ちょうど昨年の今頃、金融庁の2014事務年度の「金融モニタリング基本方針」の公表を受けて、この場で、その画期的な意義を論じました。なにしろ、従来の監督と検査という用語を廃して、金融機関との建設的な対話を意味するモニタリングに替えたのですから、その時点において、既に、金融庁の歴史的転換を強く感じたものです。
当時の背景には、「経済の成長や国民生活の安定に寄与することが、ひいては、金融機関自身の安定的な収益にもつながっていくような「好循環」の実現を目指す必要がある」との認識のもとで、金融規制という狭い視野を完全に脱却し、政府の大きな政策課題、特に経済産業政策のなかに、金融行政を位置付けようとする金融庁の新しい姿勢がありました。そこで、私は、次のように書いたものです。
「金融庁がここまで踏み込んだ以上、今回は違うな、日本の金融も、やっと正しい方向へ転換できるな、真の革新が始まるな、そのような予感にとらわれました。私は、明るい将来の展望を、確かなものとして、感動をもって、しっかりと見通すことができたのです。」
また、金融庁は、「好循環」の実現のために、「資産運用の高度化」という重点施策を掲げ、それとの関連で、フィデューシャリー・デューティーを導入したのですが、これについて、私は、こうも書いていたのです。
「フィデューシャリー・デューティーなきところ、資産運用なし、これは、私の長年の主張であり、信念でした。いつかは、この日が来る、そのとき、私が人生を賭けてきた資産運用、真の資産運用が日本で始まる、そう信じてきて、もはや、諦めかけたとき、とうとう、その日が来たのです。ああ、感に堪えない。」
それから一年、私は、フィデューシャリー・デューティーによって日本の資産運用を発展の礎を据えるべく、率先して、できるだけのことはしてきたつもりですが、新しい「金融行政方針」のなかで、我々の活動が金融庁の基本方針に組み込まれているのをみたとき、感慨深いものがありました。
「民間の自主的な取組みを支援する」というくだりですね。
「金融行政方針」では、重点施策として、昨年の施策を一層強化して、「フィデューシャリー・デューティーの浸透・実践」が掲げられていますが、そこでは、以下のように、述べられているのです。
「投資信託・貯蓄性保険商品等の商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関等が、真に顧客のために行動しているかを検証するとともに、この分野における民間の自主的な取組みを支援することで、フィデューシャリー・デューティーの徹底を図る。」
この「民間の自主的な取組み」というのは、まさに、我々、投資運用業界の有志によって実行された「フィデューシャリー宣言」に代表されるような行為を意味していることに間違いありません。
もともと、フィデューシャリー・デューティーは、英米法の規範ですから、法体系の異なる日本では、ルールとして導入されたのでないことは、自明です。ルールでない以上、それは、各金融機関の自律、即ち、プリンシプルによる実践でなくてはなりません。つまり、フィデューシャリー・デューティーは、最初から、「民間の自主的な取組み」によって徹底されるものであったのですが、今回、それが、明確になったのです。
ルールの導入は、規制です。それに対して、金融機関自身のプリンシプルによる改革においては、求められるものは、規制ではなくて、民間の自主的取り組みを支援するための建設的な対話です。この金融庁の路線転換の方向は、昨年も示されていたのですが、特に今年は、フィデューシャリー・デューティーを代表事例にとりあげて、極めて明確な表現で記述されています。
規制色の払拭は、今回の「金融行政方針」において、非常に明瞭ですね。
規制によっては、金融機能は強化され得ない、このことの認識は、金融規制庁として金融庁が発足して以来の歴史の総括として、「金融行政方針」の根本哲学を形成していると考えられます。実際、規制によっては、不正・逸脱・反社会性等の積極的な反価値を封じ込めても、そのことからは、成長・社会の活力等の積極的な価値を創造できないのです。
積極的な価値創造は、いうまでもなく、金融庁によって主体的に担われるものではなく、民間が主役として取り組むことです。規制としてのルールは金融庁にあるのですが、価値の創造原理としてのプリンシプルは民間にあるのです。
しかし、同時に、民間のプリンシプルによる価値創造には、調和といいますか、全体整合性が保たれていることも必要です。ここに、金融庁独自の高次な機能があります。それが、日本の金融の全体が向かうべき方向を定めることであり、そこに金融行政の目的があるのです。
「金融行政方針」の冒頭に、「金融行政の目的」が掲げられていますね。
「金融行政方針」は、「金融行政の目的」、「金融行政の目指す姿・重点施策」、「金融庁の改革」という大きな章立てになっています。この章立てにこそ、「金融行政方針」の画期的な意義が集約されています。従来は、「金融行政の目指す姿・重点施策」だけだったのです。今回は、その前後を、「金融行政の目的」と「金融庁の改革」で挟んだところに、全く新しい金融庁の理念が示されています。
この構造は、「金融行政の目的」として、「国益」を掲げ、「国益」の実現のための施策として、「金融行政の目指す姿・重点施策」を掲げ、最後に、「金融庁の改革」として、金融庁職員に「国益への貢献」を求める、という流れになっているのです。
「金融行政の目的」として、何が掲げられているのでしょうか。
要点は、以下のことにつきるのだと思われます。
即ち、「金融とは、身体をめぐる血液のようなものであり、資金が適切に供給されていくことで、経済成長や国民の生活の向上が図られる」との認識のもとで、最終的には、「企業・経済の持続的成長と安定的な資産形成等による国民の厚生の増大がもたらされることが重要」ということです。「国民の厚生の増大」とは、まさに、「国益」そのものです。
この目的を実現するための施策は、「金融行政の目指す姿・重点施策」において、六項目に分類して掲載されているのですが、その冒頭の項目は、「活力ある資本市場と安定的な資産形成の実現、市場の公正性・透明性の確保」と題されていて、投資資金循環や資本市場の整備等、資産運用にかかわる課題が掲げられています。
こうして、昨年に引き続き、資産運用が金融庁の最重点課題に掲げられたことは、それに携わるものとして、大いなる誇りを感じます。同時に、重責も感じます。
我々、資産運用関連業界は、金融庁の期待に応えるべく、フィデューシャリー・デューティーの徹底へ向けて、「民間の自主的な取組み」を強化していかなくてはなりません。そうして、社会的責任を貫徹することによってこそ、業界の健全なる発展のための堅固な礎を築けるのです。
さしあたり、「フィデューシャリー宣言」を公表する会社が、投資運用業者だけでなく、投資信託の販売会社、信託会社へ拡大し、さらには、金融界を超えて、確定給付企業年金や公的年金、確定拠出企業年金も含めて企業年金を運営する企業へも、拡大していくことを大いに期待してやみません。
資産運用が重視される背景として、資本市場の機能に強い力点を置いたことが、今回の「金融行政方針」の特色のようですね。
日本の国家としての喫緊の課題は、産業界、金融界、大学、地方自治体から、政府に至るまで、ガバナンス改革です。そのなかで特に象徴的で重要な意味をもつのが、上場企業に適用されるコーポレートガバナンス・コードです。コーポレートガバナンス・コードは、資本市場の機能を通じて、企業のガバナンス改革を促すものですから、「金融行政方針」のなかで、そこに焦点が当たったのは、当然なのです。
資本市場の機能を活性化させるには、投資運用業者等の投資家の役割を欠くことはできません。故に、資産運用の高度化が金融庁の重点課題になるわけです。投資家には、自己勘定の運用を行っている保険会社や銀行等も含まれます。こうした背景のなかで、今回、保険会社の機能に多くの字数が割かれたことは、注目に値します。
ガバナンス改革といえば、金融庁自身のガバナンス改革に言及されたことは、画期的というよりも、ほとんど革命的な意義をもつのではないでしょうか。
「金融行政方針」の最後の章、「金融庁の改革」は、わずか二ページですが、末尾を飾るに相応しい内容と格調をもっています。一読、私は感動を禁じ得ませんでした。もう、これは、最良の箇所を引用するしかないでしょう。
「金融行政に対し外部からの提案や批判等が常に入る「開かれた体制」の構築と、金融庁職員が積極的に国益へ貢献するための意識改革を推進していくことが重要である。」
「金融庁職員の一人一人が、省益ではなく「国益への貢献」を追求し、困難な課題にも主体的(プロアクティブ)に取り組んでいくことを目指し、そうした職員を任用・昇格により評価する等の業績評価のあり方の検討をはじめとした取組みを推進していく。」
「金融行政がその求められている役割を適切かつ効率的に果たしているのか、また、現在のやり方が時代の要請にあっているのか、等の問題意識の下、許認可・免許の審査業務・各種ヒアリング・資料徴求のあり方を含めた金融行政における基本的なプロセスについて再点検を行い、金融機関の負担軽減を意識しつつ、透明性・迅速性・有効性・説明責任の確保といった観点から、適切な態勢を整備していく。」
なかでも、特に、金融庁職員の一人一人に、「省益ではなく「国益への貢献」を追求」することを求めているのは、他の全ての官庁においても、見習ってもらいたいことです。金融庁が、率先して、このような理念を掲げたことは、金融界の誇りです。
金融庁職員に意識改革を求めたことは、金融機関に意識改革を求めることと、表裏をなすわけですね。
これも、金融庁のいうところを引用しましょう。
「各金融機関が、自らの置かれた環境を踏まえ、それぞれに創意工夫を積み重ねることにより、より優れた業務運営(ベストプラクティス)を目指すことが、我が国金融の質の向上につながると考えられる。このため、金融行政においては、金融機関等の個々の活動を細かく規制するのではなく、金融機関等の創意工夫を引き出すことで、全体として質の高い金融サービスの実現を図っていくことが有効である。」
つまり、金融庁の行政目的の実現には、金融機関の創意工夫が先行していなくてはならないのです。金融庁が、全職員に、「困難な課題にも主体的(プロアクティブ)に取り組んでいくこと」を求めた以上、各金融機関の経営者も、自己の所属全職員に、同じことを求めなくてはなりません。
かつて、規制色の強い金融庁に対して、金融界には、表立って批判するものはいないなかで、行動の自由を阻害するものとして、陰で悪口をいうものは大勢いました。そのような陰口は、自己の無為無策を規制のせいとする無責任なものでなかったかどうか、今、問われるわけです。
各金融機関は、自己の創意工夫のもとで、ベストプラクティスを自由に追求すればいい。もはや、そこには、金融庁の応援こそあれ、規制はないのです。つまり、できない言い訳もないのです。
以上
次回更新は10月8日(木)になります。
2015/05/28掲載「投資信託協会長に質す」
2015/05/21掲載「三井住友信託社長のあまりにも空疎な所信」
2015/05/14掲載「野村證券よ、利益相反の不存在を証明してみせよ」
2015/05/07掲載「金融機関の経営者に資産運用がわかるのか」
2015/04/23掲載「みずほの資産運用能力と作文能力」
2015/01/15掲載「金融機関が陥る集団の愚」
2014/12/25掲載「ルール遵守で馬鹿になった金融機関」
2014/10/23掲載「金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーとは何か」
2014/10/09掲載「金融庁に「高度化」を求められた資産運用の貧困」
2014/10/02掲載「金融モニタリング基本方針の画期的な意義」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「異端」≫
2014/08/28掲載「異端を尊ぶJR九州」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。