20161208 神話の創造による成長戦略 死期の迫った農夫は、のらくら息子たちに、自分の葡萄畑に宝物を隠してある、といって死んだ、息子たちは、畑を隅から隅まで掘り返したが、宝物は見つからなかった、その代わりに、葡萄がよく実った。これは、イソップの「農夫と息子たち」という有名な寓話です。人間にとって苦労こそが宝物だという寓意はともかくも、この話、農夫の嘘を息子たちが信じないとなりたちません。なぜ、息子たちは信じたのか、実は、そこに深い哲学があるのです。 コーポレートガバナンス
20161201 投資運用業者の質の「見える化」 金融庁は、10月21日に、2016事務年度の金融行政方針を公表しましたが、そのなかで、投資運用業者のモニタリングを効果的に行うために、ベンチマークを策定するとしています。モニタリングの究極の目的は、運用の質を高めることになるはずですから、ベンチマークは運用の質を測定するものでなければならないはずです。さて、そのような便利なものができたら、顧客の運用会社選択は、激変するのではないでしょうか。 金融行政方針
20161124 長生きしすぎた昭和金融、ついに死す 金融庁は、10月21日に、2016事務年度の金融行政方針を公表しましたが、そのなかで、金融仲介機能を中心とした日本型の金融構造を、資本市場機能を中心としたものに転換する方針を、一段と明確にしています。昭和の末期になされるべくして、なされ得なかった金融構造改革、ようやっと、今、そのときを迎えたのか。昭和も遠くなりにけり、なおも生き延びてきた昭和金融、ついに死亡宣告か。 金融行政方針
20161117 森信親長官らしい金融再編論 金融庁の森信親長官は、地方銀行の統合を主導されているともいわれているようですが、確かに、長官が強力に推進される施策のもとでは、金融機関の再編が起きる可能性はあるでしょう。しかし、それは、10月21日に公表された2016事務年度の金融行政方針をみる限り、決して金融庁が主導するものではなくて、顧客の選別の結果として、自然に実現されていくもののようです。 金融行政方針
20161110 金融庁のいう「日本型金融排除」とは何か 金融庁は、10月21日に、2016事務年度の金融行政方針を公表しましたが、そのなかで、「日本型金融排除」という耳慣れない言葉を用いています。その意味は、お金を借りることのできるはずの企業のうち、実際には、銀行等から排除されている、つまり、借りることができないものもあるのではないかという金融庁の仮説ですが、さて、この仮説、実態把握を通じて検証されるのか。 金融行政方針
20161027 投資のリスクは生活のリスク 投資教育などというと、すぐに、どれだけ投資のリスクをとれるのか、という話から始まるのですが、個人の資産形成においては、何のために資産を形成するのか、という目的から始めなくてはなりません。目的は、生活の重要な一部を構成しているはずなので、投資のリスクは、生活のリスクとして認識されない限り、正しく理解されないのです。 金利生活
20161020 投資をおいしく学ぶ 金融庁は、個人による投資を、資産形成という呼び方に改めて、その普及促進のために、投資教育を重要な政策課題にしています。しかし、国民の視点では、教育という名のもとの押し付けはおかしなことで、自主的に投資を学習することの支援策でなければならないはずですが、学習を促すには、経済合理的な目的だけでなく、楽しさも必要です。さて、国民が楽しく投資を学ぶ環境の整備とは、どういうことか。 金利生活
20161013 金融における葡萄畑の宝探し イソップの寓話集にある葡萄畑の宝探しの話は、金融に置き換えて、その寓意を考えると、徹底した顧客志向こそ、金融機関の利益である、ということになるでしょう。これを、金融のなかでも、資産運用関連の業務についていえば、フィデューシャリー・デューティーの徹底こそ、金融機関の利益である、ということです。顧客とは、自分の葡萄畑のことであり、そこに宝物が隠れているのです。 フィデューシャリー・デューティー
20161006 投資を難しくみせておいてから、説明と称して騙すこと 投資信託等の販売を巡っては、販売会社の説明義務が問題となるのですが、顧客の立場からは、理解に達したという実質要件が充足していない場合でも、販売会社の立場からは、責任が果たされたという形式要件が充足してさえすればいいわけですから、販売会社にとっては、顧客の真の理解を得る必要など少しもないばかりか、むしろ、無理解につけ込むほうが得とすら、いえるかもしれません。 金利生活
20160929 投資教育が欺瞞的営業にならないために かねてより、投資教育の重要性がいわれています。これは、日本の巨額な個人金融資産が圧倒的に預貯金と保険に偏っている現実を是正して、投資信託等を通じた資本市場での運用へ振り向けるには、投資の基礎知識の普及が不可欠だとの論拠に基づくのですが、国民の経済行動を教育によって直すという政策は、いかにも、お上の視点です。投資が真に必要なものなら、各自が勝手に学ぶはずですから、政府は、投資の必要性が国民に認識されていない構造問題にこそ、目を向けるべきです。 金利生活