20110804 原子力損害補償関連法の成立と東京電力の将来 前回の予告通り、今回は、やっと成立した原子力損害補償関連の二つの法律についてですね。もっとも、法案の詳細な解説は、これまでの論考で尽くされていますし、国会審議の過程でも、それほど重要な修正や追加があったようでもないですが。 東京電力問題(2011)
20110728 電気の安定供給という東京電力の重責 原子力損害補償は、政府と東京電力が共同して負担する重い責任ですが、同時に、電気の安定供給も、東京電力が負わなければならない重大な責務です。補償のほうは、政府の賠償支援の仕組みに関する法律の成立に目処が立ちましたので、前回に続いて今回も、電気の安定供給と東京電力の責任をとり上げようということですね。 東京電力問題(2011)
20110721 東京電力は電気事業改革にとって邪魔なのか 原子力損害補償の検討は、少しお休みして、今回は、電気事業改革の問題をとり上げようということですね。もともと、補償問題の名のもとに東京電力解体を論じ、勝手な電気事業改革を展開する向きに、強く反対してきたのだと思いますが、視点を変えての批判の展開でしょうか。 東京電力問題(2011)
20110714 東京電力を免責にしても東京電力の責任を問えるか 矛盾した表題ですね。「原子力損害の賠償に関する法律」第三条ただし書きを適用して、東京電力に賠償責任はない、とした上でなお、東京電力に補償費用の負担を課すことができるか、という矛盾した問題を提起しようということですね。 東京電力問題(2011)
20110707 無法な批判の前に沈黙する東京電力 それにしても、東京電力についての議論は、あまりにも乱暴な、超法規的な、感情的な方向へ流れていくようです。どうやら、緊急の課題である原子力損害の補償は、どこかへいってしまって、巨大な電力利権への思惑が露骨に表面化しているようで、甚だもって憂慮すべき事態ですね。 東京電力問題(2011)
20110630 なぜ東京電力について冷静な議論ができないのか 東京電力の原子力事故を巡っては、緊急の課題であるはずの原子力損害補償の問題を差し置いて、脱原子力へ向けたエネルギー政策の転換、電気事業の構造改革、東京電力の企業統治の欠陥など、様々な議論がなされ、次第に政治的色彩を濃くしていくようです。ここは、ひとつ、冷静に問題を整理してみようということですね。 東京電力問題(2011)
20110623 あり得ないはずの東京電力の法的整理を主張する論者の思惑 東京電力の法的整理は理論的にあり得ないということの確認と、にもかかわらず、法的整理を主張する人の絶えないことについては、何らかの政治的、あるいは社会的な背景がなければならないはずだ、と、まあ、そのような論調の展開ですね。 東京電力問題(2011)
20110616 原子力損害賠償支援機構法における東京電力の社債権者と債権者と株主の地位 原子力損害賠償支援機構法案が、14日に閣議決定されて、衆議院に提出されました。しかし、法案は、5月13日の政府の「支援の枠組み」を踏襲したものにすぎず、目新しいものはないようですね。実際、特に世の大きな注目も集めていないようですが。 東京電力問題(2011)
20110609 東京電力の社債と原子力損害賠償債権の地位 何かと議論の多い東京電力の社債をめぐる問題ですね。原子力損害賠償債権との関連で、社債の優越性が、良くも悪くも、取りざたされるわけですが、これも、政府の東京電力賠償支援関連法案をみないと何ともいえないわけですよね。 東京電力問題(2011)
20110602 東京電力の社債権者と債権者と株主は黙っていてよいのか いよいよきましたね。もしも、東京電力が、「原子力損害の賠償に関する法律」第三条ただし書きによって、免責になる可能性があるとしたら、東京電力の社債権者、債権者、株主は、そう主張すべきだし、自己の権利を守るように行動すべきだと、そういう論を張るということですね。 東京電力問題(2011)