20210318 晴れた日に傘を貸す金融が終わるとき 普通の商業においては、顧客の個別具体的な需要に応えればよく、人としての顧客そのものを知る必要はないのですが、金融においては、金融庁が顧客本位というように、顧客そのものと真摯に向き合うことが求められるのは、なぜなのか。 フィデューシャリー・デューティー
20210311 幻想としての顧客と真の顧客 人や物が具体的な人や物として立ち現れるのは、その人や物に注意を向け、何らかの交渉をもつときで、それまでは、人や物は目に映った像にすぎないのです。では、商業において、人が顧客として立ち現れるとは、いかなる意味をもつのか。 フィデューシャリー・デューティー
20210304 賢い国民に投資教育は有害だ 投資教育においては、国民の間に投資についての知識が不足しているために、投資信託等による資産形成が普及しないと想定されていますが、それは、飲食店がはやらない理由として、その店の味を美味しいと思わない客の味覚の貧困をあげるのと同じように、おかしなことではないでしょうか。 金利生活
20210225 資産が膨らめば夢も膨らむ 人には将来の夢があり、それを早く実現をするためにローンがある、かつて、スルガ銀行は、このことを夢に日付をいれると表現し、大成功を収めました。しかし、今となれば、ローンで日付を前倒すよりも、資産形成で後ろ倒すほうが重要なのです。 金利生活
20210218 なぜ信用金庫には顧客の顔が見えるのか 信用金庫などの協同組織金融機関においては、顧客の顔の見えていることが銀行に対する差別優位だとされています。では、銀行には顧客の顔は見えないのか、なぜ信用金庫には銀行に見えないものが見えるのか。 地方創生
20210204 ヴァーチャルな顧客とのリアルな関係 人は様々に異なる立場を使い分けていて、そのたびに役割を表す仮面を被り変えているようなものですが、仮面は多数あっても、その裏の顔は一つです。さて、商業において、商人が対する顧客の仮面の裏に、その真の顔を見ることができるのか。 フィデューシャリー・デューティー
20210128 商業が芸術の域に達するとき 企業が商品を生産しても、その段階では価値は創造されず、価値は、商品が顧客に販売され、顧客が消費したときに、顧客のなかで創造されます。これは商品の普遍的原理であると同時に、商品生産者が常に忘れていることであって、革新とは、要は、基本原理にたち返ることにほかなりません。 フィデューシャリー・デューティー
20210121 株式投資における資本効率論の迷妄 資本は利潤を生むものである以前に、損失を吸収するものであって、企業が資本利潤を生み得るのは、損失を回避するからではなく、損失を恐れずに不確実な未来に賭けていくからです。故に、真の株式投資は、資本とは賭けの期待損失であるとの理解に基づくべきなのです。 株式投資
20210114 そう旨くない羊羹が寂びた九谷の鉢に盛られるとき モノが不足していた貧しい時代には、モノは生産されるだけ売れて、経済は成長し、モノの効率的な供給のための産業構造が確立したのです。時がたち、モノが過剰なほどに満ち足りたとき、産業構造の転換は不可避だったはずですが、さて、本当に転換したのか。単なるモノの消費が付加価値を生まなくなったとき、モノに替わるべきものは何か。 成長戦略
20210107 高齢者は自然に崩れる資産をもてばいいのだ 金融庁が重点施策に掲げている資産形成においては、その主たる目的が豊かな老後生活のための原資の形成に置かれているわけですから、若年層から始める極めて長期の積立て型の投資手法だけでなく、老後生活開始後の計画的な資産取り崩しを伴う投資手法も重要な検討課題になります。では、どうすれば上手に取り崩せるのか。 金利生活