です。金融庁は規制当局ですから、心理的安全性に現実的な意味を付与するため、顧客の利益になる限り柔軟に規制の適用を行う旨を確約しなければならないと指摘しています。
・金融機関に創意工夫を促す強制力 (2015.10.8掲載)
金融機関は、短期的な利益を追求することで、結果的に、顧客の利益との間に相反を生み、しかも、そのことで、かえって、金融機関自身の中長期的な利益を損なっています。
金融庁の支援は、中長期的な視点で顧客の利益のために創意工夫の努力をしている金融機関に対してのみ、なされるべきで、支援という誘因をもって、金融機関に創意工夫を促す強制力とすべきと指摘しています。
・顧客本位が儲からないのは顧客本位でないからだ (2021.7.14掲載)
顧客本位なビジネスモデルであれば、顧客に支持され、結果として儲かるはずです。そして、金融庁は、国民に対して適切な情報の提供を行うことで、顧客の合理的な選択行動を促し、顧客本位でない金融機関が淘汰される環境を整備しています。金融機関にとって持続可能なビジネスモデルの構築の重要性について、改めて警鐘を鳴らしています。
(文責:杉本)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。