20150903 企業年金が「フィデューシャリー宣言」をする意義 企業年金の資産の運用を受託している投資運用業者等は、専らに企業年金の利益のために職務を遂行する義務を負いますが、この義務を、金融庁は、フィデューシャリー・デューティーと、片仮名で呼んでいます。ならば、企業年金は、専らに制度の加入員と受給者の利益のために職務を遂行する義務を負うのですから、企業年金にも、フィデューシャリー・デューティーが課せられるのではないでしょうか。 フィデューシャリー・デューティー
20150827 「フィデューシャリー宣言」の意義について HCアセットマネジメント株式会社は、8月21日に、自社のウェブサイトにおいて、「フィデューシャリー宣言」を公表しました。投資運用業者として、専らに顧客の利益のために働くこと、即ち、合理的な報酬のもとで、他の一切の自己の利益、また第三者の利益を求めないことを、顧客に対して、明示的な宣言として、確約したのです。さて、この宣言に至る背景には、何があるのか。 フィデューシャリー・デューティー
20150820 ゆうちょ銀行の新運用会社は手数料稼ぎが目的なのか ゆうちょ銀行は、7月22日に、三井住友信託銀行と野村ホールディングスとの間で、投資信託を開発・運用するために、新しい資産運用会社を設立するとの構想を発表しました。これは、親会社の日本郵政との同時上場を控え、固有の企業価値を創出するための施策だと思われますが、さて、ゆうちょ銀行の思惑通りに、ことは運ぶのか。 日本郵政(2014)
20150813 投資信託における系列重視は悪か 投資信託の販売会社には、系列の投資運用業者の投資信託を優先的に取り扱う傾向があります。いわゆる系列重視といわれることですが、この裏には、金融機関の経営において、顧客の利益よりも自己の利益を優先している可能性があることから、金融庁も問題視しています。さて、系列重視は、本当に悪いことなのか。 投資信託 金利生活
20150806 投資信託の販売会社のフィデューシャリー・デューティー 投資信託の顧客の意識の問題として、誰にお金を預けたと感じているでしょうか。法律上は、お金は投資信託を受託している信託業者に預けられているのですが、実際には、販売会社に預けていると感じている投資家が多いのではないでしょうか。ならば、販売会社には、投資家の信認を得たものとしての重責があるのではないでしょうか。 フィデューシャリー・デューティー
20150730 投資信託よ、金集めから投資へと、死して甦れ 他人の資産を預かり、守り、殖やす、これが、投資運用業の原点です。他人から資産を預けられるほどに社会的な信頼を得ているという誇り、他人の資産管理を一任で行うことの重責、この二つの自覚にこそ、投資運用業の本質はあるのです。しかし、日本の投資運用業の不幸な歴史は、資産を営業力で集めることから始めてしまったのです。さあ、今こそ、浅ましい金集めから、重責を担う誇り高き投資の事業へと、死して蘇らねば。 投資信託 金利生活
20150723 信託業と投資運用業の責任の境界線 投資運用業は、実は、それ単独では、成立しません。なぜなら、投資対象の資産を管理保全する機能を含まないからです。そこは、信託業の担当する業務です。法律は、理由があって、このように業務を二つに分けたのですが、分けたからには、責任の境界が問題となります。ところが、この境界線、不鮮明なところがあって、深刻な問題を生じているのです。 フィデューシャリー・デューティー
20150716 フィデューシャリー革命で、投資のプロフェッショナルを目指せ 残念ながら、今の日本では、投資のプロフェッショナルといえる人は稀少です。しかし、今、フィデューシャリー革命ともいえる大きな改革の断行により、投資運用業界は、真のプロフェッショナル業へと新生する機運をつかもうとしています。投資のプロフェッショナルへの道は険しいですが、その社会的意義は大きく、その知的興奮は静かに深い。さあ、今こそ、真の投資のプロフェッショナルを目指すときです。 投資のプロフェッショナル
20150709 原子力損害賠償制度と金融 原子力事業を継続するかどうかは、今後の国民の選択ですが、仮に継続するとしたならば、その遂行のために、巨額な資金調達が可能でなければなりません。しかし、資金の調達に応じる金融界の論理からいえば、原子力事故に起因する損害額についての予測可能性がなければ、資金供給はできないのです。故に、国策としての原子力損害賠償制度があるのですが、その設計は、いかにあるべきか。 原子力発電の行方(2011)
20150702 投資のプロフェッショナルとは何か プロフェッショナルとは何か。それは、英語の字義の通りに、職業人のことです。職業人は、個人であって、法人ではありません。つまり、社会には、法人として責任を負うのではなく、個人としてしか責任を負い得ないような職があるのです。実は、業として投資を行うもの、即ち、投資運用業者は、企業として業を行うにもかかわらず、責任の基底は、投資のプロフェッショナルとしての個人にあるのです。それは、なぜか。 投資のプロフェッショナル