20171116 責任なきところ投資成果なし 投資は、自己財産のことならば、自己責任ですから、自分で好きに決めて勝手にやればいいことです。損をしても、たまに儲けても、自分で決めたことには納得できます。ところが、他人の財産を、職務によって、また組織として、運用するとなると、責任の構造は根本的に変わります。自己責任なら簡単に決断できることを、組織としての責任のもとで、いかにして意志決定なされ得るのか。 投資のプロフェッショナル
20160804 賢者のリスクテイク、愚者のリスク管理 投資の本質は、事業固有のリスクをとることです。そこには、当然に、付随するリスクがあって、故に、リスク管理が必要なのですが、投資の本質においてとられたリスクは、そのリスク管理の対象でないことは自明です、つまり、投資には、次元の全く異なる二種類のリスクがあるのです。ところが、この二つは、常に混同されてきました。今、改めて二つを峻別するとき、賢者のリスクテイクとしての本来の投資のあり方がみえてきます。 投資のプロフェッショナル
20160210 資産運用に携わる君よ、組織の反対を押し切れるか 業務としての資産運用は、組織としてなされるにしても、個別具体的な投資対象の選定や、売買の時期などは、組織の合意ではなく、現場のプロフェッショナル個人の決定に帰属します。ならば、その個人の決定に対しては、当然に、組織の内部に、反対の意見もあり得るわけです。さて、資産運用に携わる君よ、その反対を押し切ってまで、自分のプロフェッショナルとしての誇りと意志を貫けるか。 投資のプロフェッショナル
20160128 資産運用に携わる君よ、賭けているか 資産運用は、本質的に、不確実な将来に対する賭けの要素を含みます。過去の事実の延長において論理的に推論できることには、限界があるからです。論理を超えた判断は、定義により、賭けです。また、合議は合理的な根拠の共有を前提にしている以上、組織としての賭けはあり得ません。賭けは、個人の孤独な営為です。さあ、資産運用に携わる君よ、賭けているのか、賭けられるのか。 投資のプロフェッショナル
20151224 投資運用業の君よ、悲しくはないか 日本の投資運用業の現状について、金融庁は、大いに憂慮するところあって、業界に対して、「資産運用の高度化」を求めるに至りました。高度化という以上、現状の程度の低さが前提されているわけですが、さて、そこまでいわれて、素知らぬ顔の君よ、黙って下を向く君よ、悲しくはないか、誇りあるものなら、心機一転、大奮発して、改革に取り組むべきではないか。 投資のプロフェッショナル
20150716 フィデューシャリー革命で、投資のプロフェッショナルを目指せ 残念ながら、今の日本では、投資のプロフェッショナルといえる人は稀少です。しかし、今、フィデューシャリー革命ともいえる大きな改革の断行により、投資運用業界は、真のプロフェッショナル業へと新生する機運をつかもうとしています。投資のプロフェッショナルへの道は険しいですが、その社会的意義は大きく、その知的興奮は静かに深い。さあ、今こそ、真の投資のプロフェッショナルを目指すときです。 投資のプロフェッショナル
20150702 投資のプロフェッショナルとは何か プロフェッショナルとは何か。それは、英語の字義の通りに、職業人のことです。職業人は、個人であって、法人ではありません。つまり、社会には、法人として責任を負うのではなく、個人としてしか責任を負い得ないような職があるのです。実は、業として投資を行うもの、即ち、投資運用業者は、企業として業を行うにもかかわらず、責任の基底は、投資のプロフェッショナルとしての個人にあるのです。それは、なぜか。 投資のプロフェッショナル
20150618 資産運用の能力とは何か 金融庁は、昨年9月に公表した「金融モニタリング基本方針」において、「資産運用の高度化」を重点施策に掲げました。高度化というからには、現状の資産運用の能力が低いとの認識に基づくことは明らかですが、では、資産運用の能力とは何なのか。それがわからなければ、高度化のしようもありません。 投資のプロフェッショナル
20091210 資産運用の腕前の良し悪し(プライベート・エクイティ) 資産運用の腕前の良し悪しということについては、その技術の差の存在を認めないわけにはいかない一方で、では、具体的に、その技術とは何か、ということになると、なかなか明確にしがたいものがあります。 投資のプロフェッショナル