金融の顧客本位は過剰情報で顧客に苦痛を与えていないか

金融の顧客本位は過剰情報で顧客に苦痛を与えていないか

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック
事業者の顧客に対する真の義務は、情報の提供ではなく、情報の提供が不要になるほどの最高度の信頼関係のなかで、顧客の最善の利益を保証することではないのか。
 
 内閣府の消費者委員会の「消費者法の現状を検証し将来の在り方を考える有識者懇談会」は、1年近い検討を経て、2023年7月に、「議論の整理」をまとめています。この報告書は、現在進行している「消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会」の議論の方向を規定していて、今後の消費者行政において、非常に重要な意味をもつわけです。
 
パラダイムシフトという限りは、消費者法の本質的な構造転換が予定されているのでしょうか。
 
 現在の消費者法は、その前提として、消費者に必要な情報等が提供される環境を整備すれば、消費者は合理的に意思決定できるようになると想定していますが、「議論の整理」は、その基本前提自体が成立しないとするところから、新しい消費者法を構想しています。このように、根本前提を覆そうとする試みは、パラダイムシフトと呼ばれるのに相応しいでしょう。
 「議論の整理」は、合理的に行動し得る消費者像に替えて、本質的に脆弱な消費者像を掲げていて、この本質的な脆弱性のもとでは、消費者は、合理的な判断を形成するのに十分な情報が与えられているときにも、非合理的な行動をとるとしています。いうまでもなく、誰しも自分の非合理性を自覚するはずはありませんから、ここでいう非合理性は客観的な視点で評価されたものです。
 
パラダイムシフトとは、要は、消費者の幸福の再定義ですか。
 
 「議論の整理」は、消費者法の目的は消費者の幸福という価値の実現だとしていますが、現在の消費者法が想定する合理的な消費者は、自分の意思に基づき自律的に行動する消費者なのですから、消費者の幸福は、その自律性によって実現されるものであって、自由で自律的に選択できるという主観的価値になります。
 これに対して、「議論の整理」は、消費者の主観性においては合理的な状態でも、客観的に、かつ公正に評価されるときには、非合理的であり得るとしていますから、消費者が客観的に公正で合理的な状態にあることをもって、幸福を再定義し、新たに再定義された幸福な状態は、消費者にとって苦痛がなく利便性を享受できている安全な状態として、客観的価値の実現であるとしたわけです。
 
個人の幸福に法律が介入するのは危険ではありませんか。
 
 当然のこととして、法律の介入は必要最小限であるべきであって、故に、「議論の整理」は安全という概念を採用したのだと考えられます。つまり、「議論の整理」は、消費者の幸福が自由で自律的な選択に基づくことを大前提としたうえで、それだけでは消費者の安全を確保できない場合があると論じているだけなのです。ただし、安全とは、消費者が苦痛なく利便性を享受できている状態とされていて、何が消費者の利便性であるかについては、慎重な検討が必要とされるわけです。
 
利便性というからには、消費の対象ではなく、消費の様態が問題になるということでしょうか。
 
 おそらくは、「議論の整理」の最も重要な点は、消費者の消費活動、即ち、生活に着目し、更に、視点を生活のなされる社会共同体にまで拡大したことです。つまり、消費者は生活者なのであって、現在の消費者法では、自律的個人を想定することで、消費者像が孤立した個人になっているのに対し、現実の消費者は常に生活空間のなかにあり、生活空間は社会共同体に開かれている点に着目すべきだというのです。
 
金融行政においても、金融サービスそのものではなく、金融サービスの提供の様態が問題とされていますね。
 
 昨年に改正法として成立した「金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律」は、全ての金融サービスを一元的に包括していて、その提供に係る業務を行う者に対して、網羅的かつ横断的に、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」との義務を課しています。
 いうまでもなく、最大の論点は「顧客等の最善の利益を勘案」することの具体的意味であって、今後、それが次第に明らかになっていくわけですが、現時点でも確実にいえるのは、顧客の最善の利益は、金融サービスが提供されたときに、顧客のなかに実現されるのであり、それが金融行政の対象となるからには、顧客の主観的なものではなく、客観的に評価され得るものだということです。
 この客観的に評価され得る顧客の最善の利益とは、明らかに、「議論の整理」における客観的価値の実現としての消費者の幸福、即ち、苦痛なく利便性を享受できている状態に通じるものです。実際、金融サービスを利用する個人は消費者なのであって、金融行政と消費者行政との間に政策的一致があるのは当然なのです。
 また、改正法は、起源が2001年4月に施行された「金融商品の販売等に関する法律」にあり、金融商品の販売業者が説明責任を果たさなかった場合に、顧客が損害賠償請求訴訟を起こし易くするための民法の特例法として、金融規制法ではなく、消費者法の系統に属するものだった点に留意されるべきです。
 
金融サービスの提供についても、顧客の自律的な選択に委ねておいたのでは、顧客の安全を確保できない場合があるということでしょうか。
 
 改正法の衆議院での審議において、重要な質疑がありました。金融商品の購入の申し込みについて、販売業者として、その需要に素直に応じることが顧客の最善の利益に反すると考えたときには、販売してはならないのかとの議員の質問に対し、金融担当大臣は、その通りだと答弁したのです。つまり、購入の申し込みがある以上は、販売することが顧客の主観的な利益であるのは自明ですが、客観的に評価したときには、顧客の最善の利益に反する場合があるというわけです。
 これを「議論の整理」の表現でいい直せば、顧客が自由で自律的に金融商品を購入することは、確かに顧客の主観的価値の実現であるにしても、顧客の本質的な脆弱性を前提にし、その購入を客観的に、かつ公正に評価したときには、顧客は必ずしも安全な状態にはなく、客観的価値としての幸福が実現しないこともあり得るということです。
 
消費者の幸福が苦痛のない利便性の享受だという点とは、どのような関係があるのでしょうか。
 
 「議論の整理」のいう消費者の苦痛の意味は、おそらくは、消費者自身による情報収集と調査研究の努力のことです。消費者が周到な情報収集を行い、綿密に情報分析をしたうえで消費するとき、その自由で自律的な選択に基づく主観的な幸福は、客観的かつ公正に評価したとしても、安全な状態としての幸福ですが、しかし、そのような努力の苦痛に普通の消費者は耐え得ないからこそ、消費者法の存在意義があるわけです。
 このことは、金融サービスの提供においても全く同じで、金融サービスの利用者が多大なる苦痛のもとで情報を収集して分析し、合理的な意思決定をするのであれば、金融規制は、金融サービスの製造だけに特化すればよく、その提供に関与する必要はなく、敢えて関与する限りは、その目的は苦痛の除去にあるわけです。
 
その苦痛のない安全な状態は、どのように生活空間としての社会共同体に関係するのでしょうか。
 
 金融行政についていえば、金融サービス提供事業者と顧客との間に、フィデューシャリー関係が成立することによって、顧客の苦痛のない安全性は確保されるということです。フィデューシャリーとは、英米法において、顧客からの特別な信頼のもとで職務を遂行する人のことで、フィデューシャリーの負う義務がフィデューシャリー・デューティーであって、金融庁は、用語と理念を輸入して、金融サービス提供事業者をフィデューシャリーとする独自の意味付与のもとで、日本に定着させています。
 そして、実は、改正法の「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」との義務は、フィデューシャリー・デューティーの立法化なのです。「議論の整理」のいう社会共同体の意味は明らかではありませんが、おそらくは、消費者の生活空間のなかに、フィデューシャリー的な公正中立な人のいる社会ではないでしょうか。
  ≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
信用格付は無用を超えて有害ではないのか(2023.4.20掲載)
自由で自律的な選択をするうえで用いられる情報は多様ですが、中には信用格付けのように参考意見に過ぎない一方で影響力を持っているものもあり、情報の取捨を難解なものにしていると考えられます。

トラスト、あるいは信託の本旨(2014.1.9掲載)
本コラムでは信託とは何か、なぜ高度な義務が信託される側に課せられるのか、根本について説明しています。

商業が芸術の域に達するとき(2021.1.28掲載)
商品やサービスの価値は顧客がそれを消費したときに顧客内で発生します。サービス提供者の自己実現が結果ブランドとなったとき、顧客内で価値を発現し顧客本位になることを説明しています。
(文責:岸野)

ご登録いただきますとfromHCの更新情報がメールで受け取れます。 ≫メールニュース登録 
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。