20130228 何が確認できたら原子力は安全だといえるのか 安全性が確認されない限り原子力発電所の再稼働を認めないというとき、安全性の確認とは具体的に何のことを意味するのか。この根源的な問いに対する答えがなくしては、原子力発電についての議論は進みません。 原子力発電の行方(2011)
20130207 原子力規制における科学の名のもとの非科学 原子力発電に関する安全基準の改定は、純粋に科学的知見の進歩や経験知の蓄積に基づくものなのか、それとも、政治的考慮の影響を免れないものなのか。今回は、原子力をめぐる科学と政治の微妙な関係について検討します。 原子力発電の行方(2011)
20121226 脱原子力は原子力以上にバンカブルではない 原子力発電事業は、原理的にはバンカブルではありません。しかし、産業金融の王道とも言える制度的な工夫が、それをバンカブルなものにしていました。一方、電気を生まず、故に売り上げを持たない脱原子力は、そもそも産業金融の対象にすらなりません。電力自由化が提案されている今、我々が確認すべき点はどこにあるでしょうか。 原子力発電の行方(2011)
20121220 原子力発電はバンカブルではない バンカブルとは、バンク(銀行)の融資対象になり得るという意味です。原子力発電事業に対し、銀行として融資できるかどうかは、銀行が原子力発電にかかわる危険を受け入れることができるかにかかっていますが、現状から、果たしてどのような結論が導き出せるでしょうか。 原子力発電の行方(2011)
20120426 原子力発電所の再稼働か電気の安定供給義務か 「安全」の二文字を掲げ、自らの政治を主張している橋下大阪市長。民意をつかむその手腕は巧みですが、生活の仕組みが電気の安定供給を前提に成り立っている以上、原子力発電の早急な停止が、国民負担の急増を招くこともまた事実です。経済効率性だけでは割り切れない、この問題の落としどころは一体どこにあるのでしょうか。 原子力発電の行方(2011)
20120419 原子力発電で上手に政治をする橋下大阪市長 原子力問題に関して、あくまで民意を問う必要性を主張し、民主党の統治能力を批判した橋下徹大阪市長。民主主義の原則は、"民間事業"である原子力発電が抱えざるを得ない命題を改めて浮かび上がらせます。"不信感"をはらんだ民意に対し、政府はどのように応えるべきなのでしょうか。 原子力発電の行方(2011)
20110414 原子力発電所の安全性と技術革新と市場原理 原子力発電は、市場原理のもとでも安全性を確保できるのか、あるいは、市場原理のもとで、技術革新は、原子力発電所の安全性を高めることと経済採算の改善とを、矛盾なく両立させることができるのか、今回は、そういうお話ですね。 原子力発電の行方(2011)