20140529 リスク分散という誤謬について リスク分散ということは、投資の基本であるようにいわれますが、さて、どれだけの人が、その意味を正しく理解しているのでしょうか。一つの籠に卵を盛るな、という喩にしても、ある種の損益相殺という漠然たる理解にしても、分散によって管理できるリスクと管理できないリスクの峻別を弁えない限り、リスク分散という言葉で本来意図されてきた投資の本質を把握することはできないでしょう。 投資戦略論
20140522 冒険者はリスクを冒さない 冒険者とは、読んで字のごとく、危険を冒す人のことでしょうから、冒険者がリスクを冒さないとは、さて、どういうことか。それは、冒険者の自覚では、リスクは完全に制御可能なものとして認識されており、リスクに対する姿勢において、リスクを冒すという表現が不適切であるような境地に、冒険者は立っているということです。 投資戦略論
20140515 リスクをとるという誤謬について 投資の世界では、リスクをとることが当然の前提であるかのように考えられています。しかしながら、もしも、リスクが単に損失の可能性を意味するだけならば、誰もリスクはとらないでしょう。リスクをとるとリターンが得られるというのは誤謬ではないのか。誤謬でないのならば、リスクをとるということは、損失の可能性を受け入れること以上の何かでなければならないはずです。 投資戦略論
20140508 GPIFのリスクを正しく論じるために 投資の世界では、リスクをとれとか、とるなとか、リスクが高いとか、リスク管理だとか、リスク分散だとか、投資自体がリスクだとか、はてはリスクオンだのオフだのと、とにかく、リスクという言葉を用いた言説が氾濫しています。しかし、これは、決して活発な建設的な議論を意味するものではなく、リスクという用語の曖昧な使用に起因する混乱と誤解と誤謬と無意味の氾濫にすぎないようです。 年金基金
20140424 公的年金資産運用改革論の誤謬 公的年金資産の運用改革については、緊急の政策課題としてとり上げられたことから、やれ、リスクをもっととれ、日本株を買い増せ、インフラ投資に振り向けろ、はたまた逆に、資金の性格からしてリスクをとるのはいかがなものかなど、勝手な議論が横行していますが、さて、資産運用の本来あるべき論理としては、どう考えるべきなのか。 年金基金
20140417 大胆予測、2020ニッポン国際金融センター 政府は、2020年の東京オリンピック開催までに、日本をアジア最大の国際金融センターにするという構想を掲げています。日本の金融の実情を知り抜いている専門家ほど、それは現実味のない妄論だ、と一蹴してしまうのでしょうが、実は、いけるのではないか、常識を超えたことが起こり得るのではないか、そのような大胆な予測、というよりも熱い期待を展開してみましょう。 成長戦略
20140410 信託受託者の忠実義務を徹底的に考える 信託の受託者の忠実義務というのは、受託者は、信託の本旨にのっとり、専らに受益者の利益のために行動しなければならないという厳格な規律です。さて、この「専らに受益者の利益のために」の意味を、徹底的に掘り下げて解するとき、本来の信託の理念が明瞭に見えてくる、そのような主張をなそうということですね。 フィデューシャリー・デューティー
20140403 信託に厳格な受託者責任を課すために 信託に厳格な受託者責任を課すために、そのような表題を掲げること自体が、日本では、多様な信託の利用のなかで、受託者責任が厳格には履行されていないことを認めるようなものですけれども、なぜ、そのような状態が放置されているのか、その問題性を明らかにしようということですね。 フィデューシャリー・デューティー
20140327 ファンドのディレクターとトラスティー ディレクター(Director)は法人形態のファンドの取締役、トラスティー(Trustee)は信託(トラスト)形態のファンドの受託者です。敢えて、それを、片仮名で表現するのは、英米法の理念に引き付けて検討しようということですから、何が日本法では問題なのかを、英米法との対比で明らかにしようということですね。 フィデューシャリー・デューティー
20140320 国際金融センターへの挑戦と信託 安倍政権は、成長戦略進化のための今後の検討方針として、「国際金融センターとしての地位確立への挑戦」という課題をあげています。「挑戦」という用語は、実現の困難性を前提にしているものでしょうから、実効性を求められる政策課題としては、極めて異例な語法です。さて、この挑戦に勝機ありや。 フィデューシャリー・デューティー