現在の金融庁は、行政手法の抜本的な転換を経て、規制によって金融機関に行動を強制するのではなく、金融機関の自律的な変革を促すようにしています。なぜなら、規制の強制によっては、表面的な行動を変えることはできても、行動の背後にある意図は変え得ないからです。
例えば、最近の事例でいえば、千葉銀行は、傘下の証券子会社を通じて、適合性原則に反した仕組債の販売を行ったとして、行政処分を受けたわけですが、規制の厳格化は、仕組債の販売を抑制できても、千葉銀行に強引な販売手数料増収の意図を放棄させることはできないので、顧客の利益に反した同様の行為は、対象や方法を変えることで、別の形で容易に再現されてしまうわけです。
金融機関の自律に委ねたところで、不健全な経営の意図は変わり得ないのではありませんか。
誰しも、千葉銀行の経営者といえども、顧客の利益に反した事業に持続可能性のないことは理解できます。故に、金融庁は、金融機関に対して、持続可能性のあるビジネスモデルの構築を促していて、それが顧客本位の業務運営の徹底を求めることにつながっているのですが、ビジネスモデルといった以上は、規制による強制は不可能ですから、各社の経営の自主自律に委ねているわけです。
要は、千葉銀行を含めて、どの金融機関においても、自分の事業の持続可能性に疑義が生じてくれば、顧客の真の利益に適う方向へ抜本的な構造改革を断行するでしょうし、改革する能力すらなければ、革新を遂げたところとの競争に敗れて、自然と淘汰されるだけで、結果的に、金融界全体として、顧客本位の徹底がなされるように変化していけばいいのです。
金融機関としては、そう簡単には、持続可能性に疑義を感じないのではありませんか。
千葉銀行のように、伝統的な既存の金融機関が顧客本位に反してしまうのは、意図的に顧客の利益に反して利益を得ようとする悪意があるからではなく、社会構造の変化に応じて、顧客の需要が変化していることに対応できておらず、旧態依然たる業務の反復のなかで、自己の存続のために利益を確保しようとする結果として、顧客の利益に反してしまうからです。意図的に顧客の利益に反しているとの自覚がなければ、事業の持続可能性に疑義を感じるはずもなく、故に、自己変革は生じないわけです。
実際、どの金融機関も、判で押したように一様に、顧客からの信頼に応えるとはいっても、顧客の信頼を獲得するとはいいませんが、それは、全く無自覚的に、顧客から既に信頼されていることを前提にしているからです。しかも、千葉銀行の事案が示すように、顧客は、千葉銀行を信頼していたからこそ、適合性原則に反していても、仕組債を購入したという事実があるわけで、この不思議に歪んだ問題の構造は、どの金融機関でも同じでしょう。
なぜ、そうした奇怪な事態が生じるのでしょうか。
決定的な理由は、銀行や信用金庫等の預金取扱業務に代表されるように、金融機関の業務は、程度に多少の差こそあれ、最高度に規制されている反対効果として、高い参入障壁のもとで、厚く保護されている側面があって、一種の特権性を帯びていて、その特権性は、金融機関の側に信頼されているとの錯覚を生じ、顧客の側には、金融機関を別格のものとして意識させ、信頼すべきとの安心感を生じさせるのでしょう。
また、規制は、金融機能と、その提供形態の標準化をもたらし、標準化は同時に硬直化に帰結して、顧客の需要の変化に柔軟に即応できなくします。故に、金融機関は、金融機能の質の差異を競うことよりも、標準化された商品としての金融機能の量的販売競争に強く傾斜するなかで、意図せずして顧客本位に反してしまい、顧客を裏切る結果になりやすいわけです。
ならば、金融庁としては、規制改革をすればいいのではないでしょうか。
金融庁は、当然に、規制改革に前向きですが、金融行政の立場から、国民の金融機能に対する真の需要を把握し得るのかという大きな問題に直面します。実際に、原理的には、金融といえども商売の一領域にすぎないのですから、顧客と商人との間の自治によってこそ、真に顧客の需要に適うものになり得るのであって、そこに行政は介入し得ないはずなのです。
故に、金融庁は、金融機関の自律を前提に、顧客本位なビジネスモデルの構築を求めるという手法を採用しているわけです。つまり、金融庁は、規制改革を能動的に主導しても、金融機関の顧客本位なビジネスモデルを創出し得ないので、金融機関の顧客の利益の視点にたった創意工夫に対して、受動的に個別の規制改革で対応するしかないのです。
具体的に、どのような変革の経路が想定されているのでしょうか。
第一は、金融と非金融の境界の見直しであって、金融は、金融以外の様々な領域との融合によってこそ、真に顧客本位なものになり得るわけです。これは当然で、顧客の利益は、金融機能の利用にではなく、金融機能によって実現される金融以外のことにあるからです。また、金融と非金融との境界を低くすることは、金融の特権性を崩壊させて、伝統的な金融機関に対して、事業の持続可能性について再考させる機会を与えるためにも、必須の要件なのです。
金融庁は、顧客の利益の視点での健全な競争のなかから真の変革が生じるとの前提にたっているわけですが、ならば、競争は、金融と非金融の境界を越えたところで、金融の特権性が失われたところで、展開されるべきであって、実際に、金融機関による非金融業務への進出や、金融業態の外からの金融事業への参入は、既に規制改革の結果として広く行われています。
顧客本位を貫徹すると、必然的に、非金融へ至るということでしょうか。
顧客本位を徹底すれば、金融機能を超えて、必然的に、理の当然として、金融機能を必要とする顧客の真の需要に至ります。実際、住宅ローンを欲しい人などいるはずもなく、顧客が求めているのは住宅そのものなのです。金融機関として、ひとたび、注意を住宅に転じれば、住宅仲介と融合させてこそ、真に顧客本位な住宅ローン事業展開のあり得ることは、自然と理解されます。
同様に、顧客の資金使途が機器等の購入にあるとき、リースという選択肢が見えてきますが、金融機関の融資担当者として、リースが顧客の真の利益に適うと判断すれば、躊躇なく、リースを提案できなければならず、ここに金融と非金融の円滑な連携が必要になってくるのです。
第二の経路はテクノロジーですか。
金融は、基本的に情報であり、テクノロジーへの高い親和性をもちます。そこで、規制改革の重点課題は、金融機関のテクノロジー分野への参入を認めることと、逆に、テクノロジー分野から金融への新規参入を促すことになり、実際に、そうした展開は急速に進んでいます。
金融にとって、テクノロジーが重要であるのは、新たな金融機能を創出するからではなく、金融機能の顧客への提供形態を本質的に変化させるからであり、更には、テクノロジー基盤のうえで、金融と非金融の機能が一元的に提供される可能性を開くからであって、要は、真に顧客本位な事業を展開する基盤となり得るからなのです。
テクノロジーは金融の二極化につながりませんか。
金融機能の製造の多くは、テクノロジーの内部で完結し、今や、顧客の多くは、テクノロジーを通じて、直接に金融機能を利用しますから、金融の多くは、テクノロジー上で完結してしまいます。そして、テクノロジーは、その本質として、多くの分野で、少数者への大規模な集約化を進展させるので、残りの大多数の金融機関にとっては、テクノロジー上で完結し得ない固有領域への特化が必要になります。
現実には、金融機能の製造においては、投資運用業、投資銀行業、法人向け融資業などに、高度の専門的な金融技術と、練達した対人交渉力等を必要とする領域が広がっており、金融機能の提供においては、個人の家計への深い理解に基づく提案力が求められており、金融における対面での高度な人間力の必要性は不変であって、ここに金融庁のいう持続可能なビジネスモデルがあるわけです。
・料理の下手な銀行に切れ味のいい包丁を与えると(2023.10.19掲載)
規制を緩和するのは、顧客本位な改革をしやすくするためですが、金融機関の自発的な顧客本位への改革の中で、民間の側から規制緩和、撤廃の動きが出てくることが理想ではないでしょうか。
・金融機関の淘汰と非金融への展開で金融は成長する(2023.9.7掲載)
顧客の選別行動により金融機関相互の競争を促すうえで必要なのが、顧客本位の徹底と非金融分野への展開であることを説明しています。
・銀行等の持続可能なビジネスモデルとは何か(2021.6.24掲載)
テクノロジーはさらなる顧客本位なサービス展開を可能にしますが、ビジネスモデルを構築するためにはそもそも顧客を特定する必要があります。
(文責:岸野)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。