20190523 銀行員がいなくなる日のために 株式会社に勤務する人は会社員と呼ばれますが、銀行という株式会社に勤務する人だけは銀行員と呼ばれます。これは、銀行が特別なものであり、銀行員が特殊な人種と看做されてきたからでしょうが、社会の進化で銀行が不要なものになるとき、特殊な職業でなくなった銀行員はどこへ行って、どのような職業に就くべきなのでしょうか。 金融の脱構築
20190411 預金を集めて投資することの意味 銀行等の預金取扱金融機関にとって、本業は預金を原資として融資することですが、融資に対する預金の大幅超過が常態化するなかでは、超過分を公社債等に投資することも本業化してきています。しかし、元本保証を付した預金負債をもって価格変動の大きな対象に投資するには、それなりの態勢を整える必要があり、金融庁も資産運用の高度化と呼んで人的資源の投入等を求めているわけですが、さて、どうすれば高度化するのか。 金融の脱構築
20180621 金融の使命は金融を不要にすることだ 借金したい人はいないのです。借金するのは、借入金で実現したい目的があるからで、その目的が借金をしないでも実現できるなら、誰も借金しないはず。金融の利用目的に極限まで遡行し、金融によらずに目的を達成できる可能性を最大限まで追求し、なお残る金融固有の領域、それを明らかにしない限り、金融の未来を語ることはできません。さて、金融に未来はあるのか。 金融の脱構築
20180607 ラーメン産業に投資する方法 ラーメン産業は日本の食文化に確固たる地位を築き上げていて、長い行列のできる店も珍しくなく、大いに繁栄しているようにみえます。しかし、その産業の発展を支えてきたのは苛烈極まりない競争環境であって、新規開業から1年足らずで閉鎖に追い込まれる店も数多あるわけです。さて、この事態を投資の視点でみるならば、個社の高い破綻確率を上手に制御し、産業としての収益性と成長性に如何にして参画するかという課題に整理されますが、さて、その答えは。 金融の脱構築
20180524 かくも高コストの預金を集めていたら銀行は潰れる 預金は銀行の資金調達手段ですが、金利は限りなくゼロに近いとしても、巨大装置と化した銀行という仕組みのなかで預金を集めることには多大な経費がかかっていますし、なによりも元本を保証することにかかわる費用は極めて大きいと考えられますから、実は、非常に高価な資金調達になっているのです。にもかかわらず、調達資金を運用できる機会は多くなく、その金利も低いとしたら、経営がなりたつはずはなく、さても、銀行の破綻はあり得るのか。 金融の脱構築
20180510 無用になった銀行が消えた後に残る必要なもの 銀行の果たしてきた社会的機能は銀行でなくとも供給できる、むしろ銀行でないほうが効率的に提供され得る、そういう可能性が急速に現実味を帯びてきて、銀行の存在意義が揺らぐなか、改めて銀行とは何か、銀行でなくてはならない必然性はどこにあるのかが問われなくてはなりません。問うて、その答えがみつからないなら、銀行は消滅するしかありませんが、さて、銀行は存続し得るのか。 金融の脱構築
20180308 ルールを上手に破る銀行が勝つ ルールを上手に破ることは、ルールを単に破ることではなく、上手に破ることであって、ルールを破るという表現よりも、新しいルールの提案といったほうがいいでしょう。新しいルールの提案とは、とりもなおさず革新であり、新文化の創造のことであって、革新こそ勝利の必須の要件であることは自明です。では、上手なルール破りとは、どの点においてルール無視やルール知らずと違うのか。 金融の脱構築
20180301 銀行はカネをやめてモノ、ヒト、チエ、コトを貸したらどうだ 銀行は、顧客である企業に対し経営に必須の重要資源を提供してきたからこそ、そして、それがカネであったからこそ、社会的存在意義をもっていたのです。カネに希少性が失われた今、カネ貸しとしての銀行の存在意義は著しく低下したわけですが、ならば、原点に戻り、銀行の機能を企業経営に必要な資源の供給に求め、カネに替わって希少性のあるモノ、ヒト、チエ、コトを貸せばいいのではないか。 金融の脱構築
20171102 金融なぞ所詮は虚業なのだから 融資を受ければ、利息の支払いという負の価値が生まれます。その負の価値が金融の実態です。融資を受けた企業は資金を事業に投下して正の価値を生み、その正の価値が金融の負の価値を上回るからこそ、金融は成立するにすぎません。実業の影にあるものとして、虚業といわれる所以です。さて、金融は、所詮は虚業ならば、極力目立たないように心掛け、必要最小限の役回りに徹するべきではないか。 金融の脱構築
20171005 金融機関が顧客に質問するのは愚行である 少しまとまった預金があるとして、銀行員から使途の有無を聞かれて、まともに答える人はいません。決まった使途がないといえば、どうせ、外貨預金だの、投資信託だの、保険だのと売りつけられるに決まっているからです。金融の営業では、顧客本位の名のもとに、顧客の意向の確認が重視されるのですが、下手に問うことは、問う動機を暴露して警戒させるだけです。では、上手に問うとは、どういうことか。 金融の脱構築