企業が先にあって、そこに働く人が所属するのではなく、働く人が先にあって、その集合として企業が作られる、この発想の転換のもとで、人的資本に着目した企業経営があるのです。
企業が働く人に支払う報酬は、基本的には貢献実績に対する対価だとしても、それに加えて、多くの場合、将来の貢献への期待への対価を含んでいます。例えば、大学を新たに卒業して企業に就職する人に支払われる初任給は、むしろ、基本的に将来貢献の期待への対価なのです。実は、この貢献期待への対価は、人材という資産に対する投資なのであって、人的資本とは、貸借対照表の比喩のもとで、資産としての人材の反対勘定として、発生するものなのです。
企業の立場からいえば、貢献期待への報酬の支払いに加えて、様々な人材育成費等の支出は、人材という資産への投資ですが、逆に、働く人の立場からみれば、企業からの出資の受け入れなのであって、自分自身の貸借対照表を作れば、自己資本の形成になるわけです。では、働く人の貸借対照表において、資本に対応する資産が何かといえば、正しく、その人の人材価値、即ち、その人の企業への将来貢献の現在価値にほかならないのです。
働く人の自己資本を合算したものが企業の人的資本なのですか。
働き方改革の本質は、働き方という表現において、働く人が主語になっている点にあるのであって、その背後では、企業という組織が先にあって、そこに働く人が所属するのではなく、働く人が先にあって、その集合として、企業という組織が作られると想定されているわけですから、発想が根本的に転換されているのです。
そして、この発想の転換を前提にして、企業における人的資本に着目した経営があるのですから、企業の人的資本とは、働く人の自己資本の合計になり、働く人の人材価値の合計が企業のもつ人材という資産の価値になるわけです。
働く人の自己資本とはいっても、資本の所有者、即ち、株主は企業なのではありませんか。
企業としては、投資しただけでは意味をなさないのであって、投資を回収し、更に資本利潤を得なければなりません。投資の回収とは、貢献期待に対する報酬について、期待通りの貢献を得ることであり、人材育成費等の支出については、想定通りの育成効果を得ることです。そして、資本利潤とは、期待以上の貢献と育成効果を得ることです。
ここで極めて重要なことは、資本利潤は企業に帰属するだけではなく、その一部は働く人にも還元されるはずだということです。つまり、働く人の自己資本は、確かに企業の出資だとしても、働く人との間に共有性をもつのです。逆に、この共有性があるからこそ、人的資本は、企業の期待以上の貢献をするように、働く人を動機付け、この動機付けがあるからこそ、企業に利益をもたらすのです。
人的資本は、期待によって働く人を動機付ける仕組みなのでしょうか。
企業としては、期待通りに貢献した人については、投資を回収し、期待を超えて貢献した人については、投資の回収に加えて資本利潤も得ているわけですから、こうした人に更に大きな貢献期待をもつのは自然です。つまり、期待以上の貢献をする人については、投資を回収しても、次の投資をすることになって、人的資本は常に維持されるわけです。
人的資本に着目した経営においては、人材の総体において、人的資本が常に維持され、更には増加することこそ、実現されるべき望ましい状況だと考えられます。なぜなら、人的資本は、貢献が期待を下回る人については消却され、貢献が期待通りの人については回収されるだけなので、人的資本が全体として維持されて、更に増加するためには、期待以上の貢献をする人が相当数いなければならないからです。
そもそも、働く人に期待し、期待によって働く人から貢献を引き出すことは、企業の伝統的な人事政策であって、この延長線上に人的資本に着目した経営を位置付ければ、人的資本の維持と増加は、人事政策が有効に機能している証拠になるわけです。また、働く人の立場からも、企業からの期待に応えようとすることは、伝統的で基本的な働き方なのです。
しかし、期待で貢献を引き出すというのは、働く人の働き方ではなく、企業の働かせ方ではないでしょうか。
真の人的資本に着目した経営というのは、働く人の自律性を尊重し、多様な働き方を許容するなかで、人材のもつ様々な可能性を最大限に発揮させることでなければなりません。これを働く人の立場からいえば、働き方改革のもとで、自律的な働き方を目指すとき、企業からの期待のもとで働くことは、働き方の一つの選択肢として、相対化されるということです。
多様な人的資本ができるのでしょうか。
人的資本が多様化するとしても、貢献期待への報酬から形成される伝統的な人的資本は残ります。期待が明確であれば、働く人にとっても、働きやすいからですし、人は、他人から期待されることで、成長する面もあるからです。そもそも、自分の能力を把握して、自律的に働き始める人は稀なのであって、普通の人は、企業からの期待のもとで働き始めることで、自分の能力を把握して、自律的に働けるようになるのです。
働く人は、企業からの投資が回収されたときに、自律的になるわけですか。
貢献期待への報酬が企業の人的資本への投資になるわけですが、貢献期待への報酬は、前払いの報酬にほかなりませんから、働く人の立場からすれば、前受けの報酬として、負債性があるのであって、期待通りの貢献をすることには、負債の弁済という側面があります。故に、人は、企業からの期待のもとで働き始めて、前受けの報酬を弁済したところで、自律的に行動する権利を得るわけです。
もちろん、自律的に働き得る人も、自分の意思により、引き続き、企業からの期待のもとで働くことが多いでしょう。それが企業の伝統的な働かせ方であり、働く人も、働き方の基本として、受け入れてきたものだからです。この場合は、企業が働く人に投資し続けるので、働く人の人的資本の株主は企業であり続けるのです。
自律的に働く人は、基本的には、自分の人的資本の株主になるのでしょうか。
自律的に働く人は、自分でなすべきことを決めて働くのであって、これが働き方改革において積極的に目指されていることです。ここでは、企業からの期待はないので、企業は働く人に投資できません。故に、働く人は、自分自身に投資することで、自分自身の人的資本を形成するわけです。
自律的な働き方によって、報酬以上の貢献がなされるとき、そこに創造された付加価値は、働く人の利益になると同時に、企業の利益にもなるのですから、そこに共通利益があるのであって、人的資本は、株主が働く人になったとしても、企業との間に共有性をもつわけです。
自律的に働くとしても、必ずしも、自分自身の人的資本に投資する必要はないのではありませんか。
働く人は、報酬に応じた貢献だけをなすように、自律的に選択できますが、そうした働き方においては、人的資本は形成されません。この働き方は、働くことが新たな創造を生まないという意味では、働き方改革において積極的に目指されているものではないでしょうが、働く人の自律的な決定に基づくという意味では、働き方改革の重要な帰結です。つまり、ここでは、働く人は、自分の意思により、自分自身に投資しないわけであり、故に、企業も、その人に投資できないわけです。
また、報酬に応じた貢献をすることは、働く人の自律的な決定によってなされるよりは、むしろ、企業の決定によってなされるのが普通でしょう。つまり、期待のもとで働き始めて、期待を実現できない人については、企業は、期待以上貢献を期待することなく、着実に達成可能な期待のもとで、報酬を支払うはずであって、要は、人材への投資ではなくて、単なる人件費の支出になるわけです。
企業は、どのような働き方についても、働く環境への投資として、人的資本への投資をするのではありませんか。
企業は、働く人自身の人的資本には投資できないとしても、働く環境ヘは投資できるわけで、人材育成費等への支出という人的資本投資も、広い意味では、働く環境への投資です。人が自律的に働くようになればなるほど、企業としては、働く人そのものへは投資できなくなるので、働く環境への投資が重要性を増すわけです。
・人的資本投資の理論(2013.7.3掲載)
10年以上前にかかれたコラムですが、人的資本投資という概念を核に、企業における人事処遇の理論について書いています。
・貢献と処遇、あるいは債務人材と資本人材(2013.7.11掲載)
上記関連コラムの続編です。人事処遇について書かれているため人材の貢献と報酬に関する話題が中心ですが“資本”人材について考察しています。
・資本人材の資本利潤(2013.7.25掲載)
上記関連コラムのさらに続編です。前編コラムで述べた企業にとって重要な人材である資本人材がどうすれば活躍できるかを中心に記載しています。
(文責:酒見)
次回更新は、1月23日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。