プライベートエクイティなるものについて、これで四回目ですね。前回は、常態における金融機能と、非常態におけるプライベートエクイティの金融機能との間の連続的な連携、あるいは相互補完が、産業の安定的成長のためには不可欠なのだ、という論点で終わったのでしたね。
そうです。そうなのですが、これからの議論の要点は、常態と非常態との区別と連続性だと思いますので、改めて、両者の違いを明らかにしておきましょう。
企業(事業)金融における常態と非常態の違いは、要は、将来の事業キャッシュフローの予測可能性の程度の差だと思います。予測可能性の高い場合が常態で、低い場合が非常態です。
将来の事業キャッシュフローの予測可能性について、低いか高いかを判断する基準は何でしょうか。
当然の疑問ですよね。しかし、こういうと怒られるかもしれませんが、明確な基準など、ないのではないでしょうか。
もともとが、事業というのは不確実な将来へ賭ける行為でしょうから、その将来のキャッシュフローの見込みは、客観的基準が決めることではなくて、人間の判断によって決められるほかないことなのです。
では、どの立場の人間が決めるのでしょうか。
銀行でしょう。あるいは、もっと一般的にいって、資本構成(キャピタルストラクチャ)の最上位を貸している債権者でしょう。
ところで、念のためですが、事業キャッシュフローの予測可能性の高い低いが、そのまま、資本構成の上の位置の高い低いに対応していることに留意願います。このことについては、「インカムと時間とキャピタルストラクチャ」を参照いただけるとありがたい。
銀行融資に代表される債権は、予測された事業キャッシュフローの範囲内で、利息支払いと元本弁済が可能であることを、基本的要件にしています。どんな企業(事業)でも、程度の差こそあれ、事業キャッシュフローの見込みは成り立つものです。といいますか、そもそも、成り立たないようなものは、社会的に企業や事業とは認められないでしょう。
さて、その見込みですが、お金を貸す側の、例えば銀行と、借りる側の企業との間に、合意は成立し得るでしょう。その合意がなければ、融資など実行されるはずがない。そして、その合意が、融資額の上限を決めるのです。
企業の必要資金が融資だけで充足すれば、それでよいのです。それが常態です。しかし、必要資金が融資の上限を超える場合は、どうしたらいいのでしょうか。もう追加的融資は得られないから、資本構成の下のほうで調達するしかない。例えば、社債(転換社債含む)や株式の発行です。このように、銀行等の融資が受けられなくても、資本市場からの調達が可能ならば、それもまた常態でしょう。
しかし、銀行等からの融資が得られず、また資本市場からの調達もできない場合は、どうしたらよいのでしょうか。何らかの私的関係性の中において、交渉事による事態の打開が目指されますよね。このような場合が非常態です。そして、この領域こそが、広義のプライベートエクイティの領域なのです。
常態と非常態の差が生じるのは、多くの場合、資本構成の最上位にある債権者の意向が、資本構成全体の変動要因になるときです。そういう意味で、銀行等の融資政策における貸し出し基準が、非常態を作り出す最大の鍵だといってよいでしょう。
なるほど。簡単にいえば、銀行が定める融資額が基準で、それを越える部分を資本市場調達できればそれでよいが、できない場合はプライベートエクイティの登場となる、そういうことですね。
事業の継続にとっては、必要資金を確保することは、決定的に重要です。一方で、事業環境は日々変化します。それも、現代では、変化が激しい。どうかすると、激しすぎて、一時的には、経営能力の限界を超えることもあるでしょう。
環境変化は、事業キャッシュフローを著しく不安定なものにし、その将来の見込みを困難にさせます。そのような中で、資金の調達を銀行融資等に過度に依存することが、いかに危険なことかは、すぐにわかります。事業キャッシュフローの変動が、直ちに、資金調達を不安定にするからです。
こうみてくると、なぜ、資本市場の育成が経済にとって重要なことかもわかります。社債や株式を通じた長期安定資金の調達は、事業の安定的継続のために、不可欠なのです。
しかし、その資本市場ですが、いくつかの問題があります。資本市場そのものも、大きな変動にさらされていて、常に、安定的に機能しているとは限らないことです。資本市場に依存した資金調達にも、それなりの危険があります。
そして、何よりも問題なのは、資本市場調達ができるのは、ごく限られた数の、主として大企業だということです。ほとんどの中小企業にとって、銀行等の融資以外には、資金調達手段はないのです。このことは、高度に資本市場の発達した米国においてすら、ある程度、真実であり、欧州大陸、特に日本では、一段と深刻な真実です。
だから、プライベートエクイティの機能が、社会的に必要なのだ、そういうことですね。
そうです。前回も述べましたが、社会的に必要な機能だからこそ、プライベートエクイティ投資からは、安定的な収益が期待できるのです。投資収益の安定性は、金融機能としての社会の必要性が規定する、これが私の持論です。
ここで、改めて、常態と非常態の連続性を考えてみましょう。金融の社会的機能にとって重要なことは、事業環境の変化に対応した最適な資本構成を企業に提供することです。そうすることで、事業の安定継続を実現させるのです。そして、この最適な資本構成の提案が、本来の投資銀行業務なのです。
現代の金融制度は分業制です。銀行は、資本構成の最上位の融資を、投資銀行は、下位の社債と株式を担当し、プライベートエクイティは、非常態における資本構成全体の再構成を担当するのです。このような分業制の下では、事業環境の変化に対応していくためには、関係者間の緊密な連携が必要になるのです。
その意味では、広義のプライベートエクイティは、融資も含めた資本構成の全体を扱えるので、便利ですね。
そこに、プライベートエクイティならではの働きがあるのです。事業再編のようなときにプライベートエクイティが中核的役割を演じるのは、ここに理由があります。
しかし、非常態のときだけ活躍するというのも、おかしい。常態のときから、銀行等との緊密な連携をはかるような情報活動があってこそ、常態から非常態への転機に際して、よい提案ができるのです。このような活動力に、プライベートエクイティの運用者の技術が存するのです。
また、常態における活動の中から、常態におけるプライベートエクイティの利用という機会も生まれてくる。第一回目から例に使ってきた、子会社の売却による資金調達が、その代表例です。
ところで、非常態の金融の大事な領域に、起業における金融、プライベートエクイティの中のベンチャーキャピタルの問題がありますね。
いつになったら、そこまで到達できるのかと思っていたら、どうやら時間切れです。次の機会にいたしましょう。ところで、私はかつて、「徹底的に起業を科学する」の中で、ベンチャーキャピタルを論じています。ご参照いただければ幸いです。
なお、予告ついでに、非常態における金融には、プライベートエクイティだけではなくて、アセットファイナンス(資産売却による資金調達)もあることを述べておきましょう。今度は、アセットファイナンスです。
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。