20190516 会社員という職業がなくなる日のために そもそも会社員という職業はあるのでしょうか。もしも職業という言葉が何らかの専門性のある業務に従事することを意味するのなら、会社員は職業ではなく、単に会社に雇われている人の従属的立場を意味するだけです。ならば、働き方改革において、働く人を主語にしていることの意義が真に理解されるとき、会社が人を雇うという会社中心主義は滅び去り、会社員はなくなり、いずれは会社自体もなくなる日が来るのではないでしょうか。 働き方改革
20190509 憧れの金利生活者になるために 投資という言葉は広義に用いられるために、一般には、産業金融の中核を担う重要な機能を思い浮かべる人よりも、投機のような危ないものを想起する人のほうが多いのかもしれません。そうしたこともあって、投資信託の普及を目指す金融庁は、投資を資産形成と呼んでいます。では資産形成の目的は何かといえば、理想的には、形成された資産が生む利息配当金収入で生活することではないでしょうか。 金利生活
20190425 楽しく夢のある投資信託 投資信託自体は何の役にも立ちません。役に立つのは、解約されて現金になって消費に充当されるときですが、投資信託の本来の目的として真に役に立つのは、資産価値の増大によって、より大きな消費が可能になるときです。資産価値の増大が消費の夢を膨らませていく、その楽しみがなければ投資信託は普及し得ないわけで、さて、どうすれば投資信託は楽しく夢のあるものになるのか。 投資信託 金利生活
20190418 投資が預金と同じくらい普通になるために 企業の設備投資といえば、その重要な社会的意義を誰もが理解しますが、個人の株式投資というと、何か危ないことのように思われがちなのは、なぜでしょうか。企業が設備投資の資金を調達するために株式を発行する、その株式が国民貯蓄によって取得されることは、むしろ自然なことではないでしょうか。要は、投資という言葉が危ない投資も含めて広義に使われているために、そして、危ない投資が目立つために、正当な投資にまで誤解が生じているのではないでしょうか。 投資信託 金利生活
20190411 預金を集めて投資することの意味 銀行等の預金取扱金融機関にとって、本業は預金を原資として融資することですが、融資に対する預金の大幅超過が常態化するなかでは、超過分を公社債等に投資することも本業化してきています。しかし、元本保証を付した預金負債をもって価格変動の大きな対象に投資するには、それなりの態勢を整える必要があり、金融庁も資産運用の高度化と呼んで人的資源の投入等を求めているわけですが、さて、どうすれば高度化するのか。 金融の脱構築
20190404 投資は狂気だ、資産形成は理性だ 老後生活資金の確保において、個人の自助努力の必要性がいわれるなか、貯蓄から資産形成への転換が金融行政の課題になっています。資産形成は、家計規律のもとで、長期的で合理的な計画に従ってなされるべきものですが、資産形成を実現する方法である投資は、必ずしも理性的なものではなく、その根底に資本主義の動因である情動を秘めています。さて、資産形成は、理性と情動のはざまで、どうあるべきか。 金利生活
20190328 タクシーで学ぶ働き方改革の本質 働き方改革の核心は、働きの成果は必ずしも働く時間に連動しないことですが、だからといって単に働く時間を減らそうとすることは愚劣の極みであって、成果につながる働き方とは何かが問われなくてはなりません。そして、成果とは原理的に顧客の手元に生じた付加価値なのですから、働き方改革の本質は顧客と働く人の視点での事業構造改革になるはずです。その事例をタクシーについて検討してみましょう。 働き方改革
20190320 見かけが利益相反なら利益相反だ 紛争において、相手の非を主張するものが相手の非の存在を証明するのか、相手から自らの非を主張されたものが自らの非の不存在を証明するのか、この証明責任の所在の問題は紛争の勝敗に決定的な影響を及ぼします。いうまでもなく、証明責任を負わされた側が著しく不利になるのです。さて、金融界に蔓延する利益相反のおそれについて、その根絶のためには、おそれにすぎないことの証明責任を金融機関に負わせるべきではないのか。 フィデューシャリー・デューティー
20190314 To the happy few 創造は狂気だ 神の完全な支配が完成したならば、世界は天国になるでしょう。天国は完全であり、完全なるものは、それ以上に変化することはないので、天国では何も動きません、完全な調和、完全な均衡を実現したならば、完全に静止するのです。天国は退屈です。故に、神は人間を不完全なものとして創造し、人間社会に躍動を与えたのですから、人間は神ならざる身の不完全を現世において楽しまなければならないのです。 働き方改革
20190307 鼠を捕る猫よりも魚を盗る猫のほうが優秀な人材だ 昔の代表的な国語辞書であった大槻文彦の「言海」では、「猫」の項に「窃盗ノ性アリ」と説明されてありました。これは、人間中心の価値体系のなかで、人間に対する有用性の基準のもとで、人間以外の事物を序列化する発想ですが、同じ思考構造は、企業が優秀な人材というときにも現れていて、企業に対する有用性の基準で人間が序列化されているわけです。さて、現代社会において、猫に窃盗の性ありといえないのなら、優秀な人材ともいえないのではないか。 働き方改革