金融機関は非金融の金融機能に勝てるのか

金融機関は非金融の金融機能に勝てるのか

森本紀行
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金融機能は、金融の領域において、金融機関から提供されているほか、非金融の領域において、商取引等のなかに内包されて利用されてもいます。さて、金融と非金融の境界は、どうあるべきか。
 
 金融庁は、金融庁自身の改革を推進していて、今では、経済の持続的成長と国民の安定的な資産形成とを行政目的に掲げ、金融機関を監督することから、金融機能を強化することへと、行政課題を変化させてきています。そして、更に、金融機能の強化を推進していくなかで、金融庁の問題意識は、金融機関の業務範囲を超えて、非金融業態の領域へと拡大していっているのです。
 
例えば、企業年金ですか。
 
 企業年金や公的年金は、資産運用という金融機能を演じていて、資本市場において、投資家として重要な役割を演じていますが、制度上、実際の資産運用は、投資運用業者に委託しているわけです。ここで、大きな問題点は、厚生労働省が企業年金等を所管し、金融庁が投資運用業者を所管していて、典型的な縦割り行政による分断が生じていることです。
 そこで、金融庁は、上場企業のコーポレートガバナンス改革を重点施策に位置づけるなかで、その実現のためには、企業年金等と投資運用業者とが連帯し、上場企業と対話することが不可欠であるとの認識のもと、伝統的な行政における所管法人の枠を超えて、資産運用という金融機能に着目することで、企業年金等の資産運用に関して、積極的な言及を行うようになったのです。
 
決済機能を金融機関の領域の外で独立化させることも、同様の方向にあるわけですね。
 
 決済基盤の提供は、情報化の高度な進展にともない、純粋な情報サービスとして、従来の決済基盤であった預金から分離独立し始めていて、金融庁のいう非金融の代表的な領域を形成しています。なお、非金融とは、決済は立派な金融機能なのですから、単に金融機関の業務ではないという意味です。
 更にいえば、金融機関の業務ではないということは、金融機関の領域の外にあるということではなく、金融グループとして、決済関連の事業会社を傘下にもつことは可能であると考えられます。ただし、それは、金融機関の子会社として可能なのではなく、持株会社を通じて、金融機関の兄弟会社として可能になるということであって、この点は、金融機関の持株会社の業務範囲の見直しという枠組みにおいて、金融庁で論議されていることです。
 
決済以外にも、金融機関の外に、多様な金融機能が存在していませんか。
 
 金融機関による金融機能の提供を金融といい、事業会社による金融機能の提供を非金融というのなら、非金融の代表はリース事業です。金融は、物品を購入するための資金を顧客に貸すのに対して、経済産業省所管のリース事業は、リース会社が物品を購入し、それを顧客に貸していますが、この二つのことの経済効果は全く同じです。
 金融庁は、リース事業は金融と不可分の関係にあることから、従来から、業務範囲を狭く制限することで、金融機関にもリース事業を認めてきていましたが、今や、非金融を正面から認めたので、持株会社直下に、金融機関の兄弟会社として、リース会社を設立させて、業務範囲の制限を緩和することも、視野に入れているのではないかと想像されます。
 
金融庁としては、金融と非金融の境界は、顧客の利益の視点で、適切に定めればいいということでしょうか。
 
 金融庁にとって、シェアリングの進展が顧客の利益に適うのであれば、それを支えるリース事業の健全な発展のために、電子決済の普及が顧客の利益に適うのであれば、決済関連の情報事業の高度化のために、適切な金融制度設計を行うことが行政課題になるはずであって、これが行政対象の重点を金融機関から金融機能に移したことの当然の帰結なのです。
 
いわゆる商社金融は、非金融の古典ですね。
 
 古くは、取引記録を商人が記帳しておき、定期的に、例えば、月末に記録を閉めて、期中の代金をまとめて顧客に請求する商慣行が広く存在していて、帳面に書き込むことを付けるということから、この商慣行は、つけと呼ばれていました。昔、盆や暮れが重要な意味をもったのは、つけの清算日になっていたからで、暮れを越すというのは、無事、支払いができたということだったのです。
 昭和においても、被用者の家計にとって、給料日まで商店などでつけのきくことは、極めて重要でした。高度経済成長期には、どの家庭でも、米や酒などをつけで買うのが普通だったのであり、昭和の終わりころまで、つけのきく飲み屋は存在していて、雇われ人に重宝されていたのです。まさに、昭和も遠くなりにけり、です。
 つけ、あるいは掛け売りも同じことですが、これらは商人が顧客に提供している立派な金融機能であり、金融機能である以上は、顧客は金利を負担していますが、それは取引価格に内包されているわけです。このように、商取引において、取引条件を工夫して、代金決済期日を遅らせることで、金融機能を生み、取引価格に金利相当を上乗せすることは、現在でも幅広くみられることで、一般に、商社金融と呼ばれています。
 
商社金融に金融が参入することはあり得るでしょうか。
 
 つけは、金融の領域におけるクレジットカードの普及により、死語の仲間入りをしたのですから、理論的には、金融の領域における革新によって、商社金融も消滅し得るはずです。金融庁の立場からすれば、金融から非金融へ、逆に、非金融から金融へ、どちらの方向でも、顧客の利便性が上昇し、顧客の利益になりさえすればいいのです。
 
つけが消えたということは、顧客の利便性が失われたからでしょうか。
 
 つけは、商人にとって、顧客基盤の確保という極めて重要な役割を演じていたはずです。顧客が常連として同じ飲み屋に通うのは、つけがきくからです。飲み屋にとっては、つけは常連顧客をつなぎとめる手段として機能していて、同様に、米屋や酒屋も、つけの利便性を提供することで、固定顧客を確保していたのですから、つけは、金融機能として、顧客との共通価値を創造していたのです。
 この顧客との共通価値の創造というのは、金融庁が使っている用語で、金融機能が適正に提供されていることの指標となる概念です。つけが消滅したのは、金融機能の問題ではなく、産業構造が大きく変わり、大規模事業者は、多品種を大量販売して低価格を実現して、顧客との新たな共通価値を創造したからです。このとき、金融は、大規模事業者を対象とすることで、その共通価値の創造に参画できたのです。
 つまり、つけによる顧客との共通価値の創造は、現在でも、有効なのであって、単に、飲み屋、米屋、酒屋などの広範な分野で産業構造が変わったために、多くの小事業者が競争力を失って淘汰されたことから、つけも消滅しただけです。このとき、金融は、非金融のつけに替わり、産業構造変化に自らを適合させることで、新たな市場を開いたわけです。
 
金融は、新たな顧客の利便性を開発することで、商社金融を代替できるのでしょうか。
 
 決定的に重要なのは、商社金融が存続しているのは、非金融の金融機能として、顧客との共通価値を創造しているからであり、金融による金融機能によって代替され得ないのは、非金融に固有の優位性があるからだということです。故に、金融は、非金融固有の優越性を打破しない限り、商社金融にとって替わることはできないのです。
 
情報の対称性ですか。
 
 つけは、相互信頼に基づき、相互信頼は相互に相手を熟知していることに基づき、相互に相手を熟知している関係は、情報が対称的である関係と呼ばれますから、つけは、情報が対称的である関係においてのみ、成立しているのです。そこで、クレジットカードは、この情報の対称性を必要としない仕組みとして、つけを消滅に追い込んだわけです。
 同様に、商社金融は、一つの商流のなかで、密接につながったもの同士の間で、即ち、情報の対称性のなかで、成立しています。故に、金融は、情報の対称性を必要としない手法を開発する、あるいは、逆に、独自の情報の対称性を構築することによってしか、商社金融を覆し得ないわけです。
 
地域商社につながる議論ですね。
 
 今や、金融庁は、地方銀行に地域商社の設立を認めるに至っていますが、地域商社は、理念的には、地方銀行が商流設計することで、その商流に参加する企業に対する融資を拡大していく構想ですから、まさに、商社金融に替わる金融の仕組みです。もっとも、現状、地域商社が理念を超えて真に機能しているとはいえないようですが。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
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(文責:森脇)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。