「モノ」と「カネ」の流れは、常に、表裏一体です。
実物取引の裏には、必ず、反対方向への資金の流れがあるのです。そして、多くの場合、そこには、決済資金についての金融サービスが付随します。手元にある現金で決済する例は、むしろ、稀でしょう。クレジットカードで買い物をすれば、カード決済日まで、お金を借りているのと同じことです。住宅を現金で買う人は、多くはないでしょう。住宅取引には、住宅ローン取引が付随するのが通例です。一方、事業を営めば、運転資金や設備投資資金が必要です。多くの場合、それら資金の調達には、銀行等からの借入が用いられます。事業は無数の取引の集合です。しかも、終わることなく、連続的に生起する無数の取引の集合です。事業へ融資することは、個々の取引へ融資することとは、性格が異なります。
個々の具体的取引(トランザクションtransaction)に対する融資と、事業に対する融資とは、区別されて考えられています。後者の事業に対する融資は、事業者との関係性(リレーションシップrelationship)への融資です。融資を含む総合的な金融サービスによって、事業支援を行うという本来の金融業の機能は、事業者との日常的な密接な関係に基礎を置いています。そのような金融業のあり方は、リレーションシップ・バンキングといわれて、銀行等金融機関の重要な社会的役割と位置づけられています。一方で、現在では、取引への金融は、必ずしも銀行等の重要な機能ではなくなってきています。なぜでしょうか。
一つには、実物取引と一体化している金融の場合は、独立した金融サービスとして構成するよりは、取引そのものを内包してしまう方が、利便性が高いという面があると思われるのです。
実際、掛けによる取引などは、明らかに、取引そのものと融資が統合したものです。リース契約もそうですね。これも、モノとカネの取引を表裏統合させたもので、モノを表にすればオペレーティング・リース、カネを表にすればファイナンス・リース、ということになるのでしょう。住宅ローンもそうですね。見かけ上は独立した金融サービスのようでいて、住宅ローンが実行されていく過程は、完全に住宅販売の取引と一体化しています。自動車に代表されるような耐久消費財の割賦販売やクレジットカードのローンなど、消費者ローンは、全て消費という実体取引に内包されたものです。つまり、多くの場合、見掛け上はともかくも、構造的には、取引に関係する融資は、取引の売手が、買手に信用を供与する形になっているのです。売手側は、与信するための資金が必要です。銀行等の機能というのは、この売手としての事業者へ資金供給する形になります。銀行から事業者へのリレーションシップ融資、事業者から顧客へのトランザクション融資という二重構造が、一つの基本構造であろうと思われるのです。
最近の金融構造の変化の代表例は、この事業者によるトランザクション融資資金の再調達(リファイナンス)方法にあります。
銀行等からの借入(リレーションシップ融資)によらない、債権流動化による資本市場からの直接調達への急速な転換です。トランザクション融資は、住宅ローンが代表的にそうであるように、モノに裏打ち(担保)され、高度に標準化され、小口大量で統計的リスク管理が有効に機能する、という流動化に適する要件を備える場合が多いことが背景です。特に、米国においては、住宅ローンや、消費者ローンは、基本的に、ABS(資産担保証券Asset Backed Securities)によるリファイナンスが行われています。もはやこの分野は、伝統銀行業務から、消えてなくなりつつあります。今回の金融危機は、このABS市場の一時的機能不全を引き起こしました。米国政府が、緊急金融対策として、真っ先にABS市場の建直しに取り組んだのは、そうしないと、住宅ローンも消費者ローンも供給されなくて、モノが売れないからです。それくらい、モノとカネの結合が深く、そのカネの資金源に資本市場が使われていること、これが米国社会の特色です。資本市場の危機が、即経済の危機になる、そういう仕組みなのです。
日本でも、方向性は、流動化による資本市場でのリファイナンスでしょうが、ABS市場の日米の規模格差から見ても明らかなように、現状まだ、銀行等のリレーションシップ融資によるリファイナンスが主流なのでしょう。しかも、日本では、銀行等が住宅ローン市場での有力な貸手であるなど、トランザクション融資においても、伝統銀行業務が強い基盤を持っています。私は、ここに、米国と比較したときの日本の金融の強みが、後進性ではなくて、強みがあるのではないか、という主張を繰り返し展開してきました。一番よく纏まっているのが3月12日と19日のコラム「金融危機にみる日本型金融モデルの理念と小泉改革の功罪」です。ご参照ください。
それにしても、米国型金融の仕組みは、トランザクション融資を資本市場での直接リファイナンスに繋げることで、伝統銀行業務を縮小させる方向へ行っています。極限まで、行っているのかもしれません。しかも、理論的に市場化し得ないリレーションシップ融資においてすら、流動化が進行しています。リレーションシップ融資は、非市場的な私的関係性に立脚するものなので、その市場化は、趣旨に根本的に反するはずなのに、その流動化・証券化が普通に行われる。この逸脱が、今回の金融危機の大きな原因なのです。この辺は、5月21日と28日のコラム「金融そのものへ!」」で取り上げております。こちらも、ご参照いただけると、うれしいです。
一方、日本の金融の重点課題は、リレーションシップ・バンキングです。金融庁も、そういっています。
特に、地域金融機関については、強くリレーションシップ・バンキングへの取り組みが要求されています。当然だと思います。私は、地域金融においては、純粋なトランザクション融資というものは無いのではないか、とも思っています。住宅ローンや消費者ローンだって、個人顧客とのリレーションシップに裏打ちされたものだと思うのです。更にいえば、トランザクション融資をリレーションシップ融資に転換することもできる、いや、すべきなのではないか、とすら思います。地域金融では、融資需要の相対的少なさ(低い預貸率)が問題となっていますが、ここに、融資創造の可能性は無いのでしょうか。
地方の道路整備が必要なのは、よく分かります。しかし、その整備された道路に沿って大規模な中央資本の量販店が作られる一方で、旧都市部の商店街がシャッター・ストリートになっていくのは、解き得ない矛盾です。地域興しの他面は、中央大企業の地方への浸透でもあります。大企業が地方へ提供しているトランザクション融資の裏は、メガバンクのリレーションシップ融資でしょう。そのような形でも、地域金融へのメガバンクの侵蝕は、進んでいるのだと思います。そのトランザクション融資を、地域金融機関のリレーションシップ融資に転換できないのか、そうしたことを、私は、今、真剣に考えています。いかがでしょうか。
以上
次回更新は9/3(木)になります。
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【このコラムに関連する読んで損しない本】
地域経済の新生とリレーションシップバンキング
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。