“ローマは一日にして成らず”
35年間、日本株のファンド・マネジャとしてご活躍されておられる、タンゴ・インベストメント・ブレインズ㈱・代表取締役の丹後様に弊社取締役・運用部長の橋本あかねがインタビューを行いました。
interviewer:橋本 あかね(HCアセットマネジメント/取締役・運用部長)
photographs:佐藤 亘
35年間、日本株のファンド・マネジャとしてご活躍されておられますが、その中で、最も印象に残る出来事を教えていただけますでしょうか。
私は、1973年に海外機関投資家向けの調査レポートを作成することでアナリストとしての仕事をスタートし、1975年から日本株の運用に携わってきました。戦後復興期を導いた通産官僚による産業の育成は70年代に入り益々熱を帯びていました。強力な行政のバックアップの下、グローバル企業が誕生していったのは、日本型成長モデルとして印象的でした。やがて、80年代の末に日本経済は、バブルの崩壊という結末を迎えましたが、私のファンドマネージャー人生のなかで、より印象的で最大な出来事となったのは、バブルの後始末に手間取る中、日本企業、日本経済が効率性を急速に失ない、世界のなかでの存在感を急速に後退させたことでした。銀行の一時国有化などの金融システム安定化策により、東京株式市場が大底を打ったのは2003年4月であり、バブル崩壊後のこの約13年という無駄に過ごした月日の長さ、外国との競争で失ったものの大きさは絶望的なほど印象的でした。幸い、現在経済のグローバル化が急速に進行するなか、日本企業は復活しつつあります。世界のなかで大いに活躍している企業が増えており、この傾向が持続して欲しいと思います。
丹後様がお持ちの投資哲学と運用の特色についてお聞かせください。
日本を代表する大型優良会社の企業行動は拡大と縮小という循環を繰り返してきました。これら大型企業が主な構成要素となっている業種(鉄鋼セクター、半導体セクターなど)の収益は、従って、このような拡大や収縮を繰り返す企業行動を反映して、循環的な変動を描いてきました。各業種の株価は、このような循環する企業収益と整合的に動いてきました。循環する業種収益は統計的に検証できるという意味で業種選択はサイエンスといえます。高度成長期の日本では、二番手、三番手の企業の株価もそれなりのパフォーマンスを得られました。しかしながら、グローバルな競争が激化している現在においては、勝ち組の選別が極めて重要です。この意味で、銘柄選択はアートの色彩を濃くしています。大型優良企業への株式投資パフォーマンスは、この二つ、つまりサイエンスとしての業種選択とアートとしての銘柄選択の合成関数であるというのが、私どもの投資哲学です。
私どもは、大型株に特化しており、”厳選“された約25銘柄への投資が運用の特色です。大型株は循環株であるという基本認識のもと、マクロ、セミマクロの統計を駆使し、独自の74の業種をベースに業種の魅力度(最適な買いタイミング)を判定し、その勝ち組企業に投資します。循環株に投資しているという認識があるため、いつ保有し、いつ売却するかが重要であり、持ち放しにされることはありません。独自のバリュエーション手法を導入しており、各業種のバリュエーションは偏差値化されています。毎月偏差値を見直すことにより、割安な業種を選定します。各業種の統計データの発表が集中する月末、月初に収益環境面での魅力度と偏差値からの割安度を見直し、その月のポートフォリオのリバランスの方針を決めています。
日本ならではの投資機会として、どのような点に着目されますか。
日本ならではの投資機会で着目されるのは、諸外国に先んじて急速に進む高齢化をにらんでのビジネスチャンスだと思います。もうひとつ注目されるのは、アジアでの一般大衆をターゲットとしたマーケットです。これまで日本は、どちらかというと、日本で売れたモデルのスペックを落とした製品をアジアの高所得者向けに持ち込むケースが多くありました。しかしながら、現在では、はるかに市場規模が大きいアジアの一般大衆を直接にターゲットとする戦略の重要性が増しつつあります。高品質な製品を安く大量に生産するというのは、元来日本製造業の得意とするところでした。その意味で日本を代表する製造業の本気度が試されているわけで、成功するチャンスは大いにあると思われます。私どもにとっても、この分野で活躍する大企業は大きな投資機会です。
運用の仕事に携わろうと思われたきっかけについてお聞かせください。
1971年に野村證券に入社しましたが、当時運用という仕事は、その存在さえ知りませんでした。入社2年後、海外投資顧問室という部署に転勤になりました。そこは、米国年金運用機関を意識した本格的な企業調査レポートの作成並びに海外投資家の資産運用の部門でした。まずは、調査レポートの作成から入りました。自分が納得いくまで、とことん、会社訪問や工場見学、流通ルートの確認などを行いレポートを仕上げていくことに大変興奮しました。更に、自分なりの収益予想をたて、妥当株価を計算していくプロセスにも大きな興味を感じました。幸い、推奨した銘柄のパフォーマンスがよかったこともあり、約2年後にファンドマネージャーに昇格しました。ファンドマネージャーの使命は、私の場合、会社訪問をベースとした割安銘柄を朝から晩まで探し続けることでしたので、なんでも徹底的にやるという自分の性格に合った仕事だと感じました。その後トレーニーとして、エディンバラの運用機関に3か月、香港の運用機関に約1年半派遣される機会を与えられました。そこで、外人のファンドマネージャーと机を並べて運用の仕事を共にする機会を得て、海外では運用という仕事がひとつの確立した職業であることを知り、この職業に一層興味を持つようになりました。折しも、80年代に入り、日本でも投資顧問法の制定が成り、投資顧問会社が設立されるようになったことが、生涯運用の仕事に携わろうと決意した最終的なきっかけでした。
独立された経緯や創業の想いについてお聞かせください。
私は、2001年7月に会社を設立し、独立しました。独立に対する漠然とした想いは、アブダビ投資庁で日本株のファンドマネージャーをしていた90年代半ばに、当時中学生だった娘に“お父さんは、金持ちの国のためにどうしてそんなに一生懸命働くの”と言われたことでした。それまでも、米系運用会社で海外機関投資家の資産の運用に携わっていたこともあり、いつかは日本の投資家のために働きたいとの思いが芽生えました。その頃から、独自の運用手法の研究をスタートさせ、手ごたえを得ていましたが、独立に対する強い意識は、2000年に日本の某大手証券が、国内の営業力を総動員し、巨大な日本株の公募投信をスタートさせたことでした。ファンドは小さな規模からスタートし、運用能力が認められるに従って大きく育っていくのが正道と思っていた私にはショックでした。これを契機とし、自ら運用会社を設立し、運用能力の優秀性によりファンドが育っていくという本来あるべき姿を実践したいとの想いが創業に走らせました。
投資に関するお奨めの書籍を1冊ご紹介頂けますでしょうか。
投資に関する書籍にはあまり興味はなく、従ってお奨めできる本はありません。しかしながら、書籍を通して感じることは、優秀な投資顧問会社あるいはファンドマネージャーにはこうあるべきだという方向性への必至の追究や独特なこだわり、信念があるということです。これは、いわゆるプロフェッショナルと呼ばれる人々に共通の特徴と思われます。この意味で、書籍ではありませんが、例えばテレビ番組で“プロフェッショナル”に焦点を合わせたものは、翌日からの自分の仕事への鋭気をもらえるという意味でお奨めです。
主に業務に関する情報収集の為に、毎日チェックされている媒体(新聞・雑誌・webサイト等)を教えてください。
毎日チェックしている媒体は、新聞では日本経済新聞、日経産業新聞、日刊工業新聞、日刊産業新聞などです。日刊産業新聞は、鉄鋼・非鉄金属業界に的を絞った専門紙ですが、この業界の動きは産業活動全般の先行指標であり、そこでの直近の市況や受注・生産動向を知ることは有益です。Webサイトでは、ブルンバーグの世界経済ニュース、台湾のDRAM Market Info. Update,米国KITCO非鉄金属市況サイト、E Plastics 化学品市況動向、中日新聞自動車産業ニュースなどを毎日見ています。
最後に日本株の運用プロフェッショナルを目指す後輩にひとこと(アドバイス)をお願いします。
コンセンサスに頼った投資判断からは優秀な運用成績は生まれません。コンセンサスを疑問に思い、それに対して距離を置く勇気を積極的に持ってほしいと思います。一方、コンセンサスから外れていることは、予期せぬ運用成績の悪化を招くことがあります。従ってコンセンサスから外れた自分のスタンスは常に客観的にどこがリスクなのか把握しておく必要があります。結局、毎日の調査活動の積み重ねにより、自分のスタンスを修正していく普段の努力が必要です。“ローマは一日にして成らず”を肝に銘じ、日々地道に努力を積み重ねていってほしいと思います。
インタビュー後記
プロフェッショナル人生の集大成として独立され、ベンチマークに捉われない独自の戦略を立ち上げられた丹後様。プロフェッショナルとしての使命は、「弛みない努力の積み重ね」「ローマは1日にして成らず」、との言葉がとても印象的でした。