20130110 東京電力にこだわり続ける、日本の明るい未来のために 日本が再び過去の輝きを取り戻すために、社会はどうあるべきなのでしょうか。そして、そのなかで産業金融はどのような働きをするべきなのでしょうか。記念すべき連載200回目の今回、改めて東京電力問題の要点を確認しつつ、日本の明るい未来を考えます。 東京電力問題(2011)
20121129 東京電力なしで電気事業政策は成り立つのか 今やほとんどの政党が脱原子力を政策に掲げていますが、その実現へ向けた経済的、および技術的な施策を作り実行する機能と能力を、十分に備えた政党は無いように思われます。日本の明るい未来を支える電気事業を構想する能力が、今の日本にあるのでしょうか。 東京電力問題(2011)
20121115 東京電力の「再生への経営方針」にみる政府の欺瞞 11月7日に、「再生への経営方針」を公表した東京電力。そこには「事故の責任を全うし、世界最高水準の安全確保と競争の下での安定供給をやり抜く」との決意もありますが、総じて経営の危機的状況を訴える色彩が強く漂っています。「当社のみでは力の及ばない規模の財務リスク」が発生している状態とは、一体何を示すものでしょうか。 東京電力問題(2011)
20120809 原子力損害の危険という損害 原子力損害のそもそもの定義は、東京電力福島第一原子力発電所の事故から一年以上経った今も判然としません。前例が無い以上、損害の範囲確定は政府の手に大きく委ねられることになります。しかしここにもやはり、賠償責任を巡る形式的な歪みが発生しているようです。 東京電力問題(2011)
20120801 原子力発電の安全性を高める経済的誘因はあり得るか 福島第一原子力発電所の事故は、政府と東京電力が「安全神話」に囚われていた、あるいは経済性を重視しすぎたが故に引き起こされました。しかし、最新の知見に基づいた絶対的な安全基準の導入と、それを維持する経済性の両立は極めて困難です。そもそも「安全神話」とは、どういった仕組みで生まれるものなのでしょうか? 東京電力問題(2011)
20120725 社員の「不適切な発言」を謝罪した中部電力の見識 7月16日に開催された「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」の最中、中部電力の社員が「去年の福島の事故で、放射能の直接的な影響で亡くなった人はいない」などと発言したことについて、中部電力は不適切だったとして謝罪しました。それでは、"原子力損害"のそもそもの定義とはどこにあるのでしょうか。 東京電力問題(2011)
20120719 原子力発電の安全性を冷静に考え直す視点 単なる感情論による原子力排斥は、今の日本が抱える問題への解決策にはなり得ません。原子力発電について、その経済的、歴史的な意味を冷静に理解し新たな判断を下すため、我々が直視しなければならない最大の矛盾とは。 東京電力問題(2011)
20120712 政府と東京電力の「責任感の欠如」と断じた国会事故調報告書の独断 国会におかれた事故調査委員会は、7月5日に公表した報告書の中で、今回の事故が「人災」であること、その要因として東京電力の「責任感の欠如があった」ことなどを断定しています。しかし、激しい口吻による批判の先に、原子力発電をめぐる国民の再選択への適切な情報、そして真の責任追及はあるのでしょうか。 東京電力問題(2011)
20120705 東京電力の社員の給与は高すぎるのか 消費者庁におかれた「東京電力の家庭用電気料金値上げ認可申請に関するチェックポイント検討チーム」は、東京電力社員の年収を、30%程度削減するよう要求しています。この30%という数値は、果たして妥当なものなのでしょうか? 東電問題を追い続けてきた森本紀行が、経営と法の視点から論理的に解説します。 東京電力問題(2011)
20120628 東京電力の値上げ認可申請に関する消費者委員会の「考え方」 東京電力による電気料金値上げの認可申請に対し、内閣府消費者委員会は6月19日、「東京電力の家庭用電気料金値上げ認可申請に関する消費者委員会としての現時点の考え方」を公表しました。これら消費者目線による問題提起を経済原則に照らし合わせると、また別の論点が見えてきます。 東京電力問題(2011)