かつて、「金融商品の販売等に関する法律」というものがありました。2001年4月1日に施行されていて、当時、金融商品販売業者によって、多様な金融商品が提供されるようになるなかで、知識や経験の乏しい顧客のなかには、内容を理解しないままに購入し、損失を被るものもいたことから、金融商品に関する重要事項について、業者に説明義務を課すために制定されたのです。
これは、金融規制関連の法律としては、現在からみても非常に斬新な構造をもっていて、業者が説明を怠り、顧客に損害が生じたときには、業者は損害賠償責任を負うとし、損害額の推定規定を置いているのです。つまり、法律の基本性格としては、金融商品販売業者の行為に関する規制法なのではなくて、不法行為による損害賠償責任を定めた民法第709条の特則なのであって、民法の特例法なのです。
法律の主旨は、証明責任の転換ですか。
業者が重要事項の説明を怠り、そのことで損失を被った顧客は、民法の規定により、損害賠償請求の訴訟を起こせますが、原告として、業者の説明義務、損害の因果関係、損害額などを証明しなければならず、それが大きな負担になります。この法律は、その原告の負担を軽減し、逆に、被告である業者に、説明義務の果たされている事実の証明責任を課すことによって、顧客の利益を守ろうとしているのです。
業者の説明義務の履行強制力として、法律が機能するということでしょうか。
この法律は、構造上は民事法ですが、金融商品に関する重要事項を定め、その説明義務を業者に課していますから、機能上は規制法なのであって、民事法であるのは、説明義務の履行強制力の工夫なのです。
つまり、業者が説明を怠ることによって、顧客に損害が発生すれば、簡単に訴訟が起こされて、そうなると業者が負いやすい仕組みになっていますから、業者には、販売における説明責任を厳格に果たそうとする利益誘因が働くのであって、立法者の意図としては、訴訟回避の利益誘因は、規制の強制力として、効果的だというわけです。
実際に、この法律は、どのように機能したのでしょうか。
当時の金融庁の行政手法は、現在のものとは根本的に異なっていて、極めて強権的で強圧的な検査を武器にして、金融機関に規制を遵守させるというものでした。その結果、規制内容の合理性や規制の主旨が問われることなく、些末な規制や不合理な規制も含めて、金融機関の行動の隅々に至るまで、表面的な規制遵守が貫徹徹底されたのです。
従って、金融商品の説明義務に関しても、金融庁の強制によって、業者の履行が徹底されたために、この法律は、十分な活躍の場を得ることなく、金融行政の主流に反し、特異な傍流にあるものとして、存在感を喪失していったのです。
金融行政の手法と相容れない法律なのに、なぜ制定されたのでしょうか。
おそらくは、1998年の大手銀行の破綻を頂点とした金融危機のさなか、二つの見解が鋭く対立したことに関連するのです。第一は、危機の真因は、経済実態の成熟化のなかで、経済成長期の金融体制が強固に存続していたことだとし、この機に、根本的に金融構造を改革すべきだというもので、第二は、構造改革よりも、早急に金融を正常化させるべきだというものです。
歴史の事実としては、早急な金融正常化が優先され、その恐ろしく強力な手段として、金融庁の著しく強権的な行政手法が採用されたのですが、他方で、金融構造改革のほうは、金融サービス法構想となって現れ、「金融商品の販売等に関する法律」は、その機運のなかで生まれたものの、改革構想が立ち消えになったので、すぐに忘れられてしまったのです。
司法制度改革とも関係があるのでしょうか。
司法制度改革によって68校の法科大学院が開校したのは2004年4月、新司法試験の最初の実施は2006年5月ですから、この法律が制定されたのは、まさに司法制度改革の構想ができたときで、その主眼が法曹人口の増加にあったことは、この法律が訴訟を紛争解決手段の主軸に据えたことと、平仄が完全に一致しているのです。
司法制度改革は、訴訟による紛争解決を拡充するもので、その根本思想において、判例形成を通じた法創造を重視しています。実際、成熟社会の法創造のあり方としては、国家主導の立法から、国民主導の訴訟による判例形成に移行すべきですし、全く同様に、金融の制度設計においては、金融機関を主軸にしたものから、金融サービス法構想のように、金融機能の利用者を主軸にしたものに移行すべきなのです。
しかし、金融サービス法構想も、司法制度改革も頓挫したようですが。
頓挫したのではなくて、文化の地平における大変革なので、国民意識に深く浸透するまでに時間がかかっただけのことであって、少なくとも、「金融商品の販売等に関する法律」のほうは、2020年6月の改正によって、「金融サービスの提供に関する法律」という金融サービスを含む名称に変更され、内容も拡充されて、金融関連の重要な法律として、見事に復活しています。
金融サービス仲介業の創設ですか。
現在の金融制度は、銀行、証券会社、保険会社などといった業者毎に、業者を規制する業法の体系で構成されていますが、金融サービス法構想は、業者横断的に、金融機能、即ち、預金、金融商品の取引、保険契約などといった金融サービス毎に、その利用者の視点で規制するところに眼目があるのであって、改正法は、構想再興へ向けての大きな一歩として、金融サービス仲介業を創設したわけです。
金融サービス仲介業とは、媒介という方法により、様々な業者により提供される多種多様な金融サービスを一元的に扱うことで、顧客の真の利益の視点において、最適な組み合わせを提供することであって、金融サービスの提供事業者や、その代理業者は、必然的に、顧客の利益よりも、自己の利益を優先させざるを得なくなる点について、制度の構造の次元において、本質的な改革を行うものです。
媒介とは、どういうことでしょうか。
媒介は、法律上の概念としては前から存在していて、金融サービス仲介業において、適用され得る金融サービスの範囲が大幅に拡大され、新しい機能と意味を付与されただけですが、代理との関係で理解されるのがよく、顧客との法律上の関係において、代理業者は取引当事者になるのに対して、媒介事業者は取引当事者にならない点に本質的な差があるわけです。
つまり、媒介とは、金融サービスに関する情報の媒介なのであって、取引自体は、顧客と金融サービス提供事業者との間で、実行されるわけで、こうした簡易な構造になっているからこそ、金融サービス仲介業者にとって、多種多様な金融サービスを扱うことが可能になるわけです。
なお、媒介される情報には、個別具体的な金融サービスに関するものと、金融サービス提供事業者に関するものがあり得て、後者の媒介は、紹介といって、前者の媒介とは区別されるのですが、最近の金融庁の行政処分事例によれば、千葉銀行と武蔵野銀行は、ちばぎん証券の情報を紹介する業務を行うなかで、実際には、ちばぎん証券の扱う個別具体的な金融商品の情報を媒介していたのでした。
金融サービス仲介業を創設する場として、なぜ「金融商品の販売等に関する法律」が利用されたのでしょうか。
金融庁の真意を知ることはできませんが、推測するに、この法律は、民法の特例法としての血統をもち、金融サービス法構想の産み落とした正嫡だからです。そうであるのなら、金融構造改革の再起動のなかで、後継の「金融サービスの提供に関する法律」は、栄達の道を歩んで、金融関連法の最上位法の地位にまで、登り詰めるのだと予想されます。
実際に、この法律を更に拡充する改正法案が先の通常国会に提出されていたのですが、不幸にして、参議院で審議中に会期が終了し、継続審議となって、次の臨時国会で成立する見込みとなっています。しかし、この改正とても、この法律のもつ可能性の大きさからすれば、一つの階梯を上がることにすぎないのです。
・資本市場の真の担い手は証券会社ではなくて投資運用業者だ (2022.10.27掲載)
金融サービス仲介業では特定の金融機関への所属は認められておらず、ゆえに多様な金融商品が扱われる様になることになります。結果、競争の激化につながり、金融商品の質がこれまで以上に重要になることが考えられます。
・推奨なくして投資信託が正しく選ばれるために (2021.9.1掲載)
個人の資産形成の手段として用いられる投資信託ですが、金融機関と推奨、営業が分離され、中立的な視点から推奨がなされることで、顧客がより自らにふさわしい金融商品を選択できるようになることが期待できます。
・規制業としての金融の解体と高度化 (2021.3.25掲載)
金融サービスの提供に関する法律への改正は金融構造改革の一部であり、金融市場、顧客への販売それぞれでの競争を促すことで市場原理が働くことによる、金融、資産運用の高度化を目指しています。
(文責:岸野)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。