20171221 金融庁を超えてしまった金融庁 金融庁が11月10日に公表した2017事務年度の金融行政方針には、なんと「金融庁の所管にとらわれず」という異例な記述があります。金融庁として異例というよりも、霞が関の官僚機構全体としてみても所管を超えることは前代未聞であり、その非常識ともいえる大胆さには驚愕を禁じ得ません。さても、金融庁を超えてしまった金融庁の真意は何か。 金融行政方針
20170921 金融における不毛なソンタクを豊饒な対話に転換するために 金融界は重篤なソンタク病に侵されています。顧客は金融機関の意向をソンタクし、金融機関は金融庁の意向をソンタクします。そこで、病魔克服のために、金融庁は、金融機関との対話を目指し、金融機関には顧客との対話を求めています。では、ソンタクを廃して、対話を可能にする条件とは何か。 金融行政方針
20170105 金融再編を予感させる年明け 金融機能の再編は、金融機関の再編に帰結するほかありません。例えば、貯蓄と決済という二つの機能を統合した預金は、一方で、金融の外に決済機能が拡大し、他方で、金利のない預金の貯蓄性が消滅するなかで、その存在意義が疑問に付されているわけですが、さて、預金を解体すれば、銀行の解体も不可避とならないでしょうか。 金融行政方針
20161222 金融機関監督庁から金融機能強化庁へ 森信親長官のもと、金融庁は、急激かつ大胆な革命的ともいえる自己改造を進めています。そのなかで、顕著なことは、金融サービスの利用者の視点、即ち、国民の視点に徹する姿勢です。つまり、金融機関の視点がなくなったのです。ならば、もはや、金融庁の役割は、金融機関を監督することではなくて、国民の利益の視点で、金融機能を強化することになったのではないか。 金融行政方針
20161215 スルメ金融からイカ金融へ 企業は、生きたイカのように、元気に泳ぐ生き物です。それに対して、財務諸表等の数値に表現される企業は、過去の泳ぎの一姿態にすぎず、死んで干乾びたスルメです。金融庁は、銀行等の企業融資において、スルメの成分の静態解析に基づく判断を改めて、イカの動態を評価する方向への転換を強く求めています。さて、スルメ金融からイカ金融への脱皮は、可能なのか。 金融行政方針
20161201 投資運用業者の質の「見える化」 金融庁は、10月21日に、2016事務年度の金融行政方針を公表しましたが、そのなかで、投資運用業者のモニタリングを効果的に行うために、ベンチマークを策定するとしています。モニタリングの究極の目的は、運用の質を高めることになるはずですから、ベンチマークは運用の質を測定するものでなければならないはずです。さて、そのような便利なものができたら、顧客の運用会社選択は、激変するのではないでしょうか。 金融行政方針
20161124 長生きしすぎた昭和金融、ついに死す 金融庁は、10月21日に、2016事務年度の金融行政方針を公表しましたが、そのなかで、金融仲介機能を中心とした日本型の金融構造を、資本市場機能を中心としたものに転換する方針を、一段と明確にしています。昭和の末期になされるべくして、なされ得なかった金融構造改革、ようやっと、今、そのときを迎えたのか。昭和も遠くなりにけり、なおも生き延びてきた昭和金融、ついに死亡宣告か。 金融行政方針
20161117 森信親長官らしい金融再編論 金融庁の森信親長官は、地方銀行の統合を主導されているともいわれているようですが、確かに、長官が強力に推進される施策のもとでは、金融機関の再編が起きる可能性はあるでしょう。しかし、それは、10月21日に公表された2016事務年度の金融行政方針をみる限り、決して金融庁が主導するものではなくて、顧客の選別の結果として、自然に実現されていくもののようです。 金融行政方針
20161110 金融庁のいう「日本型金融排除」とは何か 金融庁は、10月21日に、2016事務年度の金融行政方針を公表しましたが、そのなかで、「日本型金融排除」という耳慣れない言葉を用いています。その意味は、お金を借りることのできるはずの企業のうち、実際には、銀行等から排除されている、つまり、借りることができないものもあるのではないかという金融庁の仮説ですが、さて、この仮説、実態把握を通じて検証されるのか。 金融行政方針
20160526 金融機関にとっての規制遵守のインセンティブ 金融庁の森長官は、4月13日の「静的な規制から動的な監督へ」と題する講演で、「規制当局が自分自身で銀行を経営できるわけではありません。規制は銀行に適切なインセンティブをもたらすのでなければうまく機能しません」と述べています。ここで、森長官は何を意味したのか。金融機関が規制を遵守するインセンティブとは何か。 金融行政方針