20140313 GPIF改革、あるいは投資家の内部統治と信託 年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の資産運用改革が政治の大きな問題になっています。公的年金給付の裏付けになる資産の運用のあり方は、国民の年金受給権を守ることを専らに考えて、決定されねばなりません。さて、GPIFは、国民の信託に応えて、受託者としての責任を果たせるのか。 年金基金
20140306 投資信託は本当の信託なのか 投資信託は信託です。しかし、それは、信託法の特則として、特別法によって設定された信託だから信託なのだという意味にすぎないのか。投資信託は、主に個人投資家の便益のために利用されるわけですが、そこでは、真の信託の機能として、受益者である投資家の利益保護の仕組みが貫徹しているのか。投資信託は本当の信託なのか。 フィデューシャリー・デューティー
20140227 投資詐欺事件における信託銀行の責任 AIJという会社による投資詐欺事件がありました。普通ならば犯罪者だけが非難されるべきところ、年金基金は被害者になったことで非難され、投資運用業界は内部から詐欺師をだしたことで非難されるという異常な展開となるなかで、重要な関連当事者であった信託銀行の責任は論じられませんでした。 フィデューシャリー・デューティー
20140220 信託の合同運用における法創造 信託の合同運用というのは、複数の異なる信託に属する資産について、一括して運用することで効率性を高めるために、別に共通の信託を作って、そこに統合して委託する仕組みです。企業年金の資産運用のための年金信託では、事実としては、古くから多用されてきた一方で、法律論としては、当初から議論がありました。 フィデューシャリー・デューティー
20140213 信託の受託者の忠実義務 信託の受託者には、専らに受益者の利益のために行動しなければならないという厳しい規範が課せられます。この行為規範が忠実義務です。忠実義務は、信託という制度を根底において支える理念的要請であり、また信託法にも明示される法定の義務です。さて、その実質的内容とは何でしょうか。 フィデューシャリー・デューティー
20140206 金融危機さなかの信託銀行批判 1997年11月24日、山一證券の野澤社長は、「みんな私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」という有名な涙の記者会見を行い、自主廃業を発表しました。この11月は、先に三洋証券と北海道拓殖銀行が相次いで破綻しており、日本の金融の大きな転換点となった深刻な危機の開始を告げたときです。 フィデューシャリー・デューティー
20140130 企業年金の資産運用におけるフィデュシャリーの責任 フィデュシャリーというのは、言うなれば何かを信じられて託された人のことです。何かを信じて託した人と、信じられて託された人は、特別な信認関係(フィデュシャリー関係)にあるわけです。この関係を基礎に、企業年金の資産運用責任のあるべき姿を検討します。 フィデューシャリー・デューティー
20140123 九州石油業厚生年金基金訴訟に思う 九州石油業厚生年金基金は、不動産関連の特定の投資戦略に集中的に運用していたことから、その戦略の投資の失敗により、巨額な損失を受けました。基金は、この戦略を信託口座で受託していた信託銀行に対して、注意義務違反に基づいて損害賠償請求の訴訟を起こしたのですが、一審では敗訴になっています。 フィデューシャリー・デューティー
20140116 フィデュシャリー、あるいは信じて託すること 信託とは、信じて託することです。何事であれ、他人を信じて他人に託するには、強い信頼関係を必要とします。また、もしも信じて託するならば、その信頼関係について、法律的な特別の保護が必要なはずです。その保護されるべき信頼関係が、フィデュシャリー Fiduciaryですね。 フィデューシャリー・デューティー
20140109 トラスト、あるいは信託の本旨 トラストは、英米法のTrustであり、日本法では信託と訳されています。日本の信託は、英米法のTrustを参考にして作られたのですが、歴史的背景の全く異なる日本に接受されたとき、当然のこととして、異なるものになりました。しかし、信託がTrustであることには変わりありません。今回は、改めてTrustから信託を考え直します。 フィデューシャリー・デューティー