それにしても、金融庁の重点施策に、しかも上位のほうに、資産運用が取り上げられようとは、思いもしませんでした。私にとっては、大変な驚きでしたが、もちろん、非常にうれしい驚きでした。なぜなら、重点施策として取り上げられたということは、資産運用が社会的に重要な業務だと、金融庁から認められたのと同じことだからです。
逆にいえば、今まで、資産運用の地位は、低かったということですか。
何しろ、日本の資産運用は、残念ながら、非常に貧しい歴史しかなく、日本の金融全体のなかでの地位も、決して高いものではありませんでした。それは、今から30年以上も前に、英国のサッチャー首相が断行し、同じく米国でも実行された金融の資本市場化が、日本では、今に至るも、なされることなくきたからです。
市場型の金融では、投資銀行は資金調達側の企業等を代理し、資産運用業者は資金供給側の投資家を代理して、双方が市場で対峙し、市場に責任を負うことで、市場の効率性に基づく、まさに、市場原理による公正公平な取引を実現している(少なくとも、実現することを理想としている)のです。故に、投資銀行と資産運用業者は、金融の花形的な存在であり、社会的地位も高く、同時に社会的責任も大きいのです。
それに対して、日本型の金融では、銀行等の融資による金融機能、即ち、市場を介さない銀行等と企業等との相対(あいたい)の取引の比重が圧倒的に大きく、その反対勘定として、個人等の貯蓄も、銀行等への預金に偏在しているわけです。その結果、当然のことですが、金融における銀行等の地位が高く、同時に社会的責任も大きいのです。
日本の金融の基本的構図が変わっていないのに、なぜ、今さらに、資産運用の重要性が取り上げられたのでしょうか。
今の日本で、この時期に、本質的な金融の構造改革を行うことは、現実的に不可能であり、また、資本市場型の金融も、米国における長い歴史と現状を観察すれば、それなりの欠点も露呈してきているわけで、むしろ、日本の現状に基づきながら、その上に、日本固有の金融のあり方を創造的に工夫するほうが、実際的であり、望ましくもあるのです。少なくとも、それが、金融庁の基本認識でしょう。
そのことは、例えば、「また、金融機関自身による有価証券運用についても、業態等により異なる資産運用の性格を踏まえつつ、資産規模等に見合った運用やリスク管理の態勢が整備されているかについて検証する」という箇所などに、日本的な資産運用の特性を踏まえたものとして、表れています。
市場型の金融では、資産運用といえば、投資家の資金を預かって運用すること、即ち、事業としての資産運用ですが、日本では、そのような投資家の層が薄く、故に、事業としての資産運用も小さく貧しいのです。ところが、資金は、銀行等に偏在していて、そこでは、実は、「金融機関自身による有価証券運用」が行われています。金融庁が目を付けたのは、この金融機関自身による資産運用の高度化なのです。
要は、国民の貯蓄の総体の活性化が問題であるとき、どの金融業態が貯蓄の担い手であろうとも、全ての金融業態において、「その役割・責任を果たしつつ、資産運用能力の向上に努めることにより、国民の安定的な資産形成が図られる」というわけなのです。
もともと、政策としては、貯蓄から投資へというように、金融業態の間における資金の移動を促進しようとしていたのではないでしょうか。
私は、かねてより、日本の個人貯蓄が、預貯金と生命保険契約等へ、著しく偏っている問題について、現実として、そうなのだという事実の重みを深く考えるべきだと思ってきました。金融庁の重点施策の第一番は、「顧客ニーズに応える経営」ですが、預貯金と保険等に貯蓄が偏在しているのならば、それは、顧客のニーズ自体が預貯金と保険等に偏在しているからだと考えるほうが、よほど素直だと思うのです。
ならば、顧客から選ばれた金融業態として、銀行や保険会社等が、貯蓄の担い手として、「その役割・責任を果たしつつ、資産運用能力の向上に努めること」、これが、日本の金融の大きな課題になると思われるのです。
保険会社の場合には、資産運用こそが本業だという位置付けも可能かもしれませんが、銀行等では、融資こそが本業ではないでしょうか。
今回の金融モニタリング基本方針の大きな特色は、保険会社を明確に機関投資家として位置付けたことです。つまり、非常に明瞭な表現で、「保険会社が、機関投資家として、資産運用に努めることは、国民の安定的な資産形成に資するものである」と書かれてあるのです。
当然に、そのことは、「各社が資産規模等に見合った資産運用能力の向上に努め、リスク管理の態勢を整備することが重要である」との金融庁の認識につながるわけです。
また、銀行等についても、資産運用は本業ではないとは、金融庁はいっていません。特に、地方銀行と信用金庫等の地域金融機関については、預金量と融資量の不均衡、即ち、営業基盤の地域において、強力な預金吸収力に見合うだけの融資量を創造できていないという現実は、歴然として存在しています。
そうしたなかで、融資量の不足を補う資産運用は、各地域金融機関の経営の実態に応じて、それなりに重要な経営課題として、本業に近い位置づけに置かれることになるのです。そのことは、例えば、金融モニタリング基本方針のなかで、「リスク・リターン分析を勘案しながら資産運用方針の策定・見直しを行っているか」というふうに、リスクだけでなく、リターンという収益面に言及のあることに見てとれます。
貯蓄を預かる金融機関自身の資産運用は確かに重要でしょうが、それでも、やはり、貯蓄から投資へ、という流れは促進すべきではないでしょうか。
今回の金融モニタリング基本方針の新しさは、「顧客のニーズに応える経営」を金融機関に強く求めたことです。もしも、いわゆる投資というもの、具体的には、投資信託が、真に顧客のニーズに適うものならば、自然に預金から投資信託へ、お金の移動が生じるはずです。そうならないのならば、顧客のニーズが預金にあるのか、あるいは、投資信託の現状が、顧客のニーズに合わないものなのか、そのどちらか、あるいは、両方でしょう。
金融庁は、一方では、現実問題として、顧客のニーズが預金や保険にあることを認めたうえで、結果として、貯蓄が銀行と保険会社等に遍在することになっているので、そこに投資家としての責任を課して、資金循環の活性化を図ろうとしているのです。
しかし、他方では、金融庁の評価は、明らかに、投資信託の現状は、顧客のニーズに反したものであり、いわば程度が低いからこそ、健全な発展が阻まれているというものです。だからこそ、「資産運用の高度化」という表現のもとで、投資信託の抜本的改革を求めたのです。
投資信託のどこに、問題があるというのでしょうか。
投資信託の事業は、圧倒的に、銀行等の販売会社に依存しています。投資信託を運用している投資運用業者のうち、販売会社を通さずに、直接に顧客と接点を持っている会社は、小数であり、その金額も、業界全体のなかでは、決して大きなものではありません。
さて、このような構造のもとでは、投資運用業者は、販売会社との交渉のなかで、投資商品の企画と設計を行うことになりますが、その場では、事実として、顧客不在なのですから、可能性として、顧客のニーズから乖離した議論になる危険性があるわけです。
つまり、あからさまにいえば、顧客のニーズよりも、販売会社としての、あるいは、投資運用業者としての収益性が優先しないとも限らない、いや、事実として、そのような傾向があるのではないか、それが、金融庁の問題意識だということです。
要は、手数料稼ぎの実態ということでしょうか。
業界人として、とても、自分の口から、そのようなことをいうわけにはいきません。そこで、金融モニタリング基本方針から引用しますと、そこには、「手数料や系列関係にとらわれることなく顧客のニーズや利益に真に適う金融商品・サービスが提供されているか」について、「検証を行っていく」、とあります。これは、金融庁のお手を煩わせて、検証をお願いしなければならないような事態があることを、推定させるものです。
系列関係にとらわれることなくとは、どういう意味でしょうか。
大手の金融機関は、グループ内に、総合的な金融サービスを統合しており、そこには、投資信託を運用する投資運用業者も含まれています。例えば、大手銀行が、自己が取り扱う投資信託について、系列関係に基づいて、同じグループの投資運用業者のものを中心に選択したとしたら、グループ全体では、販売手数料と運用報酬との二重の収益が入るわけですから、少なくとも、金融機関の利益という視点からは、有利であることは明らかです。
さて、金融庁が、「系列関係にとらわれることなく」といっていることは、逆にいえば、系列関係重視の事例、あるいは、金融庁の目には、系列関係重視と推量されるような事例が、少なからず存在するということでしょう。
しかし、金融も商業ですから、事業者として、自己の利益を考えるのは、当然ではないでしょうか。
金融庁の強い意志は、金融の社会的機能に立脚して、顧客のニーズに応えることが、結果的に、金融機関自身の利益にもつながるという「好循環」の実現を目指すことにあるのです。あくまでも、顧客の利益が先にあり、金融機関の利益は、結果として、自然に実現するものである、これは、正論ではないでしょうか。
例えば、金融庁が注目しているのは、手数料のなかでも、販売時の手数料です。もしも、販売時の手数料をとらずに、残高に応じた報酬だけにすれば、販売会社の収益は下がりますが、真に顧客のニーズに適った投資信託が販売されているのならば、解約されることなく残高が増えていって、残高比例報酬は、次第に増加していって、収益貢献してきます。つまり、理屈上、顧客の利益にかなった行為を励行することが、結果的に、金融機関の利益にもなるという「好循環」が実現するはずなのです。
系列子会社の投資運用業者にしても、真に優れた資産運用を行っているのならば、親会社の系列以外の全ての販売会社によって、商品が取り扱われるはずなので、逆に、そのほうが、事業としての発展性が大きくなるはずです。
そもそも、販売会社に依存しているような投資運用業のあり方自体が、金融庁のいう「顧客のニーズに応える経営」に反しているのではないでしょうか。
投資信託の事業において、顧客の真のニーズに反したことが行われ得るとしたら、あるいは現に行われているとしたら、それは、顧客と投資運用業者の間に、販売会社を介在させるからでしょう。この問題についての解決策は、販売会社の質を高めるか、販売会社を通さない事業構造(いわゆる直販です)に転換するか、どちらかしかないのです。
以上
次回更新は10月16日(木)になります。
2014/10/02掲載「金融モニタリング基本方針の画期的な意義」
2014/07/03掲載「受託者としての資産運用の担い手」
2014/04/10掲載「信託受託者の忠実義務を徹底的に考える」
2014/04/03掲載「信託に厳格な受託者責任を課すために」
2014/03/27掲載「ファンドのディレクターとトラスティー」
2014/03/20掲載「国際金融センターへの挑戦と信託」
2014/03/13掲載「GPIF改革、あるいは投資家の内部統治と信託」
2014/03/06掲載「投資信託は本当の信託なのか」
2014/02/27掲載「投資詐欺事件における信託銀行の責任」
2014/02/20掲載「信託の合同運用における法創造」
2014/02/13掲載「信託の受託者の忠実義務」
2014/02/06掲載「金融危機さなかの信託銀行批判」
2014/01/30掲載「企業年金の資産運用におけるフィデュシャリーの責任」
2014/01/23掲載「九州石油業厚生年金基金訴訟に思う」
2014/01/16掲載「フィデュシャリー、あるいは信じて託すること」
2014/01/09掲載「トラスト、あるいは信託の本旨」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「女性登用」≫
2014/07/24掲載「女性登用の数値目標について」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。