20220324 日本的なものを徹底した先の真のグローバル グローバル経済とか、グローバル人材の育成だとか、グローバルという言葉が頻繁に使われますが、グローバルとは何のことか、そこには、何か理念的なものはないのか。 投資戦略論
20140619 運用委託の構造とアセットアロケーション 誰がアセットアロケーション、即ち、資産配分を行うのか。年金基金等の資産運用のように、重い社会的責任のもとで、高度な専門性を求められる場合には、外部の専門家の運用会社が使われるわけですが、さて、資産配分というような大きな意思決定は、年金基金等の投資家と運用会社との間で、どのように分担されるべきでしょうか。 投資戦略論
20140612 アセットを分類する基軸とアセットアロケーション アセットアロケーション、即ち、資産配分は、投資の基本ではありますが、資産の配分より前に資産の選択があり、選択の前には資産の分類があるはずです。実際のところ、資産の分類など、単なる便宜にすぎないのですから、どうとでもなる、ならば、選択も配分も、どうとでもなる。どうとでもなる投資の基本というものは、さて、いかなる意味において基本たり得るや。 投資戦略論
20140605 アセットアロケーションという誤謬について アセットアロケーションは、投資の基本であるようにいわれますが、もっと基本的なことは、アロケーション(配分)よりも、セレクション(選択)ではないでしょうか。まずは、いくつかの投資対象資産を選択し、その選択された範囲のなかで、やっと、配分比率が問題になる。一体、資産選択の理論は、どこへいってしまったのでしょうか。 投資戦略論
20140529 リスク分散という誤謬について リスク分散ということは、投資の基本であるようにいわれますが、さて、どれだけの人が、その意味を正しく理解しているのでしょうか。一つの籠に卵を盛るな、という喩にしても、ある種の損益相殺という漠然たる理解にしても、分散によって管理できるリスクと管理できないリスクの峻別を弁えない限り、リスク分散という言葉で本来意図されてきた投資の本質を把握することはできないでしょう。 投資戦略論
20140522 冒険者はリスクを冒さない 冒険者とは、読んで字のごとく、危険を冒す人のことでしょうから、冒険者がリスクを冒さないとは、さて、どういうことか。それは、冒険者の自覚では、リスクは完全に制御可能なものとして認識されており、リスクに対する姿勢において、リスクを冒すという表現が不適切であるような境地に、冒険者は立っているということです。 投資戦略論
20140515 リスクをとるという誤謬について 投資の世界では、リスクをとることが当然の前提であるかのように考えられています。しかしながら、もしも、リスクが単に損失の可能性を意味するだけならば、誰もリスクはとらないでしょう。リスクをとるとリターンが得られるというのは誤謬ではないのか。誤謬でないのならば、リスクをとるということは、損失の可能性を受け入れること以上の何かでなければならないはずです。 投資戦略論
20130918 日本にこだわってこそのグローバル 企業、マスコミ、教育......あらゆる場で「グローバル」という言葉が飛び交っています。しかし、「グローバル」とは何のことでしょうか。「グローバル」と「インターナショナル」の違いは? 英語化というような表層の次元や、企業の多国籍化や自由貿易の拡大というような経済現象の地平を超えた、根本的な理念について論じます。 投資戦略論