20200820 自分のために働くと顧客本位になる 人は自分のために働きます。つまり、人は自分に固有の価値の実現のために働くのです。そして、価値は社会的価値として実現されてこそ真の価値なのですから、真に自分のために働くことは、顧客との共通価値の創造として、必ず顧客本位になるのです。 フィデューシャリー・デューティー
20200806 銀行改革は顧客の再定義から始まる 金融庁は銀行に対して顧客本位の徹底を求めていますが、商業の常識として顧客本位を徹底するためには、銀行は、顧客を特定し、特定された顧客に対して特定された業務の提供を行わなければならないはずですが、それに程遠い現状のなかで、いかにすれば顧客本位を徹底できるのか。 フィデューシャリー・デューティー
20200730 地域金融機関の地域への貢献とは何か 地方銀行や信用金庫等の地域金融機関は、自分が基盤を置く地域に貢献すべき社会的責務を負う、地域金融機関自身も、金融庁も、当然のこととして、そう信じているようですが、商業の王道としては、合理的な利益追求こそが社会貢献であって、それを超えた貢献の責務などあり得ないはずです。 地方創生
20200716 新型コロナウイルス感染者の数は事実なのか これは、事実とは何かという哲学の話であって、巷に氾濫する憶測の類ではありません。ある数の人について新型コロナウイルスへの感染が新たに確認された、それは事実ですが、その事実は、感染症対策において、何の意味があり、どのような判断に寄与するものであり、そもそも、いかなる意味において事実なのか。 新型コロナウイルス(2020)
20200709 企業が人を採用するという倒錯した発想が終わるとき 企業が人を採用するとはいっても、応募してきた人のなかから採用するほかなく、実は、企業が人を選ぶ以前に、働く人が企業を選んでいるのです。故に、企業が人を選ぶ基準よりも、人が企業を選ぶ基準のほうが重要です。では、人は何を基準に企業を選んできたのか、その基準は変わるのか。 働き方改革
20200702 こうすれば銀行員は生き残れる 銀行は、その金融機能の多くを外部化させて、解体に向います。そのとき、銀行員は、抽象的な銀行員としては死し、金融機能毎に個別具体的な知見をもつ専門家として蘇生しなければならないのですが、そのような銀行員の本質的な改造は可能なのか、可能にするために、今、銀行員は何をなすべきなのか。 フィデューシャリー・デューティー
20200625 コスト削減からリスク削減へ 事業経営において、コストは事実としての現在の費用、リスクは可能性としての将来の費用ですから、長期の広い視野のもとで経営がなされる限り、当然にリスク重視のはずですが、実際には、短期的なコスト削減のもとで、リスクを増加させる、即ち長期的なコストを増加させることも多いはずです。では、リスク削減は真のコスト削減になるのか。 リスクアペタイトフレームワーク
20200618 投資信託は銀行が売るものではない 商業の基本である顧客本位に忠実なら、業者を主語にした販売は、顧客を主語にした購買といわれるべきです。例えば、銀行の場合は、金融庁から顧客本位ではないと批判されるのは、常に銀行を主語にして、貸すという傲慢な姿勢で、借りる顧客の事情を十分に理解せず、投資する顧客の利益に反して、投資信託を販売するからです。では、顧客を主語にしたら、銀行は変わるのか。 フィデューシャリー・デューティー
20200611 銀行業なんか廃業してしまえ 法律上の銀行業を営むものだけが銀行を名乗ることができるので、銀行業を廃業すると、銀行は銀行でなくなりますが、だからといって何か問題でしょうか。なにしろ、銀行にしかできない特権業務の利益よりも、銀行であるが故に負う規制上の不利益のほうが大きいのですから。 金融の脱構築
20200604 生活者が賢く金融機関を利用するとき 食事は、料理の専門家によるよりも、はるかに多くの部分が料理の素人である生活者によって作られています。お金についても、金融の素人である生活者が働いて消費するなかで、自然に金融が機能していて、その単なる補完としてのみ、専門家としての金融機関の役割があるのではないでしょうか。 フィデューシャリー・デューティー