成長資本の投資と回収の仕組み

森本紀行
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前回の「成長資本と地域金融」の続きをやりましょう。成長資本の提供は、投資であるわけですが、回収のない投資はあり得ないし、投資採算にのらない投資もあり得ない。ところが、成長資本の「理念」などといわれると、この肝心のところが、どうも、漠としてわかりにくいのですが。

成長資本の理念は、当然ですが、理念のままでは、具体的な投資になりません。具体的には、成長資本は、「融資以外の全て」の形態をとり得るのです。
 ここでいう融資とは、現在の銀行等に課せられた規制の枠組みにおいて、正常な融資と認定される融資です。これは、かなり狭い資金の供給形態です。一方、「融資以外の全て」ということは、逆に、非常に広い形態を含むことになります。狭い意味での融資からは外れてしまう融資、例えば、銀行等からの融資(狭い意味での融資)に劣後する融資も含むのです。もちろん、同様のものとして、社債も含まれるでしょう。


なるほど。そうしますと、成長資本の一つの意味は、資本とはいっても、「資本性を帯びるような融資のあり方」ということになりますね。つまり、一時代前の銀行等の融資の社会的機能を体現したような、弾力性のある融資ですね。

 そうです。ですから、回収と投資採算の問題は明瞭なのです。回収は、利息と元本の弁済、投資採算は、資本構成上の上位にある銀行等からの借入金利に、一定の上乗せ金利を置いたものになります。


しかし、「元本の弁済」と簡単にすますことは、到底、できないでしょう。どこから、その弁済資金が出てくるのでしょうか。弁済資金がなければ、連続的に借り換えに応じざるを得ないこととなるから、実質的な回収はなくなるでしょう。

 そう、そこが、中核的論点です。連続的借り換えに応じる融資は、回収の目処のない、不健全な投資なのか、健全な投資と回収と再投資の連続なのか。
 実は、この論点、投資ということの本質にかかわることです。そもそも、投資回収とは何か。投資は、連続的に行われる以上、当たり前ですが、回収した資金は、再投資されます。ですから、個々の案件としては、投資と回収が完結していても、全体としてみれば、投資、回収、再投資の半永久的連続になります。国債に投資し続けるということは、実は、日本国政府という巨大な(超巨大な)債務者に、半永久的に貸し付けているのと同じです。本質的な回収の目処はない。
 といって、今は、話を、そこまで本質的に深堀している場合ではありません。個々の投資案件として、成長資本の回収を検討しなければなりません。結論からいえば、主たる回収の方法として予定しているのは、地域金融機関からの新たなる融資による借り換えです。この融資は、前に述べた「狭い意味の融資」です。
 つまり、資金を調達している企業の立場からいえば、借入先が変わるだけです。いいかえれば、地域の金融機関が融資すべき(本当は融資したかったが、形式上できなかった)金額を、投資運用業の世界から一部肩代わりして投資していた、その部分が、本来の地域金融機関からの融資に戻る、ということです。


そういう仕組みは、何となく、企業再生といいますか、いわゆる不良債権を銀行等から肩代わりするような、既存のやり方と同様に思えるのですが。

 見かけは、確かに、そうですね。しかし、理念的には、違います。成長資本という言葉、成長という言葉にかけた意味が、全く違うのです。
 そもそも、再生という言葉が嫌いだということは、前回もいいました。死んでないのだから、再生はない。だから、再成長というべきです。よく考えてください。再成長しないのに、どうして、地域金融機関が、新たに、融資できるのでしょうか。新たに、融資できるくらいなら、最初から、肩代わりさせる必要があるのでしょうか。
 もしも、再成長なき再生をいうなら、要は、縮小均衡だけでしょう。それでは、地域経済もまた、縮小するのみでしょう。鍵は、成長なのです。成長を支援するから、成長資本です。成長資本が地域金融機関からの新たな融資で回収できるとしたら、それは、拡大的な意味においてです。業容の拡大が内部留保を厚くさせ、債務負担力を大きくする中で、暫定的資本強化策として提供された成長資本が、その役割を終えるのです。これが、成長資本の回収です。
 企業再生といわれるような事例は、もしかすると、事例としては多いのかもしれません。そのような場合も、成長資本の理念は、再成長支援として、機能します。ですが、より本質的に、成長資本が目指さなければならないのは、小さな良い会社を大きな良い会社に成長させることです。良い事業であれば、できたばかりの会社でもいいのでしょうし、良い事業計画であれば、起業支援ということでもいいのです。


そうなると、劣後融資のような形態よりも、株式そのものへの出資のほうが、より適切な場合があるのではないですか。

 もちろんです。ですから、「融資以外の全て」といっているのです。では、なぜ、主として劣後融資的なものを想定しているかというと、ほとんど全ての事案について、対象が中小零細な非公開企業になるからです。
 非公開企業の株式を取得すれば、その回収は、株式公開に伴う公開市場での売却か、合併買収を機とする私的な売却によるしかありません。公開はともかくも、被買収による回収は、必ずしも、企業や地域のためにならない場合も多いでしょう。
 また、地域の中小零細企業にとっても、外部からの出資を受け入れることには、いかに親密な地域金融機関からの紹介でも、大きな抵抗を感じることでしょう。もしかすると、俗にいう「乗っ取り」を連想して、恐れを感じるかもしれません。
 ここに、成長資本が理念であることの、重要な意味があります。地域の企業を、地域の経済を、破壊するようなことは、成長資本の理念として、絶対にできない。企業との間に、十分な信頼関係を築いた上でなければ、株式の取得はあり得ないのです。
 逆に、もしも、そのような信頼関係ができたのだったら、劣後融資や社債の形態だったものを、株式に転換すればいいでしょう。そして、株式公開や、拡大的な合併買収の機会の中で、回収の道を探っていけばいいのです。
 このような、拡大的株式転換が、成長資本の回収戦略の良い形です。通常の形が、地域金融機関からの融資による回収、そして、悪い形が、成長し得なかった場合の、消極的な株式転換です。


要は、投資に失敗した場合は、一定の経営権を取得した上での、不本意な回収も止むを得ないということですね。

 これは、投資ということの基本的な規律です。投資運用業者には、他人のお金を運用するという社会的責任があるのですから、当然なのです。
 そもそも、劣後融資等には、それなりの投資の危険性が付きまといます。弁済償還が困難となったとき、身動きが取れなくなる可能性があります。ですから、融資実行時に、一定の条件を定めて、株式への転換権が行使できるように規定しておきます。そうすることで、万が一のときは、再建へ向けて、経営を主導できるようにしておくのです。
 当然ですが、融資を受けた企業の経営陣としては、そのような条件への抵触を、何が何でも避けるように、必死な経営努力をします。その緊張感がまた、企業を成長させるのです。
 しかし、このような場合は、あくまでも、例外的事案として捉えるべきです。万が一、そうなったとしても、成長資本の理念に従って、最後の最後まで、企業の再建と、地域経済の成長とを目的として、最善の投資回収策を工夫すべきものであると考えます。


鍵は、拡大的成長にありますね。ずばり、企業の売り上げ拡大に、地域の売り上げ拡大に、帰着しますね。成長なければ、成長資本の投資は、失敗する。成長資本が、投資として成功するためには、投資先企業の売り上げを増やさないといけない。こうなると、もはや、普通の意味での投資の枠を超えますね。

 超えます。大きく超えます。成長資本の極めて重要な要素は、売り上げの拡大支援です。その金融技術的方法論が、産業連関分析です。しかし、今回も時間切れです。次回にしましょう。

今回も、片仮名を一度も使いませんでした。これ、こだわりですね。やれば、できるものです。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。