企業の貸借対照表には、向かって左側に、事業資産が記載されていますが、企業は、これらの事業資産を効率的に稼働させて、現金を創造する装置なのです。そして、事業資産を購入し、保有するためには、資金が必要ですから、貸借対照表の右側には、その調達構造が記載されているのです。つまり、貸借対照表は、事業資産の構成を示すことで、その事業の特性を明らかにし、その特性に最適なものとして、資金の調達構造を表しているわけです。
さて、企業は、事業活動、即ち、事業資産を効率的に稼働させることで、現金を創造するのですから、企業価値は、将来において創造される現金の現在価値として、定義されます。故に、企業価値は、資金の調達構造からは独立に規定されるのであって、資金調達を工夫することによっては、変動され得ないのです。
資金調達費用を低くすれば、企業の創造する現金は大きくなるのではありませんか。
理論的には、資金調達費用は、事業の構造の特性によって規定されていて、当然に、事業の不確実性が大きいほど、換言すれば、創造される現金の量に関する予測可能性が小さいほど、資金調達費用は高くならなくてはならず、逆に、事業活動によって安定的に現金が創造され、その量の予測可能性が高いときには、資金調達費用は低くなるわけです。
故に、事業構造を改革し、現金創造の予測可能性を高めれば、それを原因として、資金調達費用が低下し、創造される現金が大きくなり、結果として、企業価値が高まるわけですが、この原因と結果の関係は決して逆転し得ません。つまり、事業構造上の原因なくしては、資金調達費用は変動し得ないのです。
そもそも、企業価値を高めるためには、創造される現金を増やすほかなく、そのためには、当然至極のことながら、収入を大きくするか、支出を小さくするかしかなく、支出を小さくする方法の一つとして、事業構造改革によって現金創造の予測可能性を向上させて、結果的に金融費用を削減することがあり得るわけです。
資金調達構造を変えても、金融費用は変わらないわけですか。
資金調達の方法には、貸借対照表上の区分に従い、負債の部での調達と、資本の部での調達との二種類があって、この二つの比率は資本構成、片仮名ではキャピタルストラクチャ(capital structure)と呼ばれています。資本構成という用語における資本は、広義に使われていて、調達資金の全体を指しているわけです。
資本構成は、実務的には、負債のなかに、優先劣後関係をもつ様々に異なる債務があり、資本のなかにも、議決権や配当を受ける権利などの異なる種類株式があって、更には、メザニン(mezzanine)と呼ばれる負債と資本の中間的性格のものもあるので、複雑に細分化されています。しかし、表面的な細分化にもかかわらず、資本構成の要諦は、負債と資本との基本的な二分割にあるのです。
資本構成とは、事業活動によって創造された現金が資金提供者に分配されるときに、その分配に関する優先劣後関係を規定するものであって、それが貸借対照表の記載様式に表現されています。つまり、最上位に記載されているものが最も優先され、最下位にある普通株式が最も劣後しているわけです。こうして、資本構成は、単に分配方式を定めるだけなので、分配される金額、即ち、企業の立場からみた資金調達費用には、全く関係しないのです。
資金調達費用に関係しないのなら、どのような根拠で、資本構成は決められるのでしょうか。
資本構成には、事業の特性に応じて、最適な一点が定義されます。それが最適資本構成であって、その決定こそ、企業金融論の中核を形成してきたものです。資本構成が最適な一点に決まるのは、資本には損失を吸収する特性があって、事業の不確実性に応じて、そこから生じ得る期待損失を吸収するのに必要な最低資本額の厚みが規定されるからです。
極端な例として、事業に全く不確実性がなく、完全な確実性のもとで、現金が創造されているのなら、期待損失はないので、資本は不要であって、最適資本構成は負債100%になります。そして、この負債に適用される金利は、リスクフリー、即ち、不確実性がないものに適用される金利という意味で、リスクフリーレート(risk free rate)と呼ばれます。
次に、逆の方向の極端を考えると、期待損失が一定水準を超えて大きくなれば、それと同額の資本額が常に維持されなくてはなりませんから、最適資本構成は資本100%になります。このとき、資本は、当然に利潤を要求しますから、事業の現金創造の期待値との関係で、資本額には上限が画されます。この最大資本額に対して要求される資本利潤率が資本コスト(cost of capital)と呼ばれるものであって、この上限を超えて不確実性のある事業は、経済合理性を欠くものとして、成立しないのです。
どの企業も、その営む事業が経済合理的ならば、資本構成上の最適な資本の比率は100%よりも低くなります。事業の不確実性が低ければ低いほど、資本の最適な構成比は小さくなるのですから、理論的には、事業の不確実性が測定できれば、それに応じて最適資本構成が決まるわけです。そして、最適資本構成が決まると、その加重で負債の金利費用と資本コストとの平均を求めることで、その事業の理論的な資金調達費用が決まります。これが加重平均資本コスト(weighted average cost of capital、略してWACC)です。
負債の金利費用は、どのように決まるのでしょうか。
期待損失は期待にすぎず、実際には、期待損失を超えた損失が発生し得て、そのときは、損失額は資本によっては吸収され得ずに、負債の安全性を脅かすことになります。故に、負債の金利は、リスクフリーレートを起点に、この危険性を反映した追加金利を加えて、規定されることになるわけです。
資本コストは、どの企業にとっても、同一なのでしょうか。
一方で、どの企業にとっても、資本コストは同一であり、他方で、企業毎に、その事業特性に応じて、資金調達費用は異なるからこそ、企業に固有の加重平均資本コストが規定されるのです。そして、加重平均資本コストは資本構成によって決まるので、要は、資本構成とは、同一の資本コストから、企業毎に異なる加重平均資本コストを作り出すための技法なのです。
つまり、資金調達費用は事業の不確実性によって規定されるわけですが、資本コストは、その最大値に対応しているのに対して、どの企業も、それよりは低い不確実性のもとで事業を営んでいるので、その不確実性の低さに応じて、負債による調達を行うことで、資金調達費用を低下させているのです。故に、資本構成は、別の表現では、レバレッジ(leverage)、即ち、日本語では梃子と呼ばれます。なぜなら、資本構成においては、負債が梃子として使われることで、少ない資本が嵩上げされているからです。
レバレッジは、財務安定性を損なうのではありませんか。
一方で、過大な資本は、資本利益率を低下させて、株主の不利益になり、他方で、過小な資本は、過大な負債を意味していて、債務超過への転落や債務不履行等による経営破綻の原因となり、やはり、株主の不利益になります。こうして、両方の極に株主の不利益があるからこそ、その中間の一点に、株主の最大利益を実現する資本構成、即ち、最適資本構成が特定されるのです。
別の表現をすれば、不確実性下では、損失が不可避であるからこそ、最小の期待損失のもとで、期待利益を最大化させるための合理的な意思決定の指針が必要なのであって、その理論的検討が最適資本構成の理論に帰着したわけです。つまり、最適資本構成は、不確実性下の期待損失と期待利益との均衡点なのです。
更に表現を変えれば、不確実性下では、最も安全な資本構成は、当然のことながら、資本100%ですが、それでは、多くの場合、過大資本によって、株主の利益に反して、合理的ではないので、合理性と安全性との理論的な均衡点として、最適資本構成が定義されるのです。
・キャピタルストラクチャの最下位の株式が投資価値をもつために(2022.6.9掲載)
事業リスクの大きな企業に投資するにあたり、資本構成が最適に維持されていれば、創出する現金の分配順位が最下位に位置する株式へ投資することは、投資判断として成り立ちます。
・自転車操業は理想的な効率経営である(2022.1.20掲載)
効率経営の視点からは、自転車操業は資金の無駄な滞留を最小化するものとして、優れた効率経営であると評価され得るものです。しかし、自転車操業では負債の弁済が不可能となります。必要な時に必要な額を確実に調達できれば、手元資金を最小化できます。
・企業の資金調達の目的と企業統治論(2013.5.9掲載)
企業が保有する資産を経営上必要なものに厳格に限定し、かつ、その資産を保有するための資金の調達構造(資本構成)を最適化すれば、適正な企業統治が成立するはずです。
(文責:広瀬)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。