20150226 迫りくる銀行の危機 銀行というのは、預金者からお金を借りて、法人等へお金を貸すことで、利鞘を得る商売です。要は、安く借りて、高く貸す、そこに尽きてしまいます。では、借りる金利と貸す金利が同じになってしまったら、ましてや、貸す金利のほうが低くなってしまったら、どうなるか。いま、銀行業の基礎を揺るがす本質的な危機が迫っているのではないか。 成長戦略
20150219 投資信託の販売会社の責任 投資信託の販売会社には、いうまでもなく、「金融商品取引法」等に基づく法定の責任が課せられます。しかし、最低限の法律上の責任を果たすことで、販売会社としての真の社会的責任を果たしたことになるのか。それで、投資信託の受益者である投資家の真の利益は守られるのか。なぜ、金融庁は、販売会社に「フィデューシャリー・デューティー」を求めているのか。 投資信託 金利生活
20150212 公的年金は相互扶助なのだから 相互扶助は、扶助を受ける立場になるかどうかわからないから、万が一に備えて、相互に助け合う仕組みです。扶助を受ける立場になれば、自分の掛け金の元が取れますが、それを喜ぶのはおかしいですし、自分が扶助を受ける立場にならなかったら、自分の掛け金は戻ってきませんが、それを損と考えることもおかしい。年金制度も相互扶助のはずですが、さて理屈は同じでしょうか。 保険
20150205 保険の未来とバンドリングの高度化 生存を付保対象の事故とした生存保険が、年金保険です。そこでは、早死にする人が長生きする人を助ける。死亡を付保対象の事故とした死亡保険が、普通の生命保険です。そこでは、長生きする人が早死にする人を助ける。保険は、ただのこれだけの相互扶助です。さて、これからの保険は、この単純にして不変の原理の上に、どのような付加価値を創造できるというのか。 保険
20150128 投資信託に満足している人は騙されているのか どのような投資信託であれ、顧客が満足している、あるいは、少なくとも、顧客から苦情がないのならば、それで、いいではないか。いかに法外な手数料をとられようが、毎月の分配金を投資収益だと錯覚していようが、当の投資家が満足していれば、それで、いいではないか。いや、そうか。どこか、おかしくはないか。 投資信託 金利生活
20150122 なぜ現にある地方を新たに創生するのだ 地方創生ということが安倍政権の重点政策になっていますが、さて、なぜ創生なのでしょうか。創とは、はじめてつくることですが、地方は、既に、現に、存在しています。もしも、地方創生が真の創生を意味するのならば、現にある地方は消滅するのでしょうか。今の地方のあり方は、根源的に、変わってしまうのでしょうか。 地方創生
20150115 金融機関が陥る集団の愚 集団の愚よりも、他にうまい表現があればいいのですが。趣旨は、個々の金融機関が、それ自身の合理性に基づく経営行動をするとき、全金融機関の行動の集積の結果として、個々の金融機関にとって、甚だ不本意で不合理な結果を招来する可能性がある、その悩ましい現実をいいたいわけです。個において賢くも、集団において愚になるのだから、確かに、集団の愚なのですが。 金融行政方針
20150108 稀少すぎて値もつかない本 稀覯書というのは、歴史的価値の高い本で、かつ、現存の部数が極端に少なく、滅多に古書店に現れもしない本のことです。もちろん、ごく稀に市場に出ることがあれば、著しく高い値段で取引されることになるはずですが、さて、本当にそうなるのか。 アートな投資
20141225 ルール遵守で馬鹿になった金融機関 ルールからプリンシプルへ、金融庁の姿勢は、大きく変わりました。背景にあるのは、金融界における表層的なルール遵守の徹底が、かえって、ルールが守ろうとしている社会規範そのものへの顧慮を欠落させ、原理に遡って考える習慣を失わせ、金融の社会的機能を低下させているのではないか、という危惧です。さて、金融界、形骸化したルール墨守を脱し、プリンシプルで自己を律して、社会に貢献できるように変身できるか。 金融行政方針
20141218 投資信託の分配金は顧客のためか 投資信託の売れ筋は、その多くが、分配金を毎月支払うものです。もしも、長期的な資産形成を目指すのならば、毎月の分配金は必要ではありません。では、毎月の分配金というのは、どのような「顧客ニーズ」を背景にしたものなのでしょうか。 投資信託 金利生活